礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2016年7月3日
 
「すべての者から好意を」
エステル記連講(2)
 
竿代 照夫 牧師
 
エステル記 2章1-23節
 
 
[中心聖句]
 
  15   こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。
(エステル記 2章15節)


 
1.新王妃選定の命令(1〜4節)
 
 
「1 この出来事の後、アハシュエロス王の憤りがおさまると、王は、ワシュティのこと、彼女のしたこと、また、彼女に対して決められたことを思い出した。2 そのとき、王に仕える若い者たちは言った。『王のために容姿の美しい未婚の娘たちを捜しましょう。3 王は、王国のすべての州に役人を任命し、容姿の美しい未婚の娘たちをみな、シュシャンの城の婦人部屋に集めさせ、女たちの監督官である王の宦官ヘガイの管理のもとに置き、化粧に必要な品々を彼女たちに与えるようにしてください。4 そして、王のお心にかなうおとめをワシュティの代わりに王妃としてください。』このことは王の心にかなったので、彼はそのようにした。」
 
・王の怒りが収まる:
宴席に招かれたのに、その招きを拒絶した王妃ワシュティに対してアハシュエロス王は怒りを表します。その感情の幼児性、さらに個人的怒りを「亭主関白条例」として法律化してしまう非常識については、第一章から前回お話ししました。さて、怒りが収まった王は、次のステップを考えるゆとりを取り戻しました。言うことを聞かぬ妻ではあったが、いなくなってみると寂しいという人間的感情も働いていたことでしょう。

・王妃選定の進言:
それを見た側近は、お妃探しを進言します。今でいうとビューティコンテストでしょうか。条件は三つ、美しさ、若さ、処女であること。この三つを満たす女性を帝国全体から探し始めたのです。
 
2.エステルの登場(5〜11節)
 
 
「5 シュシャンの城にひとりのユダヤ人がいた。その名をモルデカイといって、ベニヤミン人キシュの子シムイの子ヤイルの子であった。6 このキシュは、バビロンの王ネブカデネザルが捕え移したユダの王エコヌヤといっしょに捕え移された捕囚の民とともに、エルサレムから捕え移された者であった。7 モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわち、エステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。このおとめは、姿も顔だちも美しかった。彼女の父と母が死んだとき、モルデカイは彼女を引き取って自分の娘としたのである。8 王の命令、すなわちその法令が伝えられて、多くのおとめたちがシュシャンの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。9 このおとめは、ヘガイの心にかない、彼の好意を得た。そこで、彼は急いで化粧に必要な品々とごちそうを彼女に与え、また王宮から選ばれた七人の侍女を彼女にあてがった。そして、ヘガイは彼女とその侍女たちを、婦人部屋の最も良い所に移した。10 エステルは自分の民族をも、自分の生まれをも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはならないと彼女に命じておいたからである。11 モルデカイは毎日婦人部屋の庭の前を歩き回り、エステルの安否と、彼女がどうされるかを知ろうとしていた。」
 
・モルデカイ:
ここで突然、モルデカイというユダヤ人の紹介がなされます。エステル記の主人公エステルの養父として、エステル物語のカギを握る人物だったからです。さてそのモルデカイとは、「ベニヤミン人キシュの子シムイの子ヤイルの子」でした。モルデカイの曽祖父キシュは、ユダからバビロンへの捕囚第二陣で、その時のユダの王様エコヌヤ(あるいはエホヤキキン)といっしょにバビロンに捕え移されました。これはBC597年、エルサレムが破壊される10年前のことです。この時は、王の高官、有力者、職人など社会のクリームのような人々が連れて来られたのですが、キシュもその一人でした。エゼキエルもそのうちの一人です。

・ハダサ(ミルトス):
さて、このモルデカイが養女として育てた娘が、彼の従妹(叔父の娘)ハダサでした。ハダサは、幼くして父も母も亡くし、独りぼっちとなった所をモルデカイに引き取られたというわけです。私事ですが、私の従姉で、父を亡くし、母を亡くし、続いて姉も亡くして独りになったAと言う人がいます。叔父に引き取られて育ち、カトリックである叔父の影響を受けてシスターとなり、今は鹿児島の女子大の学長をしています。エステルの物語を読むとAを思い出してしまいます。さて、ハダサというのはヘブル語で、ミルトスを意味します。ミルトスの写真はここに掲示しました(写真参照)。椿に似た常緑の灌木で、葉は芳香を放ち、地味ながら白いきれいな花を咲かせます。乾燥に強く、切られた後も生命力が強く、枯れにくいところから、干ばつにも耐える木として不死の象徴となり、そして成功・繁栄の象徴ともなっていました。ミルトスは、ユダヤ教の伝統の中では、臨終の床に備えたり、結婚式において花嫁がブーケとして手にする花でした。ハダサは、その名前に相応しく、清楚で美しい少女として育ちました。「姿も顔だちも美しかった」と記されています。

・エステル(星):
エステルというのはペルシャ語(スタラ)で、星のことです。因みにサンスクリット語ではストゥリ、英語ではスターとなります。この名前はハダサが妃候補となってから付けられ、使われるようになったと思われます。これも美しい名前です。

・モルデカイの命令:
モルデカイは、エステルが妃候補になったのを見て、一つの命令を与えます。それは、自分の出自を明かしてはならないという一点です。出自を明かさないで王妃になれるのかどうか説明されていませんが、反ユダヤ的感情が強かったこの国で、いわば当然のことだったのでしょう。エステルも、敢えて「なぜ?」と質問せず、淡々と従ったのです。この従順がエステルの長所と思います。
 
3.エステル、王妃となる(12〜20節)
 
