礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2015年11月15日
 
「パウロ、カイザリヤに護送」
使徒の働き連講(67)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 23章16-35節
 
 
[中心聖句]
 
  31-   兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンテパトリスまで連れて行き、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った。騎兵たちは、カイザリヤに着き、総督に手紙を手渡して、パウロを引き合わせた。
(使徒の働き 23章31-33節)


 
1.パウロの甥の進言(16〜24節)
 
 
「ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営にはいってパウロにそれを知らせた。そこでパウロは、百人隊長のひとりを呼んで、『この青年を千人隊長のところに連れて行ってください。お伝えすることがありますから。』と言った。百人隊長は、彼を連れて千人隊長のもとに行き、『囚人のパウロが私を呼んで、この青年があなたにお話しすることがあるので、あなたのところに連れて行くようにと頼みました。』と言った。千人隊長は彼の手を取り、だれもいない所に連れて行って、『私に伝えたいことというのは何か。』と尋ねた。すると彼はこう言った。『ユダヤ人たちは、パウロについてもっと詳しく調べようとしているかに見せかけて、あす、議会にパウロを連れて来てくださるように、あなたにお願いすることを申し合わせました。どうか、彼らの願いを聞き入れないでください。四十人以上の者が、パウロを殺すまでは飲み食いしない、と誓い合って、彼を待ち伏せしているのです。今、彼らは手はずを整えて、あなたの承諾を待っています。』そこで千人隊長は、『このことを私に知らせたことは、だれにも漏らすな。』と命じて、その青年を帰らせた。そしてふたりの百人隊長を呼び、『今夜九時、カイザリヤに向けて出発できるように、歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人を整えよ。』と言いつけた。また、パウロを乗せて無事に総督ペリクスのもとに送り届けるように、馬の用意もさせた。」
 
・パウロの甥の通告:
パウロの甥がユダヤ人たちが企んでいるパウロ暗殺計画を千人隊長に報告します。

・千人隊長の果断な処置:
千人隊長は、事態の重大さを察知して果断な処置を行います。その夜のうちに部隊を整えて、ユダヤ人過激派の手が届きにくいカイザリヤに送ってしまおうとしたのです。ユダヤ人過激派の先手を打ってしまおうという作戦で、見事というほかはありません。二人の百人隊長と歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人がたった一人の囚人を護送するというのですから物々しいことです。過激派の渦巻くエルサレムを脱出するためには、この位の用心が必要と考えたのでしょう。実は、パウロにとって、このカイザリヤ移送がローマ行きの第一歩となるのです。しかも、その旅費はパウロの個人負担ではなく、ローマ政府持ちであり、しかもカイザリヤまでは、馬まで用意されていたのですから神の御業は不思議です。

・神の摂理の巧みさ:
エルサレム到着後の出来事が、このように生き生きと描かれていることには意味があると思います。使徒の働きの記者であるルカが、この出来事を間近に見て、その中に働き給う神の助けと摂理の業を強調したかったからなのです。
 
2.千人隊長の手紙(25〜30節)
 
 
「そして、次のような文面の手紙を書いた。『クラウデオ・ルシヤ、つつしんで総督ペリクス閣下にごあいさつ申し上げます。この者が、ユダヤ人に捕えられ、まさに殺されようとしていたとき、彼がローマ市民であることを知りましたので、私は兵隊を率いて行って、彼を助け出しました。それから、どんな理由で彼が訴えられたかを知ろうと思い、彼をユダヤ人の議会に出頭させました。その結果、彼が訴えられているのは、ユダヤ人の律法に関する問題のためで、死刑や投獄に当たる罪はないことがわかりました。しかし、この者に対する陰謀があるという情報を得ましたので、私はただちに彼を閣下のもとにお送りし、訴える者たちには、閣下の前で彼のことを訴えるようにと言い渡しておきました。』」
 
・手紙の存在と中身:
なぜ、ローマ高官同士の手紙がルカの知るところとなったか不思議ですが、考えられることは、24章に記されているペリクス総督による審判の時に、これが読み上げられ、それをルカが聞いていたという説明です。

・クラウデオ・ルシヤ:
千人隊長の名前がここで初めて紹介されます。前回もお話ししたように、クラウデオはローマ名で、皇帝にあやかったものと思われます。ルシヤはギリシャ名で、彼の民族的出自を示しています。

・ペリクス総督:
さて、この手紙の宛先であるペリクスについて説明します。ペリクスは52−59年にユダヤを統治したローマ総督でした。その頃のユダヤの状況は、今日の「イスラム国」のようにテロリスト集団が渦巻いていて、誰が総督になっても収拾困難なものでした。ペリクスは、皇帝クラウデオの母の奴隷だった男です。彼女の恩顧で、自由人とされ、その後昇進しまし。彼の特徴は、情欲と残忍です。最初の妻は、アントニウスとクレオパトラの孫娘、二番目の妻はヘロデ家のドルシラ、三番目は名前知らず、ともかく女性に関するスキャンダルで知られていました。また、ユダヤ人に対する残忍な扱いでも悪名高い男でした。タキトゥスという歴史家は、ペリクスについて、「彼は王様のような力を、奴隷的な心で行使した」と記しています。

