礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2016年7月17日
 
「もしかすると、この時のため」
エステル記連講(4)
 
竿代 照夫 牧師
 
エステル記 4章1-17節
 
 
[中心聖句]
 
  14   もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。
(エステル記 4章14節)


 
1.(先週)モルデカイと全ユダヤ人の嘆き(1〜3節)
 
 
「モルデカイは、なされたすべてのことを知った。すると、モルデカイは着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真中に出て行き、王の門の前まで来た。だれも荒布をまとったままでは、王の門にはいることができなかったからである。王の命令とその法令が届いたどの州においても、ユダヤ人のうちに大きな悲しみと、断食と、泣き声と、嘆きとが起こり、多くの者は荒布を着て灰の上にすわった。」
 
・世俗権威と信仰の対立:
モルデカイは、王の側近であるハマンに対して膝もかがめず、平伏そうともしなかった(3:2)ので、ハマンはモルデカイのみならず、ユダヤ人全体を根絶やしにしようとしました(3:6)。これは単なる私怨ではなく、原則と原則の衝突です。真の神への純粋な信仰とそれを曲げようとするサタン的な勢力との衝突とも言えましょう。

・ホロコースト命令とユダヤ人の嘆き:
ハマンの計画は王の承認を得、その命令書は全国に布告されました(3:13)。モルデカイは、この法令を知らされるや否や、大きな悲しみを覚え、荒布を着、灰をかぶり、大声で泣き叫びながらシュシャンの町を歩きます。更に、帝国内のどの地域にいるすべてのユダヤ人の間で大きな嘆きと叫びが起きます。
 
2.エステルの心配と問い合わせ(4〜8節)
 
 
「そのとき、エステルの侍女たちと、その宦官たちがはいって来て、彼女にこのことを告げたので、王妃はひどく悲しみ、モルデカイに着物を送って、それを着させ、荒布を脱がせようとしたが、彼はそれを受け取らなかった。そこでエステルは、王の宦官のひとりで、王が彼女に仕えさせるために任命していたハタクを呼び寄せ、モルデカイのところへ行って、これはどういうわけか、また何のためかと聞いて来るように命じた。それで、ハタクは王の門の前の町の広場にいるモルデカイのところに出て行った。モルデカイは自分の身に起こったことを全部、彼に告げ、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために、王の金庫に納めると約束した正確な金額をも告げた。モルデカイはまた、ユダヤ人を滅ぼすためにシュシャンで発布された法令の文書の写しをハタクに渡し、それをエステルに見せて、事情を知らせてくれと言い、また、彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるように彼女に言いつけてくれと頼んだ。」
 
・エステルの配慮:
王宮という世間からかけ離れた場所にいたエステルは、町全体または国全体に起きていることを知るすべもなく、彼女には養父モルデカイが荒布を着て灰をかぶっているというニュースが入ってきただけです。エステルにはそれが何を意味するかを推測する想像力もなく、ただ、モルデカイが着る物に困っているのではという推測から、新しい着物を送り付けるのです。エステルはこの時点では、かなり雲上の人になってしまっています。

・モルデカイの伝言:
ここで、王の侍従であるハタクという人物が登場します。モルデカイとエルテルとのやり取りは、すべてこのハタクを通じて行われます。モルデカイは、そのハタクを通じて、この危機が深刻で、広範なものであり、緊急の処置を必要とするものであることを知らせます。それも、ハマンが国庫に納める金額を示し、ユダヤ人抹殺の法令の写しを届けて、具体的に説明します。そして、それを解決するために、王に直訴するようにとに命令します(8節)。モルデカイは、父としての権威をもって命令するのです。
 
3.エステルの躊躇(9〜11節)
 
 
「ハタクは帰って来て、モルデカイの伝言をエステルに伝えた。するとエステルはハタクに命じて、モルデカイにこう伝えさせた。「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも、召されないで内庭にはいり、王のところに行く者は死刑に処せられるという一つの法令があることを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」
 
・王への無断接近は死刑:
エステルは養父の命令を実行することに躊躇を感じます。11節、「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも、召されないで内庭にはいり、王のところに行く者は死刑に処せられるという一つの法令があることを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。」エステルの躊躇の最大の理由は「王への無断接近は死刑」という法令の故です。1:14には「王と面接できる」7人の首長のことが言及されていますが、それ以外の者は、無許可で内庭にいる王に近づいてはならぬという法令がありました。この法令は暗殺を防ぐ意味があったと思われます。この禁止令を徹底させるために、斧で武装した護衛兵が王のそばに控えていて、違反者を叩き切ろうと身構えていたと言われています。この法令は王妃にも適用されました。

・自分は今遠ざけられている:
さらに悪いことには、エステルは、この一か月お呼びがなかったのです。「でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」宮廷の夫婦関係は、21世紀の私たちのそれとは全く違う形でしたから、測りがたいものです。一か月お呼びでないということから、アハシュエロス王とエステル王妃の関係が冷たくなっていたとまでは言えませんが、いずれにせよ、エステルにとって王への直訴は難しかったのです。それにしても、エステルの答えは、事実の深刻さを捉えていないだけでなく、自分の立場だけを考える自己弁護の心を示しているように思えます。
 
4.モルデカイの警告(12〜14節)
 
