礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2015年9月6日
 
「エルサレムで歓迎されたパウロ」
使徒の働き連講(62)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 21章15-30節
 
 
[中心聖句]
 
  17   エルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで私たちを迎えてくれた。
(使徒の働き 21章17節)


 
A.エルサレムへの旅(15−16節)(地図参照)
 
 
「15 こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。16 カイザリヤの弟子たちも幾人か私たちと同行して、古くからの弟子であるキプロス人マナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである。」
 
・パウロ第三回伝道旅行の締括りは、心暖まる出会いの旅:
前回は、「心暖まる出会いの旅」と題して、パウロの第三回伝道旅行の最後の部分を詳しく学びました(地図参照)。マケドニヤからエルサレムまで、一か月余りの長旅の中で、思わぬ出会いがあり、初めての対面もあり、パウロの心はどんなに暖められたことでしょうか。

・エルサレムでは、キプロス人マナソン家に宿泊:
カイザリヤの兄弟たちがエスコートしてエルサレムに着き、マナソンというキプロス人クリスチャンの家を手配していてくださったことは先週お話ししました。
 
B.エルサレム教会の歓迎(17−20節a)
 
 
「17 エルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで私たちを迎えてくれた。18 次の日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた。19 彼らにあいさつしてから、パウロは彼の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ話しだした。20 彼らはそれを聞いて神をほめたたえ、パウロにこう言った。」
 
・エルサレム信徒は、パウロたちを心から歓迎:
今まで何度も繰り返し述べられていたように、パウロはこのエルサレム訪問が厳しいものになることを覚悟していました。その厳しさは、保守的なユダヤ人からだけではなく、ユダヤ人クリスチャンからも起きるであろう反対と迫害を覚悟してのものでした。そのような覚悟を持ってきたパウロにとって、エルサレム教会の信徒たちの暖かい歓迎はやや意外でした。使徒の働きには記されていませんが、この歓迎は、諸教会から集めてきた支援献金もその一つの原因と考えられます。

・教会の柱ヤコブ及び全長老たちとの会合:
エルサレム信徒たちへの訪問の翌日、パウロ一行は、主イエスの弟で、エルサレム教会の指導者であったヤコブと長老たち全員と会合します。これは、カジュアルな訪問ではなく、正式なアポを取ってのものであったと思われます。この時パウロたちは、携えてきた支援献金を正式に手渡ししたようです。このヤコブは、ペテロとともにエルサレム教会の柱と呼ばれるほど人々の信頼を得ていまして。クリスチャンからだけではなく、エルサレムのユダヤ人一般からも尊敬されていたことが、他の資料にも記されています。

・伝道報告は讃美を生む:
パウロたちは、異邦人の間での主の力強い働きについて報告しました。@エーゲ海沿岸での伝道の成果は、聞く人々に大きな希望と勇気と喜びを与えました。Aそして、伝道の成果の証拠としての支援金は大きな励ましとなりました。ヤコブと長老たちは異口同音に主のみ名を讃美しました。特にヤコブは、8年ほど前「貧しいものを覚えてください。」(ガラ2:10)とパウロにお願いしたことがありましたから、パウロがその約束を果たしてくれたことに大きな感謝を表したと思われます。エルサレム教会のこのような暖かい歓迎は、パウロの予想以上でした。この歓迎の背後にはローマ教会始め、多くの異邦人教会の祈りがあったことも忘れてはなりません。パウロが帰還の旅に就く直前に書かれたローマ書15:30−31には、「私のために、私とともに力を尽くして祈ってください。私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。」と祈りを乞うています。その祈りが答えられたのです。
 
C.エルサレム教会の懸念(20節b−25節)
 
 
「兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰にはいっている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです。21 ところで、彼らが聞かされていることは、あなたは異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習に従って歩むな、と言って、モーセにそむくように教えているということなのです。22 それで、どうしましょうか。あなたが来たことは、必ず彼らの耳にはいるでしょう。23 ですから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に誓願を立てている者が四人います。24 この人たちを連れて、あなたも彼らといっしょに身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、みなにわかるでしょう。25 信仰にはいった異邦人に関しては、偶像の神に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきであると決定しましたので、私たちはすでに手紙を書きました。」
 
・パウロに関する悪い噂:
さて、ここまでは、長老たちはパウロとその宣教姿勢を受け入れていたのですが、次の言葉で、彼らの懸念が表明されます。それは、パウロたちがユダヤ人に対して律法を守るなと、反律法主義を唆しているというのです。本質的に言うと、パウロの福音は律法主義からの脱却にあったのですが、現実的に言うと、パウロはユダヤ人クリスチャンが律法を守らなくても良いとは言っていません。しかし、パウロの反対者は、パウロが律法などはどうでもよいと言っていると非難したのです。しかもそれが、教会の外ではなく、内側からも起きていたことがとても残念ですね。

・パウロの立場:
律法遵守に関するパウロの立場は明白です。異邦人がキリストを信じて救われたいと表明する時に、律法遵守の決意を示す割礼を受ける必要はないし、それを強要するのはもってのほかです。しかし、ユダヤ人のクリスチャンが律法を遵守したいという気持ちを持つのは当然であって、その気持ちを尊重しなければなりません。特に片親が異邦人である場合には、証しのためにも割礼を受けることは推奨されます(テモテがその好例)。また、ユダヤ人と異邦人が混在する社会において、ユダヤ人が(特にその食物規定において)柔軟であることは、証しのためにも必要です。

