礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2016年8月21日
 
「自分たちのいのちを守る」
エステル記連講(8)
 
竿代 照夫 牧師
 
エステル記 8章9-17節 及び 9章1-19節
 
 
[中心聖句]
 
  16   王の諸州にいるほかのユダヤ人も団結して、自分たちのいのちを守り、彼らの敵を除いて休みを得た。
(エステル記 9章16節)


 
はじめに
 
 
連講のためエステル記を取り上げるにあたって躊躇した点がありました。それは、反ユダヤ勢力に対して容赦なき殺戮が行われたこと、その行動の主導権を取ったのが、か弱く見える王妃エステルであったことです。その行動は新約の角度から100%是認することはできないのですが、その当時の状況から見て自衛のためのやむを得ない措置であったと理解できるようになりました。本論で詳しく触れます。
 
1.(前回の要約)涙の嘆願(7章〜8章前半)
 
 
・エステルは自分と民族の助命を嘆願する:
宴会の席で、自分の願いを聞かれたエステルは、自分と自分の民族の命乞いを願い出ます。しかも、エステルは言葉を選んで注意深くその要望を述べます。「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください.」(7:3)

・エステルはユダヤ人抹殺命令の取り消しを嘆願する:
ユダヤ人抹殺計画の首謀者のハマンは、その悪業のゆえに処刑されるのですが、これは問題の解決ではありませんでした。抹殺命令そのものは生きていたからです。エステルは涙ながらに嘆願します、「もしも王さま、よろしくて、お許しが得られ、このことを王さまがもっともとおぼしめされ、私をおいれくださるなら、アガグ人ハメダタの子ハマンが、王のすべての州にいるユダヤ人を滅ぼしてしまえと書いたあのたくらみの書簡を取り消すように、詔書を出してください。」(8:5)と。

・王の計らい:
アハシュエロス王は、ペルシャにおいて、一旦出した命令を破棄することはあり得ない、許されないと言います。しかし、方法はありました。過去の命令を乗り越えるような新しい命令を出すという方法です。アハシュエロス王はそれを示唆したのち、具体的方法をモルデカイに託しました(8:7−8)。他の点はともかく、この点においては賢い王様です。
 
2.ユダヤ人の自衛措置が許される(8:8〜14)
 
 
「そのとき、王の書記官が召集された。それは第三の月、すなわちシワンの月の二十三日であった。そしてすべてモルデカイが命じたとおりに、ユダヤ人と、太守や、総督たち、およびホドからクシュまで百二十七州の首長たちとに詔書が書き送られた。各州にはその文字で、各民族にはそのことばで、ユダヤ人にはその文字とことばで書き送られた。モルデカイはアハシュエロス王の名で書き、王の指輪でそれに印を押し、その手紙を、速く走る御用馬の早馬に乗る急使に託して送った。その中で王は、どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって、彼らを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、殺害し、滅ぼすことを許し、また、彼らの家財をかすめ奪うことも許した。このことは、アハシュエロス王のすべての州において、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに行なうようになっていた。各州に法令として発布される文書の写しが、すべての民族に公示された。それはユダヤ人が、自分たちの敵に復讐するこの日の準備をするためであった。御用馬の早馬に乗った急使は、王の命令によってせきたてられ、急いで出て行った。この法令はシュシャンの城でも発布された。」
 
・新しい法令の制定:
新しい法令の制定のために書記官が招集されます。それは「それは第三の月、すなわちシワンの月の二十三日」でありました。太陽暦では5〜6月頃で、ハマンによるユダヤ人抹殺命令が出されて2か月後のことです。しかも、新しい法令は、「速く走る御用馬の早馬に乗る急使」によって帝国の隅々に早く届くように仕組まれていました。前の法令が生きていて、大きな悲劇を生む可能性が強かったからです。

・法令の内容(旧法令を変えずに凌駕するものとして):
さて、その新法令とはどんな内容のものでしょうか。11節には「どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって、彼らを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、殺害し、滅ぼすことを許し、また、彼らの家財をかすめ奪うことも許した。」と記されています。とても現代の常識では考えられないような人権無視かつ乱暴な法令です。ただ、このペルシャ帝国の状況を考えると、この方法しかないとも頷けます。というのは、「王の名で書かれ、王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができない」(8:8)という厳然たる不文律があったからです。ユダヤ人抹殺命令はハマンが失脚してもまだ生きています。それを実質的に打ち消すには、抹殺命令を凌駕するような法令が必要です。それが、ユダヤ人自衛措置を許可する法令となったわけです。そして、その自衛権を発揮する日は、ユダヤ人抹殺命令が行われるはずの同じ12月13日(太陽暦では2〜3月頃)と定められました。古い法令の制定から9か月後のことです。新しい法令の実施までに十分な調査と準備がなされることが期待されていました。それは、結果として、ユダヤ人を抹殺しようという動きを封じる抑止効果があったと考えられます。
 
