礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2016年6月5日
 
「勇気づけられる経験」
使徒の働き連講(74)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 28章1-15節
 
 
[中心聖句]
 
  15   パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。
(使徒の働き 28章15節)


 
今までの纏め:
 
 
前回は、「髪一筋も失われない」という題で、絶体絶命のような危機に遭って守り給う神について学びました。ローマに向けてパウロを護送した船は、クレタ島を出帆したとたん大嵐にぶつかり、2週間の漂流を続けて、イタリヤの南のマルタ島に漂着します(ローマへの旅地図参照)。

 
1.まむし事件(1〜6節)ル
 
 
「1 こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。2 島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。3 パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。 4 島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、『この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ。』と互いに話し合った。 5 しかし、パウロは、その生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。 6 島の人々は、彼が今にも、はれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、『この人は神さまだ。』と言いだした。」
 
・マルタ島について(マルタ島の地図と写真@、A参照):
マルタ島はシシリー島の南端から更に南80km離れた小島です。地中海の真珠ともよばれる美しい海に囲まれた島で、観光名所です。近代になってイギリス領となりましたが、今は独立してマルタ共和国になっています。

マルタ島地図

写真@マルタ島の海岸

写真Aマルタ島の岩場

・まむしが出現:
マルタ島民は、難破して漂着した一行に対して心からの「おもてなし」をしてくれました。時は冬で、一行はずぶぬれでしたから、先ず火を焚いて冷えた体を温めてくれました。こんな親切は本当にありがたいものです。パウロも焚き火に協力しようと、柴を一抱えくべようとしたところ、冬眠中の蝮が目を覚ましてのそのそ這い出して、こともあろうにパウロの手にぶら下がったのです。パウロの手に遭った鎖が、彼の行動を不自由にしていたのかもしれません。

・島民の極端な反応(「この人は人殺し」→「この人は神さま」):
それを見た島民は、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ。」と互いに話し合いました。パウロの手にある鎖がこの類推を齎したものと思われます。彼らはギリシャ語(あるいはフェニキヤ語)崩れの現地語で囁き合っていたのでしょうが、パウロには分かりました。しかし、パウロは悠揚迫らず、蝮を火の中に振り落として、何の害も受けませんでした。島民は、彼が今にもはれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていましたが、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、考えを変えて「この人は神さまだ」と言いだしたのです。振子のように右から左への極端な揺れです。パウロは、主のみ言葉を思い出して感謝していたことでしょう。「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人は癒されます。」(マルコ16:17〜18)
 
2.マルタ島でのもてなし(7〜10節)
 
 
「7 さて、その場所の近くに、島の首長でポプリオという人の領地があった。彼はそこに私たちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれた。8 たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。 9 このことがあってから、島のほかの病人たちも来て、直してもらった。 10 それで彼らは、私たちを非常に尊敬し、私たちが出帆するときには、私たちに必要な品々を用意してくれた。」
 
・首長ポプリオの歓迎:
まむし事件があったからと思いますが、彼らが漂着した場所の近くに、島の首長でポプリオという人の領地がありまたので、ポプリオはそこに一行を招待して、三日間手厚くもてなしてくれました。

・ポプリオの父の病と癒し:
その時、たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていましたので、パウロは、彼のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやりました。先に引用したマルコ16:18の約束が文字通り実現したのです。パウロの癒しの業は、他の島民に及び、島民の感謝は篤くなりました。一行は冬の終わりまで、3か月も長逗留してしまうのですが、その間の衣食住だけではなく、出帆に当たっては、一行に必要な品々を用意してくれました。心温まる話です。
 
3.ローマへの旅と歓迎〈11〜15節〉
 
 
「11 三か月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリヤの船で出帆した。 12 シラクサに寄港して、三日間とどまり、13 そこから回って、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹き始めたので、二日目にはポテオリに入港した。 14 ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した。 15 私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。」
 
・マルタ島を出発(ローマへの旅地図再度参照):
マルタ島には、冬の航海を避けて、越冬していた穀物輸送船がありました。デオスクリ(双子兄弟という意味)の徴とは、ローマ政府御用達の船と考えられます。その船が、春の到来を待って出帆した時、難破漂着の一行もそれに便乗することになりました。船は北隣80kmのシシリー島に向かいます。

・シラクサからレギオン:
シシリー島の主要な港であるシラクサに立ち寄って三日間滞在し、その後北上してイタリヤ半島の南端レギオンにつきます。

・ポテオリでの滞在(写真B、C参照):
南風を待ってレギオンを出帆、船旅の終着点ポテオリという貿易港に着きます。ポテオリは、ローマから約180km、ローマへの物資の積み下ろしの港として繁栄していました(写真B、C参照)。今のナポリの隣町です。ポテオリにはユダヤ人社会があったことは歴史家ヨセフスも記しています。さらに、「兄弟たち」と呼ばれているクリスチャンも少なからず存在していました。ポテオリのような国際都市には、すでにクリスチャンが多く存在していたのです。彼らはパウロのことを聞きつけて集まってきて、一行を歓待しました。一週間ほどの滞在は、疲れを癒すのに必要であったと思われます。

