礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2016年6月19日
 
「それでも神は?」
エステル記連講(1)
 
竿代 照夫 牧師
 
エステル記 1章1-22節
 
 
[中心聖句]
 
  1   アハシュエロスの時代のこと――このアハシュエロスは、ホドからクシュまで百二十七州を治めていた。――
(エステル記 1章1節)


 
はじめに:「エステル記」について(メモ参照)
 
 
「エステル記」連講に導かれた直接のきっかけは、聖別会の準備においてです。来週の聖別会のタイトルが、「今、あなたがエステル」という工藤弘雄師の説教です。その準備をしながら、工藤先生がエステル記を講解しておられるのを知りました。エステル記というのは、何か物語がドラマチックすぎるのと、殺戮場面が多すぎるのとで敬遠していましたが、先生の講解を読むと、現代の私たちに必要なチャレンジに満ちた書であることに改めて目が開かれました。これから数週間、皆さんと共に「神の物語」としてのエステル記を読み進んでいきたいと思います。エステル記の梗概については、別紙のメモに記しました。細かい解説はせず、今日のテキストに入りたいと思います。

※別紙メモ「エステル記について」は、こちらをクリックして下さい。
 
1.ペルシャ王アハシュエロス(クセルクセス)(1節)
 
 
「アハシュエロスの時代のこと――このアハシュエロスは、ホドからクシュまで百二十七州を治めていた。―」
 
・ペルシャ帝国(ペルシャ帝国版図参照)

帝国となり(BC6世紀)→インドからエチオピアまで版図を拡大→滅亡(4世紀):
中東においてアッシリヤ、バビロンに続いて、BC6世紀初めに帝国を築いたのがペルシャです。ペルシャはBC4世紀、マケドニアのアレクサンドロス大王によって滅ぼされるまで200年余り、中東の覇者として栄えます。この王国はアケメネス朝ペルシャとして知られています。ペルシャは、隣国のメディア、リディア、バビロニアを滅ぼし、更にエジプトを併合して古代オリエント世界を統一しました。

絶対王政の下、各州にサトラップ(総督)を置いて統治:
絶対王政の下、領土が各州に分けられ、それぞれの州にサトラップ(総督、太守)が置かれました。

ギリシャと熾烈な戦い(492-449年):
ペルシャは、その支配に靡かないギリシャと492−449年の40年間以上の戦いを行います。しかし小国でありながら、結束の固いギリシャに敗北続きとなってしまいます。490年にダレイオスが派遣したペルシャ軍はマラトンの戦いでアテナイ・プラタイア連合軍に敗れます(これがマラソン競走の起源です)

・アハシュエロス王(486−464年)(ギリシャとの戦争を継続→敗北→暗殺され→その子アルタシャスタが王位に):
マラトンの戦いで敗れた父ダレイオスに代わって即位したのが、エステル記の主要人物、アハシュエロス(クセルクセス)王です。彼は、ギリシャとの戦争を継続しますが、480年のサラミスの海戦、479年、プラタイア平原の戦いで敗れてしまいます。政権末期に暗殺され、その子アルタシャスタ(アルタクセルクセス)が王位に着きます。アルタシャスタは、ギリシャとの講和を結びます(449年)。このアルタシャスタがネヘミヤのエルサレム城壁再建を助けた王様です。
 
2.アハシュエロス王の宴会(2〜9節)
 
 
「2 アハシュエロス王がシュシャンの城で、王座に着いていたころ、3 その治世の第三年に、彼はすべての首長と家臣たちのために宴会を催した。それにはペルシヤとメディヤの有力者、貴族たちおよび諸州の首長たちが出席した。4 そのとき、王は輝かしい王国の富と、そのきらびやかな栄誉を幾日も示して、百八十日に及んだ。5 この期間が終わると、王は、シュシャンの城にいた身分の高い者から低い者に至るまですべての民のために、七日間、王宮の園の庭で、宴会を催した。6 そこには白綿布や青色の布が、白や紫色の細ひもで大理石の柱の銀の輪に結びつけられ、金と銀でできた長いすが、緑色石、白大理石、真珠貝や黒大理石のモザイクの床の上に置かれていた。7 彼は金の杯で酒をふるまったが、その杯は一つ一つ違っていた。そして王の勢力にふさわしく王室の酒がたくさんあった。8 それを飲むとき、法令によって、だれも強いられなかった。だれでもめいめい自分の好みのままにするようにと、王が宮殿のすべての役人に命じておいたからである。9 王妃ワシュティも、アハシュエロス王の王宮で婦人たちのために宴会を催した。」
 
