礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2016年7月31日
 
「王の好意を得た」
エステル記連講(5)
 
竿代 照夫 牧師
 
エステル記 5章1-14節
 
 
[中心聖句]
 
  2   王が、庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を受けたので、王は手に持っていた金の笏をエステルに差し伸ばした。そこで、エステルは近寄って、その笏の先にさわった。
(エステル記 5章2節)


 
1.(前回の要約)エステルの危機と決断(4章)
 
 
・危機(ユダヤ人全滅計画):
ペルシャ王の側近であるハマンの悪巧みによって、ペルシャ帝国中のすべてのユダヤ人を抹殺するという計画が立てられ、それが公になりました。それはユダヤ人である王妃エステルにとっても大きな危機でありました。

・好機(「エステルが王妃になったのは、この時のため」):
エステルの養父モルデカイは、救出行動をためらっていたエステルに向かって「この時のためにこそ、あなたは王妃の位に達したのではないか」と言いました。「あなたは、この危機を救うための一番とっておきのピンチヒッターとして立てられているはずではないか、なぜ躊躇するのか」と迫ったのです。

・決断(「たとい死刑になっても、王様に近づこう」):
エステルは祈った末、自分の命を懸けて王様に直訴しようと決断します。王様の許可なく近づくことは、たとい王妃であっても死刑に値することでしたが、彼女は言います、「我もし死ぬべくば死ぬべし」

・祈り(全ユダヤ人が三日間の断食祈祷会を):
その決意を聞いたモルデカイは、シュシャンの都に住んでいるユダヤ人を皆集めて三日間の断食祈祷会を開きます。
 
2.王様に近づくエステル(1〜5節)
 
 
「1 さて、三日目にエステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の内庭に立った。王は王室の入口の正面にある王宮の玉座にすわっていた。2 王が、庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を受けたので、王は手に持っていた金の笏をエステルに差し伸ばした。そこで、エステルは近寄って、その笏の先にさわった。3 王は彼女に言った。「どうしたのだ。王妃エステル。何がほしいのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」4 エステルは答えた。「もしも、王さまがよろしければ、きょう、私が王さまのために設ける宴会にハマンとごいっしょにお越しください。」5 すると、王は、「ハマンをせきたてて、エステルの言ったようにしよう。」と言った。王とハマンはエステルが設けた宴会に出た。」
 
・運命の日(祈祷会最終日、エステルは王様に近づく):
シュシャンのユダヤ人が断食して祈ること三日間、その最後の日が、エステルにとって運命の日です。決然たる思いを秘めて、エステルは断食の時に着ていた荒布を脱ぎ去って、王妃としての正装に身を包みます。「さて、三日目にエステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の内庭に立った。王は王室の入口の正面にある王宮の玉座にすわっていた。」正に劇的な一瞬です。エステルにとって運命の日であるだけでなく、ペルシャ中のユダヤ人の運命がかかっている大切な一瞬です。無断で王に近づこうとするエステルにとって、それが死刑となる可能性は十分にあったからです。仮に王が彼女を死刑にしなかったとしても、ユダヤ人を救うという願いが実現する可能性は、もっと低かったことでしょう。

・王様の好意(アハシュエロス王は金の笏を差し出す[エステルに好意を]):
さて、ユダヤ人にとってそんな緊張の時であることは露知らず、アハシュエロス王はいつものような気持のよい朝を迎え、庭の花々を愛でながら散歩を楽しんでいました。そこに王妃エステルが突然現れました。王は死を覚悟して自分の所に近づこうとしている彼女の姿に常ならぬ気高さを感じました。これは、王宮の習慣ではなかったのですが、王様は、手にしていた金の笏を自然に差し伸べました。笏というのは、王様が権威の象徴として常に携行していたもので、ある意味護身用であったとも考えられます。ケニアの大統領も、ルングという3〜40cmの木の棒を持って歩くのが常でした。ルングの先は丸い玉のようになっていてカッコいいものです。一説によると、緊急時用の非常ボタンがはめ込まれていて、暴漢に襲われそうになったらそのボタンを押して警護官に知らせるためだそうです。さて、アハシュエロス王に話を戻します。彼が異例にもその金の笏をエステルに差し出した理由として、3節は「王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を受けたので」と説明しています。この言葉は、エステルが王妃として選ばれたプロセスにおける鍵の言葉であったことを2章で学びました。見えざる神の御手がエステルに働き、同時にアハシュエロス王にも働いて、「彼の好意」となったのです。私たちも社会生活の中で多くの人々と接し、その繋がりの中で生きているのですが、主の恵みの故に、また、祈りの結果として、「人々の好意を」頂く恵みを経験させていただきたいものです。

・エステルの願い(「今晩、私の宴会にどうぞ。ハマン様もごいっしょに。」):
さて、王は機嫌よく「王国の半分でも上げよう」とエステルに申し出ます。この言葉は、王の気前良さを示す慣用句であったようです。新約時代にはヘロデ・アンテパス王が、上手に舞を披露した継娘のサロメに対して申し出た言葉でもありました。それを受けたサロメは、「では、バプテスマのヨハネの首を」と言って万座を白けさせたことはご存知の通りです。さて、エステルは何と答えたことでしょう。「では、王様、私の願いは・・・」といって、唐突にユダヤ人救済の話題を出したら、王様がどう反応するかをちゃんと計算していましたから、敢えて本心は出さず、小さなリクエストを出すにとどめます。「王様、よろしければ、今晩私の宴会にお出でいただけないでしょうか。それも、ハマン様とご一緒に。」なんと賢いリクエストでしょうか。
 