写真Bポテオリの町

写真Cポテオリの遺跡

・アッピア街道を北上:
ポテオリの滞在を終えて、一行はローマへの最後の行程180kmに入ります。これは、アッピア街道と呼ばれる有名な幹線道路です。当然ながら、この一行とは百人隊長と部下に守られたパウロとその友人たちのことです。隊長は馬で、その他は徒歩で進んでいったことでしょう。約100km北上した時(つまり2日間の道程の後)驚くことが起きました。

・アピオ・ポロとトレス・タベルネでの歓迎:
ローマから南約70kmのアピオ・ポロ(アピオの市場との意味)という町で、ローマ教会のクリスチャンたち(ここでもは、単に「兄弟たち」と呼ばれています)が「パウロ先生、熱烈歓迎!」の旗をもって現れたのです。アピオ・ポロから少し北で双子町のトレス・タベルネ(「三軒の宿屋」という意味、「三軒茶屋」とも言いかえられます)でも同じ歓迎チームにぶつかりました。多分、ローマを出る時は一緒だったのに、脚力の差で、こうなったのでしょう。

・パウロの喜びと感謝:
この出来事の約3年前、パウロはローマ教会宛に手紙を書いていました。その中で、ローマ訪問を熱望していると書いています、「あなたがたのところに行くときは、キリストの満ち溢れる祝福をもって行くことを信じています」(ローマ15:29)と。しかし、ローマ訪問が現実となった今、手には鎖、着物は囚人服、靴も穴だらけ、供は数人の弟子、しかも、重装備のローマ兵に監視されてという状況でした。どう見てもカッコいい凱旋的な上京とは言い難い有様です。ローマへ向かうパウロの胸中はどんなものだったことでしょう。長年切望していたローマ訪問が実現した喜びと、現実に経験している疲労困憊・屈辱・不安と言うものがない交ぜになった複雑な気持ちであったことは容易に想像できます。そんな気持のパウロがこの一行を見たとき、どんなに励まされたことでしょうか。洗濯の行き届いた着物、靴、おいしい食べ物も携えてきてくれたことでしょう。何よりも、彼らの暖かい愛の行為、その背後にある神の愛にパウロは励まされ、感謝しました。そのことを表しているのが15節です。「パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた(tharsos=cheer, courageをあたえられた)。」私たちが宣教師時代に何度も経験させていただいた励ましを思い出しながらこの物語を読むと、心が熱くなるのを感じます。

・歓迎チームを派遣したローマ教会:
さて、この物語を、歓迎チームの側から考えて見ましょう。この出来事の三年前、ローマのクリスチャンたちは、パウロが全力を傾けて執筆した大論文である手紙を頂きました。彼らにとって、この手紙はキリスト教信仰とは何かという基本的な骨格を教えてくれるものであり、実際生活に関する具体的な指針でもありました。その執筆者のパウロ先生が間もなくローマに来ると言う約束で、彼らの期待は膨らみました。しかし、そのパウロ先生がカイザリヤで投獄され、その望みはなくなったという知らせで落胆しました。と思った所、今度は「囚人」としてローマにくるという新しいニュースが届きました。ローマ教会は役員会を開いて議論したことでしょう。「囚人なんだから、大袈裟に歓迎することはない」「ローマに到着して、人物を見てから、私達の対応をきめよう」という議論もあったことでしょう。でも、「福音の為に投獄された器にたいして最大級の歓迎の心を表そう」という意見が勝ちました。それで「ウエルカム・チーム」の派遣となったのです。小さな過ちを理由に皆がバッシングするような人がクリスチャンの中にも外にも存在します。私たちはバッシングに加わる側でしょうか、反対に、励ます側に立つものでしょうか。思い出してください。私たちは「私の弟子であるこの小さいものに水一杯でも飲ませるなら、報いに洩れることはない。」(マタイ10:42)と仰った主に仕えるものです。人々が顧みない人をこそ顧み、励ますのが本当のクリスチャンではないでしょうか。さて、ローマでどんなことが待っていたのか、これは次回のお楽しみと致します。
 
終わりに:励まされる喜びと励ます恵みを経験しよう
 
 
私たちは、人々の小さなもてなしの親切で大いに励まされ、喜ぶものです。それは、その背後に神の愛を信じているからです。それ以上に、私たちはいつでも人々を励ます側に立ちたいものです。主の恵みのゆえに今週もそのような励まし手となりましょう。
 
お祈りを致します。