・メシヤ来臨を待っていた人々: キリストが人の姿をもって世に来られたことを、再臨の前の現れという意味で「第一の降臨」とも呼びますが、その第一降臨(つまり、クリスマス)の時も、多くの人々が長い間メシヤの来臨を待ちわびていました。しかし、来臨の日時が何年、何月、何日、何時何分と指定されていなかったために心の備えをしていた人は少数でした。しかし、少数はありましたが、主の来臨を心から待ち望んで、心の備えをしていた者もおりました。その一人が老シメオンであり、もう一人が老婦人アンナという老婦人です。今日はアンナについてお話ししましょう。ルカ2:36−38を読みます。「また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、84歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。」 |
・政治的メシヤ待望の強かった時代: 紀元前1世紀のイスラエルは、ローマ帝国による鉄の支配が行われており、その艱難の深さに比例してメシヤ待望は強いものとなっていました。この人々は、メシヤ待望を過激なテロ活動に結びつけ、ローマからの独立を勝ち取ろうと戦った人々です。 |
・霊的メシヤを待望する少数の人々: その一方、霊的な救いを齎すメシヤを待望して、祈り求めるグループもいました。アンナとその友達のシメオンが属していたのは霊的「メシヤ待望」グループでした。彼らは「イスラエルの慰められること」(25節)を待ち望み、「エルサレムの贖いを待ち望んで」(38節)いました。シメオンは特別に、「主のキリストを見るまでは、決して死なない」と、聖霊のお告げを受けていました(26節)。因みに、キリストという言葉とメシヤとは同じ意味です。 |
・アンナ=メシヤ待望祈祷会のリーダー: アンナは、メシヤ待望祈祷会のリーダーでした。因みに、アンナとは、「恵み」(grace)という意味です。教会にも「めぐみ」さんという名前が多くおられますが、そのような一般的名前だったのでしょう。さて、アンナは、7年間の結婚生活を送りましたが、主人を早く亡くし、その後の長いやもめの生活を送るようになりました。辛いことも沢山あったことでしょうが、それによって人生に苦さを感じるのではなく、むしろ、祈りへの専念の道を選びました。宮を離れないで、と記されていますが、神殿の一角で寝泊まりしたわけではなく、宮で住んでいるかのように毎日通ったのです。そこでおしゃべりしたり、他の活動というものに打ち込んだのではなく、ただひたすら、祈りと断食に身を委ねました。 |
・女預言者アンナ: アンナは預言者だったと記されています。その祈りと断食の中に、神の霊に満たされ、神からの啓示を受け、それを周りに人々に語るようになりました。その大切な啓示が、メシヤ来臨でした。シメオンが、キリストの来臨は近い、それは彼の生きている間に起きると確信したのは、アンナへのみ告げのゆえだったかもしれません。そのみ告げが明らかになって以来、それまで以上に、祈りに打ち込む生活に入りました。彼女は祈りのグループにもその啓示を分かち合い、期待に胸膨らませながら祈り続けました。 |
・待つ人の心: アンナの姿勢から学ぶことは、「待つ人の心」です。 |
@一点集中: アンナは、他のもの、他の事柄に目を向けず、メシヤの来臨という一点に目を向け、それに世界とイスラエルと自分の期待を集中して祈り続けました。詩篇の中にも数多く「待ち望む」という言葉がありますが、アンナは正にメシヤを待ち望んでいました。それだけが、彼女自身の希望であり、イスラエル全体の希望であったからです。 |
Aグループ祈祷: 彼女は、一人で待ち望んでいたのではなく、同じ希望を持つ同志と共に祈り続けました。祈りを通して心が通い、祈りを通して希望が燃え上がっていったのです。 |
B常在戦場: さらに、何時メシヤがお出でになるかわからないので、いつでも備えして待っていました。そのために、彼女もそのグループも、「昼も夜も」祈り続けていました。 |
・答えられた祈り: そしてその祈りは見事にこたえられました。イエス誕生から40日後後、子供の祝福のためにエルサレムに上ってきたヨセフとマリヤを見たとたん、シメオンはその時が来たことを直感して幼子イエスを抱いて、「私の人生は目的を果たした、私はいつでも死ねる!」とばかりに神の憐みを心から感謝します。それを見たアンナは、祈りのグループと共に神を賛美しました。 |