礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2016年3月6日
 
「囚人が『船長』になる」
使徒の働き連講(72)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 27章1-26節
 
 
[中心聖句]
 
  25   皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。
(使徒の働き 27章25節)


 
前回のメッセージ:「私のようになってください」という言葉の重み
 
 
前回は、ローマ皇帝に上訴したパウロが、カイザリヤのローマ総督フェストと地方国主のアグリッパ2世によって予備審問を受けた記事を学びました。弁明に立ったパウロは、臆することなく自分の証しをし、たじたじとなったアグリッパ王に対して、「王様、どうか私のようになってほしい」と締めくくった小気味よい語り口から、私たちの証しの態度について学びました。

今日はその続きです。ローマ行きが決まったパウロは、ローマ兵に護送されて海路ローマへ向かいます。この船旅が実に詳細にわたっていて興味深いのですが、その理由はパウロの弟子ルカが同船し、その一部始終を書き残したからです。特に嵐にぶつかった時の対応の記録は、古代の操船技術を知るための貴重な歴史資料ともなっています。
 
1.カイザリヤからミラへ(1〜5節)(地図参照)
 
 
「さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。そこから出帆したが、向かい風なので、キプロスの島陰を航行した。そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した。」
 
・ローマ護送団:
カイザリヤのローマ総督フェストは、パウロをローマへ護送する軍団を編成します。ユリアスという親衛隊の百人隊長を団長に彼の部下、囚人はパウロとその他の数人、それに随行者たちという大部隊です。この百人隊長は、「親衛隊」と態々説明されていますが、普通の隊長ではなく、皇帝との直の繋がりを持った部隊の隊長だったようです。名前が、カエサルの個人名と同じですが、ユリウス・カエサルとつながりのある人物だったと思われます。パウロの弟子はアリスタルコおよびルカです。(名前は記されていませんが、1節の「私たち」という言い方が戻ってきたことがそれを示しています。)

・船(アドラミテオという中型船):
船はアドラミテオという中型船です。アドラミテオとは、トロアスの南にある港町の名前で、恐らくそこを拠点として小アジヤ沿岸の町々を寄港しながら進む中型の船であったと思われます。

・パウロへの厚遇(寄港地での自由時間):
他の囚人たちは、ローマで処刑される既決囚だったようです。しかし、パウロは囚人とはいっても、皇帝に上訴中ということで、特別待遇を受けました。寄港したシドン港では、そこに存在していたクリスチャンたちを訪問する自由が与えられたほどでした。勿論、監視の兵士が付いて行ったことは確かだったと思われますが・・・。地中海クルーズ程ではなかったにせよ、パウロはこの旅をエンジョイしたことでしょう。
 
2.ミラからラサヤへ(6〜8節)(再度地図参照)
 
 
「そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた。幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。」
 

・船の乗り換え(ミラで、大型船に):
ミラという港で、アレキサンドリヤからローマへ小麦を運ぶ大型運搬船で、優に300人は乗れる船に乗り換えます。パウロ護送団はさらに西へ向かいます。ローマ帝国の穀倉であったエジプトからは、大量の小麦がローマに送られていました。ローマ帝国は、ローマ市民にパンを配ることで、その統治を確立していたからです。

・遅い船足(クレテ島の東岸から西向きに):
冬が近づいていたため風向きが悪く、ミラを出発した船はクニドの沖にようやくたどり着き、逆風を受けながら、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、クレテの南岸の中央にあるラサヤ近くの「良い港」に着きました。
 
3.危険な出発(9〜13節)(再度地図参照)
 
 
「かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、『皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。』と言った。しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。」
 
・出港の危険についてパウロが警告する:
パウロは、三回に亘る伝道旅行の半分を船で行った経験から、断食の季節(10月頃)の地中海旅行の危険性を熟知していました。風向きは反対方向(西風)ですし、嵐の可能性が強かったからです。そこで囚人という立場でありましたが、進言するのです。「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。」パウロが信仰者だからいつもその判断が正しい、と短絡的な結論は出せませんが、信仰者が過去の経験と知識に基づき、深い祈りによって導き出された示唆には重いものがあります。私たちも、それぞれの属するグループにおいて存在感と影響力を持つことができるし、それが期待されています。パウロは、優れた実務家でした。

・航海士と船長は、利便性だけを考えて出港を強行する:
ユリウス隊長は、パウロ個人は尊敬していましたが、専門外のアドバイスには従う必要はないと考えました。そして、航海士や船長の判断をより重要なものと考えたのです。ある意味で、これは自然とも思えます。もう一つ、大多数の意見は、願望に基づくもので、クレテ島南岸の「良い港」で越冬するより、西岸のピニクスまで一航海して、より広くて便利な港に行き、そこで越冬しよう、その方が便利だし楽しいしというものでした。さらに悪いことには、その時ちょうど南風がそよそよと吹いて来たのです。「海路の日和」だ、と感じた護送団は、早速錨を上げて出帆しました。Zimmerman作曲の「錨を上げて」という行進曲がありますが、今ならそんな歌を歌いながらの楽しい出帆だったことでしょう。それが、重大な結果をもたらすとはだれも思いつきませんでした。ちょっとした油断、しかも、安全より安楽を求める決断が重大事故を起こすことは、私たちが今新聞記事でよく見るケースです。
 
