礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2016年4月3日
 
「キリストはヤコブに現われ」
イースターを越えて
 
竿代 照夫 牧師
 
コリント人への手紙 第一 15章1-7節、使徒の働き 1章12-14節
 
 
[中心聖句]
 
  7   その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。
(Tコリント 15章7節)


 
聖書テキスト
 
 
Tコリント15:1 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。7 その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。
 
使徒1:12 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった13 彼らは町にはいると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たち(ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ)とともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。
 
はじめに
 
 
昨聖日はイースターで、主キリストのご復活を全世界の聖徒たちと祝いました。その後の第二聖日に当たる今日、主イエスの現れの場面の一つを取り出して、復活の意味を考えたいと思います。
 
1.復活後、キリストは何度かご自分を現された
 
 
復活後、昇天前までにキリストがご自分を現されたのは、福音書が記録によると11回です。

・イースター当日:@墓のそばでマグダラのマリヤに;A女性たちに;Bペテロに;Cエマオ途上で二人の弟子に;Dエルサレムで10弟子に
・翌週の日曜日:Eトマスも含む11弟子に
・数週経って:Fガリラヤ湖で7弟子に
・不明:Gガリラヤの山で五百人以上の弟子たちに
・不明:Hヤコブに
・昇天の直前:Iエルサレムで11弟子に
・昇天日(復活後四十日目):Jオリーブ山で百二十名ほどの弟子たちに

この記録の中で、一番目立たず、ひっそりと記録されているのはヤコブへの現れです。今日は、そのヤコブに焦点を当てます。
 
2.ヤコブに現れた背景と理由
 
 
何故、主はそれまで目立たなっかった弟ヤコブに現れなさったのでしょうか。その理由は明確には記されていませんが、それは、ヤコブが辿ってきた屈折した人生が理由であったと思われます。

・イエスの次兄としての平凡な生育:
ヤコブは、父ヨセフ・母マリヤから生まれた「次男」です。主イエスは特別な生まれ方をしましたが、ヤコブは、自然な生まれ方でした。でも家庭の中ではイエスとヤコブは、普通の兄弟でした。そのうちに、ヨセフ、シモン、ユダという弟たちが生まれました。男の子だけで合計5人、更に妹たちも生まれました。その大家族が、大工である父ヨセフに養われていました。ヨセフは割合早く亡くなったようで、イエス兄さんが一家の大黒柱となりました。

・イエスが「出家した」後の困惑
@家計を支える困難:
その大黒柱のイエス兄さんが30歳になったころ、「お母さん、弟・妹たち、今まで世話になりました。これから、私は天のお父様のお仕事をするために旅に出ます。後は宜しくお願いします。」と言って家を出て行きました。一番困ったのはヤコブでした。弟たち妹たちの面倒を見ながら家計を支えて行かなければならなかったからです。
A兄を誇りと思う時期(ヨハネ2:12):
お兄さんは当時人々の話題となっていたバプテスマのヨハネから洗礼を受けました。彼の近くにいたゼベダイの子達のように、ヨハネの弟子位になるのなら未だ理解が出来ましたが、どうもそうではなさそうで、ヨハネ以上の注目を集める預言者的な活動を始めたのです。最初は、兄さんが有名になるのを誇らしく思う気持ちでついて行きました。(ヨハネ2:12「その後、イエスは母や兄弟たちや弟子たちといっしょに、カペナウムに下って行き、長い日数ではなかったが、そこに滞在された。」)
B「狂った兄を」連れ戻したいと思った時期(マルコ3:21、31、35):
しかし、その人気が余りにも高まり、しかも預言者どころか神の子であると主張するに及んで、これは気が狂ったのではないかと心配になりました。実際に故郷ではその噂で持ち切りでした。マルコ3:21を見ますと「イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。『気が狂ったのだ。』と言う人たちがいたからである。」と記されています。ヤコブも半ばそう信じました。あのおとなしい、普通の大工であったイエス兄さんはどうなってしまったのだろう。元の真面目な大工に戻って欲しい、そんな気持ちで兄を連れ戻しに来ては見たものの、兄のまわりの余りのフィーバーぶりに諦めざるを得なかったのが実情でした。「さて、イエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていて、人をやり、イエスを呼ばせた。」(3:31)うろうろしていると、イエス兄さんが、「私にとって本当の家族とは、天のお父様の御心を行う人です。」(3:35)といったものですから、ヤコブ始めみんなは無視されたように感じて、とぼとぼと家に帰りました。

・エルサレムに向かう旅で:
不信仰の告白=ある日、ヤコブが祭りのためにエルサレムに上ろうとしたとき、イエス兄さんと他の弟子たちにぶつかりました。ヤコブは、イエス兄さんに言いました。「あなたの弟子たちもあなたがしているわざを見ることができるように、ここを去ってユダヤに行きなさい。自分から公の場に出たいと思いながら、隠れた所で事を行なう者はありません。あなたがこれらの事を行なうのなら、自分を世に現わしなさい。』(ヨハネ7:3〜4)それは、ヤコブもその弟たちも、兄イエスを神の子としては信じていなかったからです(7:5)。

・十字架が齎したより大きな困惑:
主イエスの十字架の傍らに母マリヤがいたことは福音書記者が記していますが、そのそばにヤコブがいたかどうかは分かりません。私は、ヨハネが十字架上のイエス様によってマリヤの世話を委託された記事から、ヤコブはこの時いなかったのではと想像します。十字架の傍らにヤコブがいたにせよいなかったにせよ、兄が残虐な死刑に遭ったという事実は、ヤコブにショックであったことは確かです。「あの優しい兄さん、そして何の悪いこともしなかった兄さんが、どうしてこんな苦しい十字架につけられなければならないのか。イエス兄は一体何者であったのか」と苦しい思いと共に解けない疑問が残りました。
 
3.ヤコブへの現れ:何時、何処で?
 
