礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2016年5月15日
 
「ペンテコステ経験の核心」
五旬節を迎えて
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 15章1-11節
 
 
[中心聖句]
 
  8,9   人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。
(使徒の働き 15章8-9節)


 
聖書テキスト
 
 
1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。』と教えていた。2 そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。3 彼らは教会の人々に見送られ、フェニキヤとサマリヤを通る道々で、異邦人の改宗のことを詳しく話したので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした。4 エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たちと長老たちに迎えられ、神が彼らとともにいて行なわれたことを、みなに報告した。5 しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、『異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。』と言った。6 そこで使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まった。7 激しい論争があって後ペテロが立ち上がって言った。8 『兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。9 そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。10 それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。11 私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。
 
A.信仰の原点を示す三つの出来事
 
 
今日はペンテコステ聖日です。今日の主題聖句は、そこで起きた出来事そのものというより、18年経った後で、ペンテコステを回顧して語ったペテロの言葉です。読みます、「人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。」これは、48年、エルサレム会議と呼ばれる大切な教会会議の場所でペテロが語った言葉です。「私たちに与えられた」というのは、その18年前、ペンテコステにおいて起きた出来事のことを指しています。「異邦人にも聖霊を与えて」という言葉は、その5、6年後コルネリオというローマ軍の百人隊長に聖霊が注がれたことを指しています。信仰の在り方の原点、或いは原型として、ペテロはペンテコステとコルネリオ事件を考えているのです。この二つ、そして、ペテロが演説を行った場であるエルサレム会議という三つの出来事の概略をまずお話しします。
 
1.最初のペンテコステ(30年)
 
 
・時(紀元30年):
キリスト復活から50日目、昇天からは40日目、10日間の祈りの後

・場所(エルサレムの二階座敷):
最後の晩餐と同じ場所と考えられる

・出来事:
風のような音。舌のような形で現れ一人ひとりにとどまった火、異言による説教

・結果:
多くの人の救いと教会の形成
 
2.コルネリオの回心(35年頃)
 
 
・時:
紀元35年頃

・対象:
異邦人(ローマ人)であるが、真実に神を畏れ、祈っていた百人隊長と家族、および部下(10:2)

・出来事:
ペテロに対して、対象が異邦人であることに躊躇を覚えずに訪問するようにとの促しが与えられた。ペテロが訪問し聖言を語っていた時に聖霊が降った。これは第二のペンテコステとも呼ばれる(11:15、16)。
 
3.エルサレム会議(48年)
 
 
・時(紀元48年):
パウロの第一次伝道旅行の直後

・出来事:
パウロの伝道を通して多くの非ユダヤ人がクリスチャンとなったが、ユダヤ人クリスチャンの中の保守派が、非ユダヤ人クリスチャンも先ず割礼を受けて(宗教的には)ユダヤ人の仲間入りをし、それからクリスチャンとなるべきだと主張した。パウロとその仲間は、この問題で妥協することは、実際的にも、信仰的にも決して出来ないと考え、大論争となった。その時ペテロはコルネリオ事件とペンテコステを結び付けるスピーチを行った。

・結果:
「信仰による救い」原則の確立
 
B.ペンテコステ経験の要点
 
 
この時ペテロが立ち上がり、異邦人への救いは直接なされることを、コルネリオの例を引いて弁明しました。その中でペテロは、ペンテコステとコルネリオの救いを同列に置き、それを振り返って、その経験の要点を語ったのです。彼にとっては、18年前のペンテコステのあの大きな音、舌のように分かれた火、外国の言葉での説教、それによるリバイバル、これらの現象的な、または感情的な興奮に勝って、聖霊経験の最も大切な核心は「心の潔め」だったというのです。8〜11節までのペテロの声明の中からカギとなる言葉を捉えたいと思います。
 
1.私たちの心を知り給う神
 
 
「人の心の中を知っておられる神は」との出だしは、私たちの心に慰めを与えます。神は、異邦人であるコルネリオとその仲間達の心のなかにあった真実な求めや叫びを知り給うお方でした。ローマからはるか離れた(彼らから見れば辺境の)田舎にやってきて、彼らが軽蔑していた被占領民族であるユダヤ人の宗教の中に、ローマの宗教では得られなかった真実さを見、神を求めるようになったそのコルネリオの真実な求道の心を見、そして使者を遣わすまでに顧みて下さったその神をペテロはほめたたえます。