4.ユーラクロン(14〜20節)
 
 
「ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした。しかしクラウダという小さな島の陰にはいったので、ようやくのことで小舟を処置することができた。小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた。私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。」
 
・ユーラクロンが襲う:
鼻歌を歌いながら出帆したアレキサンドリヤ船でしたが、たちまち風向きが変わり、強い北東の風が襲ってきました。ユーラクロン(文字通りにはユーロス=東風とアクウィロ=北風の合成語、正確には東北東の風)という名前です。クレテ島の南側を中心部から東側に移動することだけを考えていた船足は、南西方向へと押し流されていきます。

・船を救うための懸命な戦い:
その嵐に立ち向かう船員たちの戦い、その嵐の凄まじさが実にリアルに描写されています。「風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした」「小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた」「船具をはずして流れるに任せた」「積荷を捨て始め、船具までも投げ捨てた」その説明は省略しますが、その中にいたものでなければ書けない迫真の描写です。この戦いに加わったのは船員だけではなく、船客であるルカも一緒だったことが、「私たちが・・・」という一人称複数の代名詞が使われていることからわかります。大量の小麦を積んでローマに向かっていたアレキサンドリヤ船が、一番大切なその小麦を次々と海中投棄をせざるを得なかった苦労を想像してください。それでも船は助からず、船自体がバラバラになるような危機が続きました。

・絶望状態に陥る:
「太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた」もう生きる望みを全く失った状況に追い込まれました。船酔いもあり、危機感もあり、人々は何日も食事する気力もなく、死を待つばかりになっていました。
 
5.主による励まし(21〜26節)
 
 
「だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。『皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。』」
 
・パウロは、「船長」のように人々を励ます:
この危機的状況にあって、囚人であるパウロは、実質的には「船長」の役割を果たしています。まずパウロは、船長と百人隊長その他の人々がクレテ島を出発するにあたって、パウロの勧告を受け入れなかったことを指摘します。その結果大変な危険に遭遇し、大きな損害を被ったことを反省すべきと指摘します。腹の中では、「それ見たことか」と言いたかったことでしょうが、ぐっとそのセリフを飲み込みます。そうではなくて、パウロは、ここで「励まし手」としての役割を果たします。パウロはまず、人々の生命は保証されると言って安心感を与えます。クレテ島を出発するときは、「積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。」と言いましたが、それを修正して、船荷と船体は損失するが、生命は救われると言います。出発の時の警告は、いわばパウロの経験と常識に基づいて語ったのですが、今度は、主キリストのみ告げに基づいて確信を持って語るのです。

・主のみ告げ(@パウロはカイザルの前に立つ;A同船者の命も救われる):
パウロは、この嵐の只中で、夜独り静かに祈る時を持ったのでしょう。自分の生涯と奉仕の行く末だけではなく、同船の人々の無事のために切に祈ったことでしょう。その祈りの中で、み使いが見える姿を持って現れ、「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」と明確に語られました。@パウロは、ローマで証しをすること、特に皇帝に謁見してキリストを証しすることを強く願っていましたから、その願いがかなえられること、A更に、(ついでと言っては失礼かもしれませんが、)同船の船員、旅客、囚人みなが命を保つことが保証されました。その際、どこかの島に打ち上げられること、船は失うことも付け加えられました。パウロはその託宣を告げ、自分の言葉を付け加えます「神の語り給うことは必ず成就するから安心しなさい」と。神は、ご自身のみ口から語られることを必ず実現なさいます。これを信じることがキリスト教信仰です。どのようにこれが実現したか、それは次回に譲ります。
 
私たちも「同船者」のために、励まし手となろう
 
 
私たちの人生航路の色々な場面で「同船する人々」がいます。「家庭丸」という船、「クラス丸」という船、「町内会丸」という船、「会社丸」という船、大きくは「日本丸」という船、もっと大きくは「地球丸」という船、私たちは色々な船に乗り合わせています。

パウロは、アレキサンドリヤ丸という船で、立場としては囚人でありながら、その危機に際して「船長」としての役割を果たし、指導性を発揮しました。それは、彼が主との親しい交わりにあったからです。

私たちみんなが船長とは限らないでしょう。しかし、神のみ言葉を捉え、それに従って歩んでいる限り、私たちはどのグループの中にあっても影響力を持つ「励まし手」となることはできます。み言葉を捉え、それに生きる信仰者となりましょう。
 
お祈りを致します。