礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2015年10月4日
 
「パウロ、福音を証しする」
使徒の働き連講(64)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 22章1-24節
 
 
[中心聖句]
 
  15   あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのです。
(使徒の働き 22章15節)


 
1.弁明の始まり(1〜2節)
 
 
「『兄弟たち、父たちよ。いま私が皆さんにしようとする弁明を聞いてください。』パウロがヘブル語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。そこでパウロは話し続けた。」
 
・エルサレムでの騒動とパウロの逮捕:

前回お話ししたのは:

@伝道旅行を終えてエルサレムに戻ったパウロがきよめの儀式のため神殿に行ったこと(神殿全景参照);

Aそこでアジヤから来たユダヤ人に扇動された群衆が騒ぎ始めたこと(神殿の中庭とローマ軍歩哨兵参照);

Bその騒ぎを見てローマのエルサレム守備隊がレスキューを送り、群衆の暴力から守るためにパウロを背負ってアントニア塔の階段を登り始めたこと(アントニア塔の絵図参照);

でした。

・パウロは群衆に弁明する機会を求める:
安全なアントニア塔の中に入れられようとしたパウロは、そこで安堵しても良かったのですが、敢えて荒れ狂ったユダヤ人に対する発言を求めます。パウロとしては、ここで兵営に入って隊長から尋問され、そして無罪となるという無難な決着ではなく、自分を殺そうとしたユダヤ人に証の機会を持ちたかったのです。

・弁明の開始と群衆の驚き:
パウロは、流ちょうなへブル語(アラム語)で話し始めます。びっくりしたのはユダヤ人たちです。彼らはパウロのことを誤解していました。外国生まれ、外国育ち、ヘブル語はメタメタのコスモポリタンと思っていたからです。その男がきれいなアラム語でしゃべり始めるものですから、荒れ狂っていた群衆は水を打ったように静かになりました。
 
2.ユダヤ教徒としての生い立ちと活動(3〜5節)
 
 
「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰するためでした。」
 
・パウロの初めての証し:
群衆の静粛さに力づけられて、パウロは自分の生い立ちから始まる証しを行います。パウロはこれまで、ガラテヤ書、第一コリント書の中で、救いの証しをしていますが、群衆の前で証しをするのは初めてです。その後、アグリッパ王の前で、また、第一テモテ書の中でも証しを記していますが、この時が最初でしたので、パウロも緊張したことでしょう。パウロがこの証しで特に心を留めたのは、荒れ狂う群衆です。彼らがユダヤ教に熱心で、そのためにパウロを目の敵にしていることを意識しながら、彼らの心に届くような話し方を心がけます。

・ディアスポラとしての生い立ち:
パウロは、自分が国際都市であるタルソで生まれた、いわゆるユダヤ人ディアスポラであったことを隠さずに語ります。

・エルサレムでの教育:
厳格なユダヤ教徒として=しかし、厳格なユダヤ教徒であり、多分裕福な生活をしていた(それは、パウロが「生まれながら」ローマ市民権を持っていたことから分かります)父親は、少年時代からエルサレムにパウロ(サウロ)を留学させます。12歳位だったと思われます。基礎学問を終えて高等教育を受ける時、パウロは当時の一級の律法学者であったガマリエルの門下生となります。いわばエリートコースです。そこでパウロは、律法をしっかり学ぶだけではなく、律法を守ろうと熱心に務めました。彼は、同世代の誰よりも自分は律法に熱心であった、と公言しています。

・教会迫害運動の指導者となる:
そのパウロが、教会迫害運動の指導者となったいきさつを語ります。それは、単なるキリスト教嫌いと言う感情に動かされたのではなく、律法への熱心に突き動かされたものであったことを証します。これを聞いていた群衆は、パウロに共感を覚えたことでしょう。パウロは続けて、彼がパレスチナ内部のクリスチャンを迫害するだけでは飽き足らず、その迫害の手をシリヤのダマスコにまで伸ばしたと告白します。ダマスコとは、今世界中を困らせているアサド大統領がいるダマスカスのことです。パウロは、ただ闇雲に出掛けたのではなく、「ダマスコにおいてクリスチャンを捕縛する権威を与える」という大祭司の許可書を与えられて、(いわば、ユダヤ教社会におけるお墨付きを頂いて)出発したのです。

 
3.復活の主との出会い(6〜10節)
 
 
「ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞きました。そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ。』と言われました。私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる。』と言われました。」
 
・復活の主が現れる:
@ダマスコに向かう(恐らくダマスコ城外の)道で真昼頃、突然復活の主が現れ、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」と問いかけます。「あなたは誰ですか」と言うパウロの問いに、その声は「あなたが迫害しているナザレのイエスだ」と答えます。この方が十字架にかかり、死に、甦られたナザレのイエスであり、実はキリストであったということがパウロに取って大発見でした。A更に「なぜわたしを」と問うておられるところが大切です。サウロ(後のパウロ)は、教会を迫害していたのですが、主イエスは教会とご自分を一体と見なして、「なぜわたしを」と仰っておられます。教会とイエスは一体なのだというのがパウロの第二の発見です。

