礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2016年8月14日
 
「涙ながらの懇願」
エステル記連講(7)
 
竿代 照夫 牧師
 
エステル記 7章1-10節 及び 8章1-8節
 
 
[中心聖句]
 
  3,4   エステルが再び王に告げて、その足もとにひれ伏し、アガグ人ハマンがユダヤ人に対してたくらんだわざわいとそのたくらみを取り除いてくれるように、泣きながら嘆願したので、王はエステルに金の笏を差し伸ばした。
(エステル記 8章3-4節)


 
1.(前回の要約)眠れぬ夜の不思議(6章)
 
 
・王の不眠:
アハシュエロス王は、第一の宴会の後、ごうごうと寝る積りでベッドに入りましたが、神は王に不眠の夜を与えられました。ご目的があったからです。

・王室日誌の朗読:
眠ることができなかった王は、眠気を催すような単調な王宮日誌を読ませることで眠りにつこうとしたのです。

・モルデカイへの栄誉:
その王宮日誌の一文が心に留まりました。王の暗殺計画があったこと、それをモルデカイが察知し、通報してくれたことです。

・無表彰を知る:
王は、モルデカイに、栄誉とか昇進とか褒美を与えたかどうか尋ねます。しかし、何もしていないのを聞いて栄誉を与えようとします。

・栄誉をモルデカイに与える:
栄誉の方法について側近のハマンに尋ねた所、王と等しい名誉を与えることだと聞き、それをモルデカイに与えるべきことをハマンに命じます。

・ハマンとその家族の悲嘆:
この出来事が、栄達を極めたハマンの落ち目になることを家族は感じ、悲嘆に暮れます。
 
2.二日目の宴会と王の質問(7:1〜4)
 
 
1 王とハマンはやって来て、王妃エステルと酒をくみかわした。2 この酒宴の二日目にもまた、王はエステルに尋ねた。「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」3 王妃エステルは答えて言った。「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください.4 私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、殺害され、滅ぼされることになっています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたでしょうに。事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです。」
 
・王の好意が再々度示される:
前日に続いて王妃の後宮において宴会が行われ、アハシュエロス王とハマンの二人が客として招かれました。前日と変わらない華やいだものではありましたが、参加者の気持ちは相当違うものがありました。王の気持ちは良く分かりませんが、ハマンの気持ちは前日と大きく変わっていて、自分が落ち目になっているかもしれないという意気消沈した思いでした。その中でも、王妃エステルに招かれているという事実から、形勢を逆転しようという微かな望みも持っていました。エステルはと言うと、自分の養父であるモルデカイが特別な栄誉を頂いて、物事が好転していることを感じて一層高揚した気持ちになっていたと思われます。宴酣の頃、王はもう一度エステルに尋ねます。「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」これで3度目です。今までの2度は「宴会に来てください」だけの願いで、エステルの本心ではないことは、鈍感なアハシュエロス王でもわかっていましたので、今度は「本心を言ってごらん」という態度であったと思います。

・エステルの嘆願:
自分と民族の助命を!=ここで、エステルは自分と自分の民族の命乞いを願い出ます。しかし、エステルは言葉を選んで注意深くその要望を述べます。「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください.」これが、願いの要点ですが、エステルは補足します。「私たちは奴隷に売られたのだ。そして命まで取られるのだ」と。それまでエステルは、モルデカイの言いつけを守って、自分がユダヤ人であることを言いませんでしたが、この時はっきりと出自を明かすのです。そして、神の民であるユダヤ民族と自分との連帯を恥じることなく明確に表明します。アハシュエロス王は面食らいますが、更にエステルはその背景にある悪の存在を明らかにします。ハマンの名前こそ出しませんが、「ある人が国庫に多額の金を納め、その代償としてユダヤ民族を奴隷にした」というのです。「ハマンがユダヤ人抹殺計画を立て、アハシュエロス王に銀一万タラントの賄賂を支払ってそれに合意させた」というのが真相ですが、エステルは婉曲表現でそれを言い表します。更に、ユダヤ人が抹殺されたら、それはペルシャ帝国、その首長である王の損失になるでしょうと暗に脅しているのです。歴史の中でも、一つの民族やグループが抹殺されることが社会にどんな大きな損失をもたらすものかが証明されています。例えばフランスにおける新教徒(ユグノー)の存在です。宗教改革時代に大きなグループとして存在していた新教徒たちは、フランスの絶対王政によって弾圧され、国外に追放されました。それがフランスの国力を削ぐ大きな要因となったことは後の歴史が証明しています。ユダヤ人を抹殺したナチスの運命は言うに及ばずです。キリシタンを(ほぼ)抹殺した徳川の封建体制がどんなに社会進歩の妨げになったかも私たちは良く知っています。
 