 
「12 おとめたちは、婦人の規則に従って、十二か月の期間が終わって後、ひとりずつ順番にアハシュエロス王のところに、はいって行くことになっていた。これは、準備の期間が、六か月は没薬の油で、次の六か月は香料と婦人の化粧に必要な品々で化粧することで終わることになっていたからである。13 このようにして、おとめが王のところにはいって行くとき、おとめの願うものはみな与えられ、それを持って婦人部屋から王宮に行くことができた。14 おとめは夕方はいって行き、朝になると、ほかの婦人部屋に帰っていた。そこは、そばめたちの監督官である王の宦官シャアシュガズの管理のもとにあった。そこの女は、王の気に入り、指名されるのでなければ、二度と王のところには行けなかった。15 さて、モルデカイが引き取って、自分の娘とした彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところにはいって行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。16 エステルがアハシュエロス王の王宮に召されたのは、王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった。17 王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。18 それから、王はすべての首長と家臣たちの大宴会、すなわち、エステルの宴会を催し、諸州には休日を与えて、王の勢力にふさわしい贈り物を配った。19 娘たちが二度目に集められたとき、モルデカイは王の門のところにすわっていた。20 エステルは、モルデカイが彼女に命じていたように、まだ自分の生まれをも、自分の民族をも明かしていなかった。エステルはモルデカイに養育されていた時と同じように、彼の言いつけに従っていた。」
 
・王妃選びのプロセス:
今日的概念ではとても理解できない男尊女卑の方法で妃選びがなされました。大勢の美女たちをハーレムに入れて置き、最高度のコスメが一年間施され、そして王様によって一晩ずつ順番に試されるという正に女性の人格無視の方法です。

・好感度第一位のエステル:
ともかくエステルの番が来ました。それは「王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった。」のです。BC479年の暮れと考えられます。この時、ペルシャはギリシャと死闘を繰り広げており、サラミスの海戦、プラタイア平原の戦いで大敗して帰国した時でした。「王妃」を得て慰めを必要としていたのがアハシュエロス王でした。さて、順番が巡ってきた女性は、この時とばかりに王様からの贈り物、例えば首飾りとかイヤリングとか、をねだることが許されていましたが、エステルは一切それを求めず、「監督官である王の宦官ヘガイの勧めたもの」以外は何も求めず、清楚なままのスタイルで王様の所に行きました。それが逆に王様の気に入ったのでしょう。エステルは王の寵愛を得るようになりました。王様だけでなく、監督官である王の宦官ヘガイからも、侍女たちからも好意を得るようになりました。正に、あらゆる人々から「好感度第一位」であったのがエステルです。エステルの従順、自制の心、無欲さ、これが、「全ての者からの好意を得た」秘訣であったと聖書は示唆しています。

・エステルの従順:
エステルは、王の気に入られるようになってからも、無欲、清楚さ、など彼女らしさを変えませんでした。それが王の心を捉えたカギだったことでしょう。工藤先生は、エステルの美しさについて、それは@沈黙の美、A慎みの美、B従順の美、Cきよめの美と表現しておられます。深い洞察と思います。

・モルデカイの心配:
エステルを王宮に送ったモルデカイは、(多分門番的な仕事について)王宮を行ったり来たりしました。好奇心からでもなく、また、ストーカー的な興味からでもなく、自分の「娘」であるエステルが正しく勤めているかどうか、(原文では)シャローム(安否)を確かめるという「親心」からの行動でした。さらにモルデカイは、すべての事に働き給う神の摂理がどのように動いていくのかを確かめたいという信仰的興味にも動かされていました。
 
4.モルデカイの手柄(21〜23節)
 
 
「21 そのころ、モルデカイが王の門のところにすわっていると、入口を守っていた王のふたりの宦官ビグタンとテレシュが怒って、アハシュエロス王を殺そうとしていた。22 このことがモルデカイに知れたので、彼はこれを王妃エステルに知らせた。エステルはこれをモルデカイの名で王に告げた。23 このことが追及されて、その事実が明らかになったので、彼らふたりは木にかけられた。このことは王の前で年代記の書に記録された。」
 
・王の暗殺計画を阻止:
妃選びで町が浮き立っていた頃、小さな事件が起きました。王を暗殺しようとの試みです。モルデカイがそれを探知し、エステルを通して王に注進致します。王はそれを処置し、二人の暗殺者を処刑します。

・記録されたが表彰されなかった不思議:
ただ、これがあまりにも日常茶飯事だったからでしょうか、新聞の3面記事に小さく乗った程度の扱いで、王様の王式日誌に、2、3行記録されただけで、特にモルデカイが表彰されることもありませんでした。実は、このことが、この物語のどんでん返しの伏線をなるのですが、この時はこのままで終わりました。もしもこの時、モルデカイがシュシャン警察署長から表彰状と金一封を頂いていたならば、それで終わっていたことでしょう。モルデカイの行動が記録はされたが、表彰はなされなかったということが、物語の後半に意味を持ってくるのです。神の摂理の不思議さをしみじみと感じます。私たちの日頃の行動も、誰からも評価されず、忘れ去られることが多いものです。しかし、私たちの小さな善であっても、神はしっかり覚えておられ、神の大きなご計画のために用い給うお方であることを覚えましょう。
 
おわりに:へりくだる者に与えられる恵み
 
 
主イエスの少年時代、彼の上には「神の恵みがあり」(ルカ2:40)それゆえに「神と人とに愛された」(2:52)と記されています。ヤコブ書には「神はへりくだる者に恵みをお授けになる」(ヤコブ4:6)とも記されています。エステルの美しさは、そのへりくだりにあり、それゆえに「彼女を見るすべての者の好意を得た」と考えられます。

主の前にへりくだる姿をエステルから学びましょう。
 
お祈りを致します。