・有力者たちとの宴会(ギリシャ戦争の体制固め):
アハシュエロスは、即位から三年後、つまり、483年頃、大きな宴会を催します。これが半年も続いたというのですが、驚くべきことです。年表を思い出してください。対ギリシャ戦争の最中、サラミスの大海戦の前であるということを覚えると、このイベントは単なるお祭り騒ぎの酒盛りではなく、打ち続くギリシャとの戦争との関連で考える方が自然です。つまり、戦争に備えて体制を固め、更には作戦を作る会議としての色彩が強かったと思われます。

・一般市民との宴会(士気の高揚)
指導者の宴会に続いて、「身分の高い者から低い者に至るまで」の一般市民を招いての宴会が一週間開かれました。これも、単なる気楽な園遊会ではなく、戦いを前にして、いかにペルシャが富と権勢を誇っているかを示し、国民の士気を鼓舞するための宴会でありました。

・女性たちの宴会:
同時並行で、女子会が開かれました。これも同じ趣旨・目的のためであったと考えられます。
 
3.王妃ワシュテを呼ぶが、拒絶される(10〜22節)
 
 
「10 七日目に、王は酒で心が陽気になり、アハシュエロス王に仕える七人の宦官メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスに命じて、11 王妃ワシュティに王冠をかぶらせ、彼女を王の前に連れて来るようにと言った。それは、彼女の容姿が美しかったので、その美しさを民と首長たちに見せるためであった。12 しかし、王妃ワシュティが宦官から伝えられた王の命令を拒んで来ようとしなかったので、王は非常に怒り、その憤りが彼のうちで燃え立った。13 そこで王は法令に詳しい、知恵のある者たちに相談した。――このように、法令と裁判に詳しいすべての者に計るのが、王のならわしであった。14 王の側近の者はペルシヤとメディヤの七人の首長たちカルシェナ、シェタル、アデマタ、タルシシュ、メレス、マルセナ、メムカンで、彼らは王と面接ができ、王国の最高の地位についていた。――15 『王妃ワシュティは、宦官によって伝えられたアハシュエロス王の命令に従わなかったが、法令により、彼女をどう処分すべきだろうか。』16 メムカンは王と首長たちの前で答えた。『王妃ワシュティは王ひとりにではなく、すべての首長とアハシュエロス王のすべての州の全住民にも悪いことをしました。
17 なぜなら、王妃の行ないが女たちみなに知れ渡り、「アハシュエロス王が王妃ワシュティに王の前に来るようにと命じたが、来なかった。」と言って、女たちは自分の夫を軽く見るようになるでしょう。18 きょうにでも、王妃のことを聞いたペルシヤとメディヤの首長の夫人たちは、王のすべての首長たちに、このことを言って、ひどい軽蔑と怒りが起こることでしょう。19 もしも王によろしければ、ワシュティはアハシュエロス王の前に出てはならないという勅令をご自身で出し、ペルシヤとメディヤの法令の中に書き入れて、変更することのないようにし、王は王妃の位を彼女よりもすぐれた婦人に授けてください。20 王が出される詔勅が、この大きな王国の隅々まで告げ知らされると、女たちは、身分の高い者から低い者に至るまでみな、自分の夫を尊敬するようになりましょう。』21 この進言は、王と首長たちの心にかなったので、王はメムカンの言ったとおりにした。22 そこで王は、王のすべての州に書簡を送った。各州にはその文字で、各民族にはそのことばで書簡を送り、男子はみな、一家の主人となること、また、自分の民族のことばで話すことを命じた。」
 
