礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2015年10月18日
 
「パウロ、市民権を主張」
使徒の働き連講(65)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 22章17-30節
 
 
[中心聖句]
 
  25   彼らがむちを当てるためにパウロを縛ったとき、パウロはそばに立っている百人隊長に言った。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってよいのですか。」
(使徒の働き 22章25節)


 
1.パウロ、弁明を締めくくる(17〜21節)
 
 
「こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。』そこで私は答えました。『主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。』すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす。』と言われました。」
 
・「エルサレムを離れよ」:
前回は、パウロを亡き者にしようと荒れ狂っていた群衆を前に、パウロが勇気と知恵を用いて弁明を行った所をお話ししました。パウロの弁明は、彼の救いと召命の証しだったのですが、召命を明確に受けたのがエルサレムであったと語ります。その召命の内容として、エルサレム以外の場所で宣教活動をするようにとパウロは告げられます。それは、パウロの過去の経歴から見て、エルサレムは相応しくない場所だったからです。

・異邦人伝道への派遣:
エルサレムを離れることと裏腹に、積極的に異邦人の地域に行き、異邦人に福音を伝えるべく召しをいただきます。これは当然のこととして語ったのですが、「異邦人」という言葉が、聴衆を刺激します。
 
2.怒り再発の群衆(22〜24節)
 
 
「人々は、彼の話をここまで聞いていたが、このとき声を張り上げて、『こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。』と言った。そして、人々がわめき立て、着物を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、千人隊長はパウロを兵営の中に引き入れるように命じ、人々がなぜこのようにパウロに向かって叫ぶのかを知ろうとして、彼をむち打って取り調べるようにと言った。」
 
・「異邦人」との言葉が引き金:
パウロの前半生の物語は、共感を持って聞いていた群衆でしたが、彼がナザレのイエスをキリストと受け入れ、その上、異邦人に救いを宣べ伝えるために世界各地を回っているという段になりました時、怒りは爆発します。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」と叫びつつ、着物を放り投げ、塵をまき散らし始めました。完全な拒絶を示すサインです。ユダヤ人であることの特権意識、選民意識を強く持っていた群衆にとって、神が異邦人を救いに受け入れなさるという教えそのものが許し難い冒涜だったのです。

・鞭打ちと取り調べ:
「鞭打ち」(マスティクス)とは恐ろしい刑罰=千人隊長は、パウロをアントニアの塔内に引き入れ、鞭を打ってから取り調べるように命令します。これは、ローマ人以外の「外国人」の容疑者に対しては当然の命令でした。もちろん、今日は、容疑者であるというだけで罰を受けることはありませんが、当時は当たり前のことでした。この場合の鞭打ち(マスティクス、ラテン語ではフラゲルム)は、他の場合のような軽いものではありません。革のベルトに骨とか金属を埋め込み、それにしっかりした木の取っ手を着けたものが鞭です。裸にして縛り上げた被疑者の背中をその鞭で思い切り打つものですから、それだけで死ぬ場合もありましたし、死なないまでも一生障害者となることが普通という恐ろしいものでした。パウロはこのような鞭打ち以外に何回か叩かれたこと(プレーゲー)がありますが、その場合の鞭は比較的軽いものだったと思われます。
 
3.パウロ、市民権を行使する(25〜29節)
 
 
「彼らがむちを当てるためにパウロを縛ったとき、パウロはそばに立っている百人隊長に言った。『ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってよいのですか。』これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところに行って報告し、『どうなさいますか。あの人はローマ人です。』と言った。千人隊長はパウロのところに来て、『あなたはローマ市民なのか、私に言ってくれ。』と言った。パウロは『そうです。』と言った。すると、千人隊長は、『私はたくさんの金を出して、この市民権を買ったのだ。』と言った。そこでパウロは、『私は生まれながらの市民です。』と言った。このため、パウロを取り調べようとしていた者たちは、すぐにパウロから身を引いた。また千人隊長も、パウロがローマ市民だとわかると、彼を鎖につないでいたので、恐れた。」
 
・ローマ市民であることを明かす:
パウロは、上半身裸にされ、むち打ちのために木の柱に縛り付けられた時、百人隊長に呟きます。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってよいのですか。」ローマ市民を裁判に掛けずに罰することは、ローマの法律によって禁止されていました。「ローマ市民を縛ることは罪であり、鞭打つことは犯罪である。」と記されているからです。いわば、人権が今日のように保証されていたのです。市民権の一つには、裁判で不利な結果が出た時に、皇帝に上告する権利も含まれていました。ローマ市民以外の者には、かなり自由に拷問や極刑が裁判なしに行われていたのですが・・・。なぜローマ市に生まれてもいない、そこで生活もしたことがないパウロが「ローマ市民権」を持っていたのでしょうか。それは、ローマ帝国の拡張政策が原因です。ローマから地中海世界に版図を広げたローマ帝国は、その植民市の有力な市民にも「ローマ市民権」を与えて、全世界が同じ水準の人間として生活するようにという大きなビジョンをもって世界を治めようとしたのです。

・パウロが市民権を主張した場合、しなかった場合:
さて、なぜパウロは、縛られる前に市民権のことを言わなかったのか、状況は分かりません。ともかく、ここでは尤もな主張を行います。「そんなことを言わずにイエス様のように黙って刑に服すればよいのに。」とパウロを批判しないでください。人にはそれぞれの立場があり、それぞれの事情があるからです。ピリピにおけるパウロのふるまいを思い出してください。群衆によってもみくちゃにされた後、公衆の面前で厳しく鞭打たれ、投獄されました。大地震ののちに釈放されようとするとき、パウロは初めて自分の市民権を主張したのです。パウロは、自分がローマ市民であることを矢鱈に振りかざさず、いざというとき、必要な時にそれを主張したということは、私たちにも教訓を与えるのではないでしょうか。水戸黄門が、葵の印籠を掲げて諸国を漫遊したのではなく、ここぞという時に助さんと角さんがご老公の代わりに振りかざすようなものです。