3.ハマンは糾弾され処刑される(7:5〜10)
 
 
5 アハシュエロス王は王妃エステルに尋ねて言った。「そんなことをあえてしようとたくらんでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか。」6 エステルは答えた。「その迫害する者、その敵は、この悪いハマンです。」ハマンは王と王妃の前で震え上がった。7 王は憤って酒宴の席を立って、宮殿の園に出て行った。ハマンは王妃エステルにいのち請いをしようとして、居残った。王が彼にわざわいを下す決心をしたのがわかったからである。8 王が宮殿の園から酒宴の広間に戻って来ると、エステルのいた長いすの上にハマンがひれ伏していたので、王は言った。「私の前で、この家の中で、王妃に乱暴しようとするのか。」このことばが王の口から出るやいなや、ハマンの顔はおおわれた。9 そのとき、王の前にいた宦官のひとりハルボナが言った。「ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのために、ハマンが用意した高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています。」すると王は命じた。「彼をそれにかけよ。」10 こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りはおさまった。
 
・「この悪しきハマン!」:
アハシュエロス王は、(本当は自分もその計画に一役買っているということ、つまり、エステルの嘆願とハマンの計画の関係をすっかり忘れて)その首謀者は誰かと詰問します。今まで名指しを避けていたエステルは、頃は良しと見てはっきりと人差し指を向けて宣告します、「その迫害者とは、この悪しきハマンです。」と。恐らくこのような状況でなかったら、このセリフは出てこなかったでしょう。万事が好都合に働いている様を見ます。王は怒って、その場を去りました。自分も、ハマンの計画を良くも考えずに同意を与えてしまったという後悔がひとかけらでもあれば救いなのですが、アハシュエロス王の辞書には後悔という言葉はないのでしょうか。

・ハマンの処刑:
退去してしまったアハシュエロス王を追いかけることもできず、ハマンは残ったエステルに助命を嘆願します。愚かにも、ベッド状になっていた長いすの上に寝ていたエステルに平伏してお願いしたのです。当時の人々の宴会とは、長椅子の上に寝そべって片肘を突きながら食べるというものでしたから、長いすがあったこと自体は問題ないのですが、王妃様との距離が近すぎたのが問題でした。座を外したアハシュエロス王が戻って来た時に、長椅子の傍にいたハマンを見てこれはセクシャル・ハラスメントだと一層怒りました。「私の前で、この家の中で、王妃に乱暴しようとするのか。」このことばが王の口から出るやいなや、ハマンの顔はおおわれました。処刑の準備です。その時、宦官のひとりハルボナが言いました。「ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのために、ハマンが用意した高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています。」すると王は命じました、「彼をそれにかけよ。」こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられました。昨週CSキャンプで奥多摩に行きましたが、そのキャンプ場にはものすごく高い杉が敷地いっぱいに生えていました。目測でその高さを図りましたら、20〜30メートルでしたから、こんな高さであっただろうと今日の説教の準備をしながら木を眺めていました。ハマンが、モルデカイのために立てた木が、自分の死刑道具となるとは、人生の悲劇です。
 
4.エステルの再度の嘆願(8:1〜8)
 
