礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2016年1月3日
 
「深みに漕ぎ出だして」
2016年の挑戦
 
竿代 照夫 牧師
 
ルカの福音書 5章1-11節
 
 
[中心聖句]
 
  4   深みに漕ぎ出して、網を下ろして魚をとりなさい。
(ルカの福音書 5章4節)


 
聖書テキスト
 
 
1 群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、2 岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。3 イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。
4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。
7 そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言った。9 それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」11 彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。
 
はじめに
 
1.2016年を展望して
 
 
明けましておめでとうございます。迎えました2016年が、お一人ひとりにとって豊かな祝福の年となりますようお祈り致します。今年は、福音派の諸教会にとって第六回伝道会議の年となります。新たなビジョンを与えられて、教会が共に新しい進発をすることが期待されています。
 
2.奇跡的大漁の記事
 
 
@主イエスの伝道の初期(ルカ5章):上記に掲げました聖句は、奇跡的大漁に関する記事です。この出来事は、主イエスの伝道の初期に起きたもので、ペテロたちの召命との関連で記されています。

A主イエス復活後(ヨハネ21章):もう一つの奇跡的大漁は、主イエスの復活後に起きた出来事で、ヨハネ21章に記されています。
 
A.主の挑戦
 
 
さてルカ5章の物語は、主がガリラヤ湖畔に立ち、ペテロに舟を漕いで貰って岸近い水辺で説教なさったところから始まります。説教を終えた主イエスは、ペテロに対して、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と語られました。私はこの言葉から、いくつかの挑戦を受ける思いが致します。
 
1.諦めに対する挑戦
 
 
一つは、諦めに対する挑戦ということです。

・夜通し働いたが不漁:
ペテロたちは、その前夜、夜通し漁をしましたが一匹も魚がとれませんでした。プロの漁師が、一晩中汗を流しながら網を打ち続けて不漁ということですから、もう可能性はゼロ以下です。

・諦めていたペテロへ挑戦:
彼らは、これだけやっても駄目だから駄目だ、と諦め切っていたことでしょう。その証拠に、彼らはもう漁は終わりとばかりに網を洗っていました。「その舟から降りて網を洗っていた。」(2節)のです。それを知りつつ主は、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と挑戦されました。

・日本伝道について諦めていないか?:
私たちにも、伝道に関して諦めはないでしょうか。日本は固い土壌だから無理、150年かかっても1%の壁を越えられなかったのだから、土台無理と考えがちです。日本という大きなスケールでなくても、私が祈っている〇〇さんは、仲々福音に心を開かない、一生かかっても無理ではないかと思いがちです。でも主はおっしゃいます。「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と。
 
2.常識に対する挑戦
 
 
もう一つは、常識に対する挑戦です。

・夜の漁が常識:
プロであるペテロたちは、魚をとるベストタイムは夜であると信じていました。静かな夜であれば、休んでいる魚も、光に寄って来るので漁をしやすい、これが漁師仲間の常識でした。

・プロでない主イエスの挑戦:
しかし、漁師の経験のない大工上がりの主イエスが、太陽の昇っている朝方に、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言うのです。

・ペテロは従う:
ペテロは、「漁のことはご存じない先生が何をおっしゃいますか、あっしは、漁のプロですぜ」と呟きたい気持ちだったことでしょう。しかし、彼は、その常識外れのアドバイスに従いました。なぜ?彼は、小舟に座って説教をなさる主イエスの権威に圧倒される思いだったからです。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」と素直に従ったのです。ここで出てくる「先生」(エピスタタ)はルカだけが使った言葉で、「司令官」を意味します。ペテロは、主イエスの権威を認めたのでしょう。

・固定観念から自由になろう:
私たちも、伝道に関して、その他の営みに関して、これが常識という枠をはめて、新しいことに挑戦することを躊躇することが良くあります。主の導きであったならば、どんなに常識外れのことであろうとも、計算を度外視してやって見ようというチャレンジ精神が必要ではないでしょうか。
 
3.個人およびグループへの挑戦
 
 
3つ目は、個人およびグループへの挑戦であったということです。

・個人的挑戦:
「漕ぎ出して」とは、ペテロ個人に向けられた単数命令形です。ペテロ個人にやってごらんと挑戦されたのです。

・グループ的挑戦:
ところが「網を下せ」は複数命令形です。これは共同作業だからです。この場合は、ペテロと弟のアンデレの共同作業が意味されています。主の働きにも個人としてなすべきこと、グループ作業としてなすべきことの両面があります。
 