・ヤコブの提案:
パウロが律法を遵守していることを行動で示す=そこで、ヤコブはこうした反対者を意識しながら、ある提案を行います。それは、パウロが律法を遵守していることを行動で示すというものでした。具体的には、こういうことです。4人のユダヤ人クリスチャンがナジル人としての誓いを立てていました。具体的に何の誓いかは記されていませんが、何らかの願いを込めて、ぶどう酒を飲まず、汚れから遠ざかり、更に髪の毛を切らないでいました。それが30日間続いていたのです。その満願の日に、彼らは髪の毛を切り、いけにえの羊、食物と飲み物の捧げものに加えて、切った髪の毛を共に焼いて主に捧げることになっていました。その満願の捧げものの費用は、別なユダヤ人が負担することによって、その捧げ物は一層価値高いものとなるべきでした。長老たちの提案は、パウロに剃髪儀式の費用を出すスポンサーとなって欲しいというものでした。パウロは旅行から帰って来たばかりなので、スポンサーとして加わるためには一週間ほど儀式的なきよめを経ねばならなりませんでした。律法の下にあるものに対して、自分を律法あるものとするという(1コリント9:20)パウロの態度がここで示されました。誓願の終了を意味する費用を出して、4人の仲間に入りなさい、という提案は、このように知恵のある提案なのですが、私はここに落とし穴があったような気もします。何もこんな儀式に加わらなくても、パウロの信仰と生き方をエルサレム信徒たちが素直に認めればそれで済むでしょう。ある悪い噂が広がっている時、私たちは噂を出している人々に一々説明すべきでしょうか。噂を信じる人々に、それは違うと説明すべきでしょうか。私は、悪いうわさは基本的にはほっておくことが一番賢明と思います。如何でしょうか。

・ヤコブの補足説明:
さて、ヤコブに戻ります。彼は補足的に、8年前のエルサレム会議の結論を引用します。「信仰にはいった異邦人に関しては、偶像の神に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきであると決定しましたので、私たちはすでに手紙を書きました。」この決議の趣旨は、異邦人クリスチャンは律法から自由である、ただ、最低限の道徳基準は守りましょうということでした。ヤコブと長老たちはこのエルサレム会議の内容を変更して異邦人クリスチャンに律法遵守を押しつけることは意図していませんでした。しかし、ヤコブのニュアンスは、自由よりも、道徳基準を守るべしという律法主義的な所に微妙にずれているのです。このような微妙なずれが、が次の文節に記されている大騒動のきっかけとなったと私は思います。長老たちは、善意であったかも知れませんが、心配し過ぎと私は思います。長老たちは、次に起きる騒動を予期していなかったでしょうが、しかし、注意深さには欠けていたと思います。誤解を消すという行為が、別な問題を起こすという残念な一例です。
 
D.誓願のための宮参りと騒動(26−30節)
 
 
「26 そこで、パウロはその人たちを引き連れ、翌日、ともに身を清めて宮にはいり、清めの期間が終わって、ひとりひとりのために供え物をささげる日時を告げた。27 ところが、その七日がほとんど終わろうとしていたころ、アジヤから来たユダヤ人たちは、パウロが宮にいるのを見ると、全群衆をあおりたて、彼に手をかけて、28 こう叫んだ。『イスラエルの人々。手を貸してください。この男は、この民と、律法と、この場所に逆らうことを、至る所ですべての人に教えている者です。そのうえ、ギリシヤ人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所をけがしています。』29 彼らは前にエペソ人トロピモが町でパウロといっしょにいるのを見かけたので、パウロが彼を宮に連れ込んだのだと思ったのである。30 そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕え、宮の外へ引きずり出した。そして、ただちに宮の門が閉じられた。」
 
・パウロと四人の仲間の宮参り:
さて、パウロは、ヤコブの示唆を忠実に実行するために神殿に行き、そこでの1週間をきよめのために費やし、その儀式が終わろうとするところまで来ました。

・アジヤから来たユダヤ人の扇動:
儀式が終わろうとした頃、アジヤから来たユダヤ人、つまり、パウロの伝道を至る所で妨げて、しかも、しつこくエルサレムまでやってきたユダヤ人が叫びます。「このパウロは律法に逆らう人間であり、神殿も要らないという過激な教えを説いている、しかも、異邦人を(「異邦人の庭」という区域に限定されたところではなく)神殿の内庭に連れ込んで、神殿の神聖さを犯している」と。実は、異邦人の庭と神殿の内庭を隔てる壁と門には「如何なる外国人も聖所に入るべからず。捕えられた者は死罪に遭う覚悟をせよ。」と記されていました。時はペンテコステであって、全世界のユダヤ人が礼拝のために集まっていました。アジヤで問題を起こそうとしたユダヤ人がアジヤでは果たせなかった反パウロ運動ののろしを、ここではやり遂げると見ぬいて行動を起こしたのです。

・騒動の発生:
ユダヤ人たちの非難は、パウロが町で異邦人クリスチャンであるトロピモといっしょに歩いていたことと、神殿でユダヤ人とともに誓願を立てていたこととを混同していることから来ています。いや、わざと混同したのです。彼らはエペソ人トロピモと面識がありました。ですから、トロピモがパウロといっしょに神殿の内庭にいたという言いがかりをもってパウロ非難の材料とします。群衆は、この言いがかりの真偽を確かめる前に、騒ぎ始めました。群衆とはそのようなものです。
 
おわりに:人を受け入れること、受け入れられること
 
 
もう一度、パウロがエルサレム教会で受け入れられた恵みを振り返りましょう。

・人に受け入れられるのは、格別な恵みです。感謝しましょう!

・人を受け入れる恵みに富むものとなりましょう!

 
お祈りを致します。