 
8:1 その日、アハシュエロス王は王妃エステルに、ユダヤ人を迫害する者ハマンの家を与えた。モルデカイは王の前に来た。エステルが自分と彼との関係を明かしたからである。2 王はハマンから取り返した自分の指輪をはずして、それをモルデカイに与え、エステルはモルデカイにハマンの家の管理を任せた。3 エステルが再び王に告げて、その足もとにひれ伏し、アガグ人ハマンがユダヤ人に対してたくらんだわざわいとそのたくらみを取り除いてくれるように、泣きながら嘆願したので、4 王はエステルに金の笏を差し伸ばした。そこで、エステルは身を起こして、王の前に立って、5 言った。「もしも王さま、よろしくて、お許しが得られ、このことを王さまがもっともとおぼしめされ、私をおいれくださるなら、アガグ人ハメダタの子ハマンが、王のすべての州にいるユダヤ人を滅ぼしてしまえと書いたあのたくらみの書簡を取り消すように、詔書を出してください。6 どうして私は、私の民族に降りかかるわざわいを見てがまんしておられましょう。また、私の同族の滅びるのを見てがまんしておられましょうか。」7 アハシュエロス王は、王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った。「ハマンがユダヤ人を殺そうとしたので、今、私はハマンの家をエステルに与え、彼は柱にかけられたではないか。8 あなたがたはユダヤ人についてあなたがたのよいと思うように、王の名で書き、王の指輪でそれに印を押しなさい。王の名で書かれ、王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができないのだ。」
 
・王はエステルとモルデカイを登用:
その日のうちに二つの変化が起きます。一つはハマン家がエステルの物になり、エステルがその管理をモルデカイに委ねたこと、もう一つはハマンの権力がモルデカイに移譲されたこと、です。しかしそれですべてが終わったわけではありません。ハマンが置き土産にして行ったユダヤ人抹殺命令をどうするかという課題がありました。

・エステル再度の嘆願:
命令の取り消しを!エステルの嘆願の究極は、この命令の撤回でした。そこでエステルはアハシュエロス王に対し、「その足もとにひれ伏し、アガグ人ハマンがユダヤ人に対してたくらんだわざわいとそのたくらみを取り除いてくれるように、泣きながら嘆願した」のです。具体的には「ハマンが、王のすべての州にいるユダヤ人を滅ぼしてしまえと書いたあのたくらみの書簡を取り消すように、詔書を出してください。」と願ったのです。この処置がなされませんと、全国に発布された命令が実行されてしまいます。ユダヤ人の敵の筆頭であるハマンは既にいなくなりましたが、ハマンに代表されるユダヤ人の敵は大勢存在していました。彼らは、一旦出されたユダヤ人抹殺命令を盾にとって、どんな被害をもたらすか分かったものではありません。

・王の回答:
命令は取り消せないが、他の方法がある=アハシュエロス王は、ペルシャにおいて、一旦出した命令を破棄することはあり得ない、許されないと言います。これは法的安定性という観点から見て大切な習わしです。しかし、方法はありました。過去の命令を乗り越えるような新しい命令を出すという方法です。アハシュエロス王はそれを示唆したのち、具体的方法をモルデカイに託しました。モルデカイの取った方法は、次回に譲ります。
 
終わりに:求めよう、捜そう、叩こう
 
 
エステルがアハシュエロス王に嘆願した態度の中から、私たちが主に対して嘆願する態度を学びます。昨週のCSキャンプのテーマは、「神様とお話ししよう」でした。主イエスが祈りを教えなさったたとえ話の中に、「三つのパン」の物語があります。その結論は、求めの切なるによって与えられたということです。主は、「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(ルカ11:9〜10)と語られました。気まぐれなアハシュエロス王でさえ、エステルの涙の嘆願に応えたのです。まして天の父は、その子どもたちの切なる願いに耳を背けなさるはずはありません。主のご愛と真実とみ力を信じて祈りましょう。
 
お祈りを致します。