 
・イエスが、ガリラヤの山で五百人以上の弟子たちに同時に現われた後(1コリント15:7):
復活の主がヤコブに現れたという記事は、第一コリント書だけにあります。それも、たった一言「ヤコブに現れ」という文章だけです。ただ、パウロが書いた順序が時間的順序に沿ったものであるとすれば、ガリラヤの山で五百人以上の弟子たちに同時に現われ、宣教大命令を出された後ということになります。復活の主がご自分を現されたのは復活後40日間でしたから、その40日間の後半部分と思われます。少なくともイースターの直後でなかったことは確かです。イエスを救い主として信じたい気持ちと、そのイエスが余りにも近しい兄であり、人間的に見過ぎてしまう気持ちとの葛藤に終止符を打ったのが復活のイエスの現われでした。それで十分でした。

・多分ガリラヤで:
主イエスは何処でヤコブに現れなさったか、場所も記されていません。彼らの故郷であるガリラヤか、ペンテコステに向けて祈り会を始めたエルサレムでのことか、ただ言えることは、この現れがヤコブに変化を齎し、その後エルサレムでずっと活動するきっかけとなった、ということです。
 
4.現れがもたらした変化
 
 
状況は分かりませんが、復活の主に出会い、ヤコブの人生が大きく変えられたことは確かです。

・イエスをキリストとして仰ぐ:
想像を交えてその時の状況を考えますと、「ヤコブよ、私が復活したイエスだよ。」「えーっ、兄さん、いやイエス様、あなたは、本当に神の子キリストでいらっしゃったんですね。ごめんなさい、兄さん、いや、イエス様。あなたのことを特別な方ということを薄々知りながら、神の子キリストと素直に言えなくて・・・」「いいんだよ、ヤコブ、でもこれからがあなたの本当の人生なんだ。私の証し人として、他の弟子たちと協力して教会をたててください。」これは、想像に過ぎるでしょうか。でも、要点はこうだったと私は信じています。

・弟子グループに加わり、聖霊の満たしを求めて祈る(使徒1:12〜14):
それまでの不信仰を悔い改めたヤコブは、今まで余り好きではなかったペテロやヨハネにも話し、そして、イエス様の弟子たちの仲間に入れてもらうことにしました。彼らと一緒にエルサレムに行き、イエス様の昇天に立ち合い、それからイエス様が約束した聖霊の満たしを求めての祈り会をに加わりました。

・聖霊に満たされ、エルサレム教会設立に加わる:
ペンテコステにおいて聖霊に満たされた弟子たちの宣教によって誕生したエルサレム教会では、主の弟ヤコブは長老となりました。教会が誕生して約3年後、サウロが首謀者となったエルサレム教会への迫害が起こり、「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」(使徒8:1)のです。ここでヤコブが残ったということは、彼も使徒と同格とみなされていた事を表わしていましょう。

・ペテロと並びエルサレム教会の二本柱の一人に(ガラテヤ1:18、19):
サウロによる迫害が止んでダマスコで回心したサウロは、「それから三年後に、私はケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒にはだれにも会いませんでした。」(ガラテヤ1:18、19)この時、つまり37、38年ごろ、ヤコブはエルサレム教会の指導者として二つの柱の一つとなっていたことが伺えます。44年にヘロデの迫害が教会を襲って「弟子のヤコブ」が殉教し、ペテロも投獄された時、エルサレム教会を守ったのは他ならぬヤコブでした。軌跡的に釈放されたペテロは「しかし彼は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせた。それから、『このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください。』と言って、ほかの所へ出て行った。」(使徒12:17)のです。

・ヤコブ書を記す(ヤコブ1:1):
ヤコブは、祈りの人として人々から尊敬を受け、後にヤコブの手紙を書き、その終わりは名誉ある殉教であったと伝えられています。
 
おわりに:活けるキリストとの出会いは人生を変える
 
 
人間としての主イエスと一番近く生活していたヤコブでしたが、その近さのゆえにイエス様の本当の姿を捉えそこなっていました。しかし、死から甦った主としてイエス様を仰いだ時、ヤコブの人生は変わりました。私たちも復活の主にお会いするとき、人生が変わります。活ける主は、心を開いて求める魂に出会って下さるのです。ヤコブはその手紙の書き出しに「神と主イエス・キリストのしもべヤコブ」(ヤコブ1:1)と自己紹介しているのには意味があります。神とキリストを同格に置いていること、つまりキリストの神たる性質を認めている事は、彼の背景を考えると驚くべき信仰告白です。皆様の中にも、イエスを偉大な人間とは認めるが、神とか救い主としてはもう一つはっきりしない、という方がありませんか。その意味ではヤコブの方がもっと信じることに困難を感じていました。そのヤコブが変わったのは、復活のイエスとの出会いでした。このイエスは今も求める魂に出会って下さいます。皆様はこの主との出会いを経験されましたか。その主に対して僕としてお仕えしていますか。
 
お祈りを致します。