・事柄の報告:
ペリクスのいい加減さはさておいて、ルシヤ隊長は、格式通りの丁寧な手紙を書きます。自分が、パウロをローマ市民と知らずに乱暴に扱った失敗には一言も触れず、民衆が乱暴に扱ったローマ市民を救出した功績だけを強調します。聖書は、本当に人間臭い記録ですね。そして、パウロを正式なユダヤ議会で審問したことも誇らしげに報告します。

・カイザリヤに送る理由:
ルシヤは、その審問でもパウロの罪が確証できなかったこと、その上、パウロを暗殺しようとする陰謀が起きていて、エルサレムで拘留を続けることは危険なこと、従って、総督の滞在するカイザリヤで審問を受けることが妥当と考え、彼を護送することを手短に述べます。まあ、なんと上品で官僚的な作文でありましょうか。
 
3.カイザリヤに護送される(31〜35節)
 
 
「そこで兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンテパトリスまで連れて行き、翌日、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った。騎兵たちは、カイザリヤに着き、総督に手紙を手渡して、パウロを引き合わせた。総督は手紙を読んでから、パウロに、どの州の者かと尋ね、キリキヤの出であることを知って、「あなたを訴える者が来てから、よく聞くことにしよう。」と言った。そして、ヘロデの官邸に彼を守っておくように命じた。」
 
・アンテパトリスへ:
千人隊長が夜、急に思い立った護送軍団ですから、短時間の準備の後、夜9時出発ということになりました。先ほど述べましたように、騎兵、歩兵、槍兵の編成です。当然、目的地のカイザリヤに直行はせず、少し回り道ながらアンテパトリスを目指します。エルサレムから60km弱の道のりです(地図参照)。アンテパトリスは、名前が示すように、ヘロデ大王が建て、その父アンテパスに因んで付けた近代的な町です。ローマ兵が常駐していました。一行が着いたのは真夜中であったのですが、そこでエルサレムからの守備兵はパウロを引き渡して、エルサレムに戻ります。ここからの旅は危険が伴わなかったので、少数の騎兵で間に合ったと思われます。

・カイザリヤ到着:
夜が明けてから、騎兵たちがパウロを護送してカイザリヤに向かいます。アンテパトリスからカイザリヤは約40kmですから、楽に到着したことでしょう。

・カイザリヤ:
カイザリヤについては、以前お話したことがありますが、BC10年に、ヘロデ大王によって建てられた超近代的な、そしてギリシャ・ローマ的な雰囲気の満ち満ちていた美しい町でした。ヘロデ大王が、ローマの初代皇帝カイザル・アウグストに因んで(いわばゴマを擦って)命名したものです。そこには、ヘロデ大王も、また、ローマ総督も宮殿を構え、さらに、商業の中心地としても栄えていました。住民のほとんどが外国人という国際的な町でもありました(絵図参照)。

・ペリクス総督の対処:
ここでペリクスは、パウロと直接に会い、その出身地を確かめました。それは、裁判の管轄権を決める目的でした。パウロがキリキヤ州出身であることを聞くと、それは、ペリクスの管轄でもあることを知って、自分が裁くことにしました。それで、訴える側の到着を待つために、パウロをヘロデ官邸の一角に留置することにしました。それは、ヘロデ大王が大変なお金をかけて建てた立派な官邸でしたが、この時はローマ総督の居住のために使われていました。これは、通常の牢獄と異なります。パウロはここで、ほぼ客人待遇を受けました。実は、これが大切なポイントです。パウロは、全く自由ではないものの、外からの来客と面談するなど、かなりの自由さが与えられていましたし、衣食などの点でも不自由はなかったと考えられます。

・パウロのカイザリヤ滞在(2年間)の意味:
これから約二年間、パウロはカイザリヤに滞在することになります。その間の審判は使徒の働きに記録されている限りペリクス総督の前で1回だけ、それから2年間放置されて、次の総督であるフェストがやって来た時の合計2回だけです。@パウロにとって、活動から活動の忙しい生活を送った20年間の後の大きな休息となったことでしょう。私たちも休みなく働いた生活から、急に入院とか休みを強制されることがあります。これは、恵みの時です。Aパウロの弟子であるルカにとって、この期間は、ルカ執筆のためのリサーチの時であったと思われます。彼は、先生であるパウロが囚われていた期間、パレスチナをあちこち旅行し、インタビュウを行い、ルカ伝執筆のための資料を集めたと思われます。この期間がなければ、ルカ伝は今のような形ではなかったことでしょう。私は、すべての中に、私たちの生涯のあらゆる出来事を支配し給う神の不思議な摂理を感じます。私たち一人ひとりも同じではないでしょうか。今押しつぶされそうな多忙な活動期にある方、反対に、それらの活動から離れてセラの時を持っておられる方、その一コマ一コマに、主は目的をお持ちであると信じます。それに委ねて、今の立場を感謝しつつ主に仕えましょう。
 
終わりに:私たちの人生の細部まで動かしておられる神の導きを感謝しよう。
 
 
主は、私たちの人生の細部に至るまで、そのお知恵をもって導き、先立ち、支えてくださるお方です。それを認めて、主に従っていきましょう。
 
お祈りを致します。