・周囲の人々の反応:
この記事は、使徒の働き9章の記事とほぼ同じですので、異なるニュアンスのみを指摘します。復活の主の現れと語り掛けについて、9:7は、「同行していた人々は、声は聞こえても、誰も見えなかった。」と記していますが、22:9は、「その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。」と記しています。つまり、衝撃的な出来事は認識したが、その内容は、当事者であるパウロと主イエスの二人だけが把握していた、と言うことです。
 
4.アナニヤの導き(11〜16節)
 
 
「ところが、その光の輝きのために、私の目は何も見えなかったので、いっしょにいた者たちに手を引かれてダマスコにはいりました。すると、律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい。』と言いました。すると、そのとき、私はその人が見えるようになりました。彼はこう言いました。『私たちの先祖の神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』」
 
・アナニヤの存在と評判:
にわか盲人となったパウロは、同行者たちに手引きされながら、ダマスコに入り、アナニヤの下に導かれます。アナニヤについての紹介も興味深いものです。「律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤ」と紹介しています。クリスチャンからはもちろん、保守的なユダヤ人からも尊敬されていたという表現で、嵐のように沸き立っている群衆の更なる共感を得ようとパウロは努めます。

・アナニヤの奉仕:
アナニヤのしたことは三つです。@パウロの視力を回復させたこと、A証人としての使命を明確に与えたこと、そしてBバプテスマを施したことです。
 
5.世界宣教への召し(17〜21節)
 
 
「こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。』そこで私は答えました。『主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。』すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす。』と言われました。」
 
・エルサレムでの祈りと啓示:
さて、ここから急にパウロは自分の物語を端折ってエルサレムでの体験に行きます。途中のダマスコでの迫害や、アラビヤでの思い巡らしなどは省略されています。エルサレムにおけるクリスチャンとの交わりも触れられていません。いきなりエルサレムで祈っていた時の話をします。これは、使徒の働き9章にはありません。この出来事をパウロが自分の証しの中に入れたのは、証の場所がエルサレムであったこと、彼らが問題にしているのが、パウロの異邦人宣教であることを意識してのものと考えられます。

・世界宣教に派遣:
@エルサレム神殿での祈りの中に主から示された第一のメッセージは、エルサレムを離れるべきことでした。パウロは同意します。「主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。」つまり、エルサレムで伝道したとしても、迫害運動のリーダーとしてしか知らないエルサレムの人々は、彼を裏切り者扱いにするだろうことを彼は予感したのです。実際にそれは直ぐに起きましたし、20年後に訪れた今もまた起きている、と彼は間接的に言うのです。A主の第二のメッセージは、第一のものの裏返しで、パウロが異邦人伝道のため広く世界に出て行くべきことでした。パウロは、自分が復活のイエスに出会って180度変えられたように、イエスを拒んでいる聴衆も、イエスに出会って変えられて欲しい、変わるべきだと願っていました。
 
6.人々の拒絶反応(22〜24節)
 
 
「人々は、彼の話をここまで聞いていたが、このとき声を張り上げて、『こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。』と言った。そして、人々がわめき立て、着物を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、千人隊長はパウロを兵営の中に引き入れるように命じ、人々がなぜこのようにパウロに向かって叫ぶのかを知ろうとして、彼をむち打って取り調べるようにと言った。」
 
・聴衆は、パウロの「変節」に怒る:
パウロの生い立ちや教会迫害の行動に関しては、共感を持って聞いていた群衆も、彼のイエスとの出会いの段になると落ち着かなくなりました。況して、異邦人も含む世界への宣教のくだりになった時、その怒りが爆発しました。「異邦人」という言葉だけでも刺激的だった上に、神の救いが異邦人に及ぶという思想は、ユダヤ至上主義に凝り固まっていた人々には冒涜にさえ響きました。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」と叫び始め、着物をバタバタさせて塵を空中に巻き上げ、パウロに掴みかかろうとしたのです。着物の塵を払うとは拒絶の意思表示でもあります。

・千人隊長の命令:
千人隊長クラウデオ・ルシヤは、パウロのアラム語での弁明を理解できませんでしたから、事情を良く呑み込めませんでした。そして、取り敢えずパウロを縛り、鞭打った後、取り調べをしようとします。この先どうなるか、興味津々でしょう。それは次週にお話しします。
 
おわりに
 
 
・証しとは、神が為し給うた事実の証言:
パウロは、「すべての人に対して、彼の見たこと、聞いたことの証人と」(15節)なりました。この時も、パウロは、淡々と自分の身に起きたことを話します。それは、自分が何者であるかを誇示するためではなく、神が何を為してくださったかを事実を通して証言するためです。それが「証し」と言われるものです。特に、自分のような罪人に対して、神がいかに大きな愛を注いでくださったかを示しています。私たちも皆証人です。パウロのような劇的な回心経験はなくても、神がいかに私を憐れんでくださったかを示すことは可能ですし、必要です。残念ながら、この時のパウロの証しは、受け入れられませんでした。しかし、彼らの内、幾人かは、パウロの言おうとしたメッセージをくみ取ったものと思います。

・私たちも、証人として世に遣わされている:
私たちの証しも、そう簡単には受け入れられないかも知れません。しかし、今週もどなたかに神の愛を証したいものです。
 
お祈りを致します。