4.深さへの挑戦
 
 
4つめは、深さへの挑戦です。

・霊的深みを目指して:
主は、「深みに漕ぎ出して」と語られました。もちろん、ここで言う深みとは、ガリラヤ湖の沖の水深を意味しているのですが、霊的な深みと読み取ることもできましょう。

・岸辺で「お茶を濁さない」ようにしよう:
主の挑戦は、信仰の深み、愛の深み、希望の深みへの挑戦です。主イエスのペテロへの命令を比喩的に捉えてA.B.シンプソンが作った讃美歌が「父なる神の恵みは」です。

父なる神の恵みは、限りなき海ぞ
艫(とも)綱(づな)を解きて沖へ、漕ぎ出でて見よや

  沖へ出でよ、岸辺離れ
  神の恵みの潮(しお)に流さるるまで

或る者は僅か漕ぎて、岸近く迷い
岸辺打つ大波にて 打たれ沈みけり

いざ出でよ、沖へ出でよ、救いの潮(うしお)に
押し流されて深みに 見えずなるまでは

信じるという営みにおいて、ある程度は信じるが、生涯をかけてまで信じるのはどうかと、お付き合い的な信仰に陥ってはいないでしょうか。どうせ信じるなら、どっぷりと神の善と愛を信じて、信仰に浸かっては如何でしょうか。
 
B.ペテロの応答
 
1.主への信仰と服従
 
 
・トライ・アゲインのスピリット:
ペテロは、主のみ言葉に従い、再度舟を漕ぎ出して沖へ行き、網を下しました。人間的に見れば、ずいぶんしんどかったことだろうと同情します。網はすでに洗ってあり、畳んであったからです。それをもう一度拡げて再挑戦するということは大きな労力と気力を必要としました。私たちも、今まで何度も失敗だったかも知れないが、もう一度やって見ようという信仰の挑戦をさせていただこうではありませんか。昨年ノーベル賞を頂いた梶田さんにしても、また大村さんにしても、何度も何度も失敗しても諦めない再挑戦の賜物であったと伺っています。

・主のみ言葉に従うスピリット:
「再挑戦」を支えたものは、主のみ言葉でした。ただ闇雲にトライしたのではありません。今年の初めに、皆さんは新年のみ言葉を与えられなさったことと思います。これは単なるモットー、努力目標というのではなく、主からの語りかけであったと信じます。もしそうでありますならば、そのみ言葉に従って行動し、そのみ言葉の実現を信じて進みましょう。
 
2.奇跡的大漁
 
 
・網が裂けそうに:
ペテロが網を下したとき、待ってましたとばかりに魚がどっと入ってきました。網が裂けそうになった、とルカは記しています。裂けた訳ではなく、避ける危険を感じるほどの重さだったのです。

・船が沈みそうに:
ペテロは、友達であるヨハネ、ヤコブ達にSOSを出しました。声が届かなかったほど沖にいたので、合図で助けを求めたのでしょう。彼らが自分たちの舟でかけつけ、一緒に網を引き揚げようとしましたが、それでも二艘とも沈みそうになった、それほどの大漁でした。
 
3.大漁の副産物
 
 
・罪深さの自覚と告白:
この物語で不思議なのは、「私を去ってください、私は罪あるものですから」というペテロの告白です。なぜ、ペテロは奇跡的大漁を自分の罪と結びつけたのでしょうか。一つには、この出来事の中に表された主イエスの聖さに恐れと尊敬を感じたことが理由でしょう。更にその聖いお方に対比して、自分は何と俗っぽく、目先に利益にしか動かない罪深い人間かという自己反省がやってきたのでしょう。彼は、自分を聖くしてくださいとは敢えて求めず、私を去ってくださいと謙虚に求めました。

・さらなる大漁の約束:
主は、去ることもせず、聖くなれともおっしゃらず、話題を別の方移されました。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」主は、魚の大漁ではなく、人間の大漁を約束されました。そこには、主と同じ聖さを分かち与え、主と同じ力を与えるとの約束が含まれています。ペテロと他の三人は直ちに従って行きました。
 
終わりに:私の目指すべき「深み」を考えよう、そして漕ぎ出そう
 
 
主のご命令に私たちの思想を戻します。主は、「深みに漕ぎ出して、網を下せ」と語っておられます。それぞれの環境や立場において、具体的は何の深みであるかは、各自で異なることでしょう。それでよいのですが、主が私に、どんな深みに漕ぎ出すべきか自問し、答えが与えられたら、それを実行しましょう。主の御業としての大漁を信じながら。
 
お祈りを致します。