・ワシュテの召喚(美貌を誇示するため)
一般市民を招いて行われていた宴会の最後を飾るべく、アハシュエロス王は、突然ワシュテ王妃を呼び、男子のみの宴席にはべらせようと思いつきました。王妃の冠をかぶってその美しさを並み居る人々に見せようと思ったのです。指導者が偉くなりすぎると、自分の行動がどう見られているかという客観的な判断ができなくなってしまいます。アハシュエロスはその典型でありましょう。

・ワシュテの拒絶:
幸い、ワシュテは、酒の席での非常識な余興の要請を断る常識を持っていました。実はこれが、エステルが王妃となる伏線になったのですが、歴史は私たちの分からないところで進んでいきます。

・王の怒り(理不尽さの現れ)
アハシュエロス王は、面子を潰された怒りに燃えて、その怒りを周囲にぶつけます。歴史家は、この王について、非常に幼児的な性格を指摘しますが、正に幼児的ヒステリーを起こすのです。どうしてこんな記事が聖書に記されているのでしょうか。これらは2章以下を読み進むとわかりますように、エステルを王妃とするための伏線、或いは序曲なのです。先週も、私たち東京都民にとっては何とも情けない、恥ずかしい知事の辞職事件が起きました。どうしてこんなことが起きるのだろう、神は生きておられるのかと思いたくなるような出来事ばかりの世の中です。しかし、暗闇に見える歴史でも、背後に確かな御手を動かしておられる主を信じましょう。私たちの人生では、「汝今は知らず、後に悟るべし」(ヨハネ13:7)ということが多いものです。アハシュエロスは、夫婦の問題を、二人の間で解決せず、その判断を側近に委ねます。これもまた非常識千万です。

・側近の進言(@ワシュティの退位;A男を敬うべき法律?)
さて、王の側近たちはどう反応したでしょうか。「王様、それは王様のご問題ですから、お二人で解決してください」で済みそうなのに、この事件を針小棒大に捉えて自分たちのやりたいアジェンダを盛り込んでしまいます。簡単に言うと、ワシュテ事件を放置すれば男性優位社会が崩れしまう、だから、男性の優位性を法的にも確立しなさいと進言するのです。その陰には、側近たちとワシュテとの権力闘争があったものと推察されます。いずれにせよ、そこに、側近たちが持っている王に対するへつらい、王を利用して自分たちの権力を高めようという卑しい気性が丸出しの進言です。その内容は@ワシュティを退けること、A夫を尊敬し夫に従うべき法律を定め、それを全国に布告すること、の2点です。王も、その進言の愚かさを見抜くことができず、それに同意してしまいます。とんでもないことです。私自身、(抽象的表現でお許しください)とんでもない絶対権限を持った政治指導者とその側近の諂いと私的野心むき出しの様子を見た経験がありますので、これは、とても昔話とは思えない現実性をもって理解できます。人間とは怖いものです。
・法律の布告と王妃選定の始まり:
ペルシャでの郵便制度は非常に発達していました。そうでなければ、インドからエジプト・エチオビアまでの広大な帝国を治め切れなかったことでしょう。この広告は、早馬によって一週間で帝国領土に知らされました。同時に、新しい王妃選定の作業が始まりました。
 
終わりに:歴史の真の支配者である主を認めよう
 
 
このように、物語的には実に他愛のない、しかも何の感動も与えない出来事です。今でいえば、三流の週刊誌を賑わすような出来事かも知れません。私たちの世で見聞きするのは、人間の欲望と野心とがむき出しとなった出来事の連続であるかも知れません。それでは、神はこの世界と歴史のどこにおられるのでしょうか。私たちにそのすべてが今わかるとは限りません。しかし、私たちは歴史を支配し給うのは神であり、その大きなご計画の成就のためにすべてが動いているという信仰を持っています。イザヤ45:15によると、「イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自身を隠す神」であられます。隠してはおられるが、確実に「すべての事を働かせて益となさる」(ローマ8:28)お方です。主を信じつつ進みましょう。

 
お祈りを致します。