・市民権を「買った」千人隊長と世襲したパウロ:
百人隊長は、びっくりして千人隊長・クラウディオ・ルシヤに報告します。駆けつけた千人隊長はパウロに尋ねます。「あなたは(そんな見かけとそんな身なりをしていながら)ローマ市民なのか、私に言ってくれ。」パウロは涼しい顔をして「そうです。」と答えます。そのころ身分証明書のようなものがあったのか、それは不必要であったのか分かりません。いずれにせよ、状況は千人隊長にとって不利です。彼は「私はたくさんの金を出して、この市民権を買ったのだ。」と正直に、しかし、恥ずかし気に説明します。実は、ローマの歴史において、クラウディオ皇帝の時代(41〜54年)に市民権を金(一種の賄賂)で買い取るという慣行が横行しました。その時に大金で買い取った一人がこの千人隊長で、そのために「クラウディオ」という名前が付けられたと考えられます。これに対してパウロは、胸を張って「私は生まれながらの市民です。」と言いました。パウロのお父さんあるいはお祖父さんがローマの植民市であるタルソで大きなビジネスをしていたため、その功績のゆえにローマ市民権を与えられ、それが子供たちに世襲されたものと思われます。

・千人隊長、鞭打ちを停止:
この会話を聞いていた百人隊長とその部下たちは、千人隊長の指示を待つまでもなく、パウロから離れました。千人隊長も、とんでもないことをしてしまったと、後悔の念に駆られました。

・ルカの編集意図:
さて、使徒の働きの記者であるルカは、なぜこのような法律的問題を詳しく記録しているのでしょうか。それは、ルカのスポンサーであり、使徒の働きを献呈する対象であったテオピロを意識しているからと考えられます。ルカは、キリスト教が、生まれては消える新興宗教ではなく、ローマ社会の中でもきちんとした位置づけを持つ合法的な宗教であることを立証したかったからです。そのためにローマ市民権を持つパウロがそのリーダーであったことを強調したのです。
 
4.千人隊長、議会を招集する(30節)
 
 
「その翌日、千人隊長は、パウロがなぜユダヤ人に告訴されたのかを確かめたいと思って、パウロの鎖を解いてやり、祭司長たちと全議会の召集を命じ、パウロを連れて行って、彼らの前に立たせた。」
 
・全議会の招集:
パウロの鎖は当然のように解かれました。さらに、千人隊長は自らの職権をもって、ユダヤのサンヒドリン議会を招集します。こんなことがあり得るのかと疑問に思う方があるかもしれませんが、ローマ政府の権威はことほど左様に高いものであったのです。千人隊長は、エルサレムの治安に関しては、総督と同じような権限が与えられていました。ですから、千人隊長は、扇動されたユダヤ人群衆によって訳も分からないうちに処分されそうになったパウロを、ユダヤ社会の正式な議決機関であるサンヒドリン議会に掛けることによって、その「罪状」を確かめたいと願ったのです。サンヒドリンは、神殿の南西に位置しており、アントニアの塔から至近距離にありました(神殿全景参照)。正式なサンヒドリンの建物に入ったか、その外かは分かりません(千人隊長は、建物には入れないでしょうから)。そこで何が起きたのか、興味のあるとことですが次回に譲ります。

 
終わりに:特権を主張する場合、控える場合、どちらも主の栄光のため
 
 
私たちにも、それぞれ生まれながらの基本的人権が与えられています。その他にも様々な権利とか特権が与えられています。主の証しのためにそれらを主張すべき時もあるし、証しのためにそれを控える時もあります。例えばパウロは、伝道者としてみ言葉を伝えるものとしての当然の報酬を受ける権利を持っていました。他の伝道者のためにはそれを公に主張しましたし、信徒たちには伝道者を支えるようにと強く勧めてさえいます。しかし、かれは、自分のためには、様々な理由からその特権をあえて主張せず、固辞さえしました。コリント人への第一の手紙の中でこう記しています。「もし、ほかの人々が、あなたがたに対する権利にあずかっているのなら、私たちはなおさらその権利を用いてよいはずではありませんか。それなのに、私たちはこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えまいとしてなのです。同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。」(9:12、14〜15,18)彼は、福音に妨げとならないように、「自分の誇りのために」「永遠の報酬を期待しているから」とその理由を説明しています。

しかし、社会正義のために権利を貫く場合もありました。それが今日学んだケースです。どちらの場合でも、彼はすべてを「主の栄光のために」致しました。日本橋教会時代の蔦田二雄先生のエピソードをうかがったことがあります。町内会のお祭りに協力しなかったために、お神輿を担いだ若い人々が教会の玄関を壊していったそうです。蔦田先生は、責任者を訴えました。責任者たちが裁判を取り下げてほしいと、雁首揃えて謝りに来たそうです。二度とこのようなことをしないという念書を取って、許してあげたそうです。なんとも胸のすく物語です。

社会生活を行っているとき、証しのために権利を保留する場合もあるし、証しのために権利を主張すべき時もあります。いずれも、主の栄光のためです。私たちの判断において、神の知恵と恵みを求めましょう。
 
お祈りを致します。