同時に、ペンテコステ前の自分たちの状況と求めも思い出していたことでしょう。弟子たちの心のなかにあった弱さの自覚、力の欠乏、罪の性質とその問題性をすべて知り給う神を思い出していたことでしょう。聖霊に満たしていただかなければどうにもならないという叫びをも知り給う神をほめたたえています。

更に、神は、私達の心の隅々まで知り給う。いわゆる私達が自覚しない潜在意識の奥深く迄知っておられるお方です。どんな時にどんな反応をする人間か、何をしたがり、何を避けたがる人間か、問題を完全に知っておられます。神は私たちの深い部分、人に知られないところで考えていることを全部ご存知です。それは私たちを裁くためではなく、赦し、きよめる為です。今日、その神の前に自分をさらけ出したいと思います。
 
2.聖霊を与え給う
 
 
「私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて」と、聖い霊を与えてくださる神をさんびします。人が生まれ変わるのは、主イエスが、「水と霊によらなければ」とおっしゃったように、聖霊が心に与えられることによるのです。聖霊が人を生かし、神を愛し、神に従う心を与えなさるのです。
 
3.差別なさらない神の業
 
 
9節の「何の差別もつけず」という言葉が鍵です。神の言葉を知っており、学んでおり、実践していたユダヤ人と全く知らないで生きてきた異邦人を差別なさらないお方として、彼は神を捉えていました。これも驚くべき言い方です。聖書を与えて訓練なさったユダヤ人の特権はどうなったのでしょうか。ペテロは、そしてパウロも、彼らの準備的役割を認めつつ、しかし、神の前の一個の魂としては、等しい罪人、キリストの贖いによってのみ救われる罪人と見たのです。その意味で、神は『差別をなさらない』神です。
 
4.心をきよめ給う
 
 
ここでの「きよめる」という言葉(カサリゾー)は、道徳的また儀式的汚れを除く、との意味であり、この場合は道徳的なきよめのことです。しかり、それは心の清めである。ユダヤ主義者達の主張する形の清めとしての割礼(15:5)とは異なるものです。私達の中にある、神の愛ときよきにふさわしくない性質、思い、癖、習慣、それを焼き尽くす神の御業です。これは、聖霊と火によるバプテスマとして表現されています(ルカ3:16)。火は全ての不純物を焼き尽くします。聖霊は清いお方であるだけではなく、清めなさるお方です。聖霊が注がれる経験を、ペテロは、現象的なものにではなく、心のきよめに注目したのは驚くべきことです。そしてそれは正しいことです。
 
5.私たちの信仰によって
 
 
救いは徹頭徹尾信仰によるという原則です。人間の行いによるのではありません。もしそうならば、ユダヤ人は律法を持っているから有利になるわけですが、神はユダヤ人と異邦人の区別をなさいません。信仰によるとは、人間的なまじめさ、努力、勤行が私たちに救いをもたらすものではないことを示します。
 
6.主イエスの恵みによる
 
 
「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」救いは、ただ恵、一方的な神の恵みによって与えられるものです。もし救いが一方的な神の恵みによるとするならば、私たちの誇るところはなくなります。これを見ると、パウロが後に「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。」(エペソ2:8)と救いの原則を纏めていますが、この点で、ペテロとパウロは一致しています。
 
おわりに:ペンテコステの恵みはすべての人に!
 
 
この恵がペテロだけでなく、コルネリオだけでもなく、すべての人に分け隔てなく与えられていることを感謝したいと思います。

アマゾン川を遡っていた船が、自分が川を遡っていることを知らずに、飲料水不足に陥ったと思い、隣を航行していた船に信号を送りました。「ノミミズガナクナッタ、ワケテクレ」となりの船から返電がありました「オマエノソバノミズヲクンデノメ」。そうです、御霊は今日満ち溢れておられます。心を開いて汲んでのみましょう。
 
お祈りを致します。