 
「彼がエステルのことばをモルデカイに伝えると、モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
 
・危機を認識せよ:
悠長なエステルの答えに業を煮やしたモルデカイは、ナイフを突きつけるような、ある種、脅しを含んだような警告を与えます。その内容を纏めると次の4点です。
@ユダヤ人全体が滅びるというホロコーストの危機にあって、王宮にいるエステルとてその例外ではない(エステルは、神の民という共同体の一部であり、そこから逃れることはできない);
A神はユダヤ人を救いの計画の一部として用いなさる予定だから、ホロコーストは現実とならず、神はご自身の方法をもって助けを起こしなさる(モルデカイの信仰は、神の民に対するご計画に基づくものであった。その約束の中心は、選びの民の中からメシヤが現れることであった);
Bしかし、その助けとなるべきエステルがその務めを果たさないならば、エステルもその家族も神から捨てられるであろう;
C何の身寄りもない(ペルシャ人にとって)異邦人孤児であったエステルが、信じられないような昇進を果たし、ペルシャ大帝国の王妃にまで登用されたのは、この一大危機にあって影響力を発揮するという目的のためと考えられないだろうか?神の使命に応答するのは「今」しかない。―――モルデカイは、エステルもその計画の一部であることを自覚させようとしました。躊躇するエステルに対して「この時のためにこそ、あなたは王妃の位に達したのではないか」と迫ったのです。この文章では、「王国に来たのは」と外国人がある国にやってきたような言い方ですが、文字通りには、王国の高い地位を占めるようになったのはということです。文語訳はもう少し意訳して、「妃の位を得たるは」と示しています。

・エステルの熟慮と主体的決断:
ただ、モルデカイは、エステルにプレッシャーをかけるような言い方はしません。この時のためだ、と断言もしません。「もしかすると…かも知れない」と柔らかい言い方をしています。それは、もしかすると違うかもしれないという含みを示しています。それを決めるのは神の摂理の御手である、という神への畏れが、この婉曲表現になっているのでしょう。いずれにせよ、王への直訴を自分の役割と取るか、知らん顔をして誰かに任せてしまうのか、エステルよ、あなたが決めなさいと彼女に決定権をあずけているのです。私たちキリスト者も、神の救いのご計画の中で、自分は何をすべきかという点に関して、明確に示される時があるし、環境的にある方向に追い込まれることもあるし、全く分からないまま自由に選びなさいと示されることもありましょう。いずれにせよ、私たちは自分が何のために召されたか、主の目的を主体的に捉える必要があります。
 
5.エステルの決断(15〜17節)
 
 
「エステルはモルデカイに返事を送って言った。「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」そこで、モルデカイは出て行って、エステルが彼に命じたとおりにした。」
 
・決断の前提:
全ユダヤ人の一体的祈り=ここで、エステルは祈り祈って、重大な決断を下します。その決断の条件は、(自分自身が祈ったように)同族全部が彼女の背後に立って祈ってくれることでした。実際シュシャンに何千人のユダヤ人がいたかはわかりませんが、そのすべてを招集して祈り会を持って欲しいとモルデカイに頼みました。同時に、彼女自身も、侍女たちも同じ思いでその祈り(断食)に加わる決意を表しました。その祈りの焦点をエステル一人に向けて欲しいと依頼します。「私のために」と言ったのは、自己中心主義からではありません。全てのダヤ人はただひたすら、このか弱い王妃が使命を果たせるように、しかも、王妃が宮殿に入る時刻を知らせておいて、その時刻に合わせて祈るように要請しました。三日間断食をしてその断食の最後の日に王への直訴を行う計画だったのです(5:1)。

・死を賭して王に直訴する決意:
大きな躊躇を覚えながらも、エステルは命を賭して王に直訴する決断をし、それをモルデカイに伝えます(4:16)。文語は「我もし死ぬべくば死ぬべし」、英訳は“If I perish, I perish”という簡潔至極な表現です。この中に示されているのは、自我の死です。

・自我の死は聖化経験の真髄:
自我の死こそ聖化の真髄です。
◆マリヤもこれを経験します。(ルカ1:38「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」)。
◆主イエスもそれを告白されました(ルカ22:42「父よ。・・・わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」)。
◆アブラハムもイサクを捧げることによって自我の死を経験しました(創世記22:2「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」)。バックストンも日本宣教に召された時、同様の信仰告白を行いました。ここに、ホーリネスに生きる民の生き方があるのです。

・モルデカイの応答:
三日間の集中的祈りを指導=「モルデカイは出て行って、エステルが彼に命じたとおりにした。」エステルの命を賭けた決断に応え、モルデカイはシュシャンのユダヤ人を全部招集し、三日間の必死の祈祷会を指導しました。彼らの祈りは単なる愛国心からの祈りではなく、神の民、神の業を世界に広げる民の存続をかけた祈りだったのです。神の業のための祈りでした。だから真剣に祈ったのです。工藤弘雄師は「それは、実に、魂を集中した火を吐くような祈りであっただろう。祈りが炎の束となって天の御座に達し、全能者の御手を動かしただろう。」と語っておられます。
 
おわりに:私の今の立場を高く値積もり、その意味・目的を考えよう
 
 
神が、私を今の立場に置いてくださった大いなる恵みを感謝とともに値積もりましょう。一国のリーダーになるとか、ファーストレディになるとかの大げさな立場ではないかも知れませんが、罪の世から救い出されて天のみ座にキリストと共につけさせてくださったというのは、それに勝る特権です。エペソ2:3−7を読みます、「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。それは、・・・このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。」こんな恵みを頂いたのは何のためであったかを真剣に思い巡らし、その神の御目的のために献身を表しましょう。

小さき者が、イガグリ頭の中学生であった時、新年聖会において初代総理が、この場所から語られました。勿論文語訳です。「汝が后(きさき)の位を得たるは、かくの如き時のためなりしやも、知るべからず。」私は后でもないし、何でもないただの中学生でしたが、このことばを自分のものと捉えました。宣教会で前に進み出て献身の祈りを捧げました。その祈りを後悔することはありませんでした。主は、私たちの献身を受け取ってくださるお方です。
 
お祈りを致します。