3.エステルの願い―その2(6〜8節)
 
 
「その酒宴の席上、王はエステルに尋ねた。「あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」7 エステルは答えて言った。「私が願い、望んでいることは、8 もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしくて、私の願いをゆるし、私の望みをかなえていただけますなら、私が設ける宴会に、ハマンとごいっしょに、もう一度お越しください。そうすれば、あす、私は王さまのおっしゃったとおりにいたします。」
 
・エステルの宴会:
その夜、王様はハマンと一緒にエステルの後宮を訪れました。王様にとっては珍しくはなかったと思いますが、ハマンにとっては場所もビックリ、もてなしもビックリでした。

・エステルの願い―その2(「明晩も宴会にどうぞ。ハマン様もごいっしょに。」):
その宴会のもてなしですっかり上機嫌になったアハシュエロス王は、もう一度エステルのリクエストを聞きます。「お前の願いは何か。国の半分でも与えよう。」ここでもエステルは本心を見せません。「王様、明日の夜も宴会をしたいのです。このハマン様とご一緒にお越しください。それが私の願いです。」王様は快く、「何だ。たったそれだけの事か。お安い御用だ。必ず来るぞ。ハマンも喜んでくるだろう。」ここで今晩は終わるのです。何ともじれったいようですが、これがエステルの作戦ですし、それ以上に作戦の総本部長である主のご計画でもありました。
 
4.ハマンの悪巧み(9〜14節)
 
 
「9 ハマンはその日、喜び、上きげんで出て行った。ところが、ハマンは、王の門のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、自分を少しも恐れていないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされた。10 しかし、ハマンはがまんして家に帰り、人をやって、友人たちと妻ゼレシュを連れて来させた。11 ハマンは自分の輝かしい富について、また、子どもが大ぜいいることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを全部彼らに話した。12 そして、ハマンは言った。「しかも、王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかはだれも王といっしょに来させなかった。あすもまた、私は王といっしょに王妃に招かれている。13 しかし、私が、王の門のところにすわっているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これらのことはいっさい私のためにならない。」14 すると、彼の妻ゼレシュとすべての友人たちは、彼に言った。「高さ五十キュビトの柱を立てさせ、あしたの朝、王に話して、モルデカイをそれにかけ、それから、王といっしょに喜んでその宴会においでなさい。」この進言はハマンの気に入ったので、彼はその柱を立てさせた。」
 
・ハマンの怒り(お辞儀をしないモルデカイにハマンは腹を立てる):
王妃様に招かれ、王妃様直々のおもてなしを頂いたという嬉しさでいっぱいになったハマンが家路に着こうとしたその時、王宮の門にいたモルデカイとぶつかります。モルデカイが「立ち上がろうともせず、自分を少しも恐れていないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされた。」のです。しかし、ハマンは、流石にその場で切り捨て御免とするのは大人げない、と思ったのでしょう。我慢して家に戻ります。

・ハマンの自慢話(自分の出世を家族に自慢):
モルデカイによって不機嫌にさせられたものの、王と王妃に接待を受けたという喜びは消し難く、親類縁者を多く集めて自慢話をします。「しかも、王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかはだれも王といっしょに来させなかった。あすもまた、私は王といっしょに王妃に招かれている。」鼻をひくひくさせながら得意げに話をするハマンの顔が目に浮かぶような場面です。

・モルデカイ処刑計画(そのために高い木を立てる):
そこまで話したとき、暗い思い出が一つハマンの脳裏をよぎります。「しかし、私が、王の門のところにすわっているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これらのことはいっさい私のためにならない。」と心の陰りを吐露します。すかさず、妻のゼレシュが進言します。「あなたは、案外気が小さいのね。そんなにモルデカイが気に入らないのならば、あなたが処刑してしまえばいいのよ。高い木を立てて吊るしてしまいなさい。王様は必ず許可しますわ。」この夫にしてこの妻あり、夫唱婦随とはよく言ったものです。しかし、この高い木が何に使われたか、ものすごいどんでん返しがあるのですが、それは来週のお楽しみです。
 
おわりに:たとい難しくても、み心と信じた道をまっすぐ進もう
 
 
今日は、み心と信じた道を、躊躇なく進んだエステルの姿を学びました。それがたとい法令に背くことであっても、主が示した道ですから、まっすぐに進んだのです。私たちも、主のみ心と示された道をまっすぐに進む信仰者でありたいと思います。

杉原千畝さんの物語をご存知の方も多いと思います。第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原さんは、ナチス・ドイツの迫害から逃れてポーランド等欧州各地から集まってきた難民たちの窮状に同情して、1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6千人にのぼるユダヤ人をホロコーストから救いました。

私たちの進む道は、杉原さんほど際どいものではないと思いますが、でも、私たちが主の御心と信じた道を進むことによって、誰かの救いとなり得ることを考え、人に従うよりも、神に従う道を選びましょう。
 
お祈りを致します。