3.モルデカイの栄光(8:15〜17)
 
 
「モルデカイは、青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。するとシュシャンの町は喜びの声にあふれた。ユダヤ人にとって、それは光と、喜びと、楽しみと、栄誉であった。王の命令とその法令が届いたどの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って、祝日とした。この国の民のうちで、自分がユダヤ人であることを宣言する者が大ぜいいた。それは彼らがユダヤ人を恐れるようになったからである。」
 
・モルデカイの権威と威光:
モルデカイが王によって正式に総理大臣の位につき、それが発表されたとき、人々は喜びました。ユダヤ人にとっては格別な喜びでした。その前に広場でともに集い、3日間の断食をもって必死に民族の存続のために祈ったからです。しかし、喜んだのはユダヤ人だけでなくすべての人々です。モルデカイがユダヤ人出身だからと言って他民族を抑圧するような不公正を行った形跡はありません。これは大切な点です。

・ユダヤ人の繁栄と勢い:
この一連の政変を通してユダヤ人株がグーンと上がったことは確かです。彼らが恐れる神への恐れが広がっていき、改宗者がぐっと増えました。捕囚のユダヤ人は、主要都市はどこででも「会堂」(シナゴーグ)を建て、彼らの進行を守る礼拝所、教育所、社交の場所としていましたが、同時にそこはユダヤ人でない人々にも開放されており、中には割礼を受けて宗教的にユダヤ人になる人も大勢いました。その改宗者がモルでかい以後多くなったというのです。
 
4.敵の壊滅(9:1〜10)
 
 
「第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令とその法令が実施された。この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたのに、それが一変して、ユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することとなった。その日、ユダヤ人が自分たちに害を加えようとする者たちを殺そうと、アハシュエロス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったが、だれもユダヤ人に抵抗する者はいなかった。民はみなユダヤ人を恐れていたからである。諸州の首長、大守、総督、王の役人もみな、ユダヤ人を助けた。彼らはモルデカイを恐れたからである。というのは、モルデカイは王宮で勢力があり、その名声はすべての州に広がっており、モルデカイはますます勢力を伸ばす人物だったからである。ユダヤ人は彼らの敵をみな剣で打ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分たちを憎む者を思いのままに処分した。ユダヤ人はシュシャンの城でも五百人を殺して滅ぼし、また、パルシャヌダタ、ダルフォン、アスパタ、ポラタ、アダルヤ、アリダタ、パルマシュタ、アリサイ、アリダイ、ワイザタ、すなわち、ハメダタの子で、ユダヤ人を迫害する者ハマンの子十人を虐殺した。しかし、彼らは獲物には手をかけなかった。」
 
さて、法令が効果的となる12月が来ました。この時の出来事をまとめると:

・ユダヤ人が団結してことを進めた:
各地に少数民族として存在していたユダヤ人でしたが、この日一日だけ許された自衛的行動を効果的に行うためには、共同的にことを進める必要がありました。

・行政当局の協力を得た:
「諸州の首長、大守、総督、王の役人たちの助けを得た」と記されていますが、これも当然の行動です。少数民族が人の命にかかわる行動をするのですから、王の許可を得ていることを確認し、その行動に当たって支障がないことを保証してもらう必要がありました。

・反ユダヤ主義の確信犯を滅ぼした:
この許可をいただいてから9か月が経っていましたから、この人々は身を潜めていたことでしょうが、それでも、反ユダヤ主義を公言する人々は存在し、また、公言しないまでもその活動を支持する確信犯的な人々は存在していました。彼らは、古い法令が有効であることを知っていましたから、先手を打ってユダヤ人に戦いを挑む可能性を持っていました。ユダヤ人たちは反ユダヤ主義者のリストを前もって綿密に作り、先手を打たれる前に先手を打って確実に「粛清」を実行していったのです。現代のイスラエルには「モサド」という世界最強と言われる諜報機関がありますが、彼らの活動は、はモサドの原型だったと思われます。虐殺という言葉が出てきて、私などは「そこまでしなくても」と思ってしまいますが、当時の人々の追い込まれた状況を考えると、賛成まではできないが、理解はできるような気がいたします。

・彼らの財産には手を出さなかった:
固まった危険な人物は粛清しましたが、その財産には手を付けませんでした。それは、この作戦があくまでも自衛措置であって、私怨に基づくものではなかったことを示します。法令では、その財産を手に入れることも許されていました(8:11)が、実施段階では敢えて財産の略取をしませんでした(9:10、15、16)。この言葉が3回も繰り返されていることが特徴的です。彼らは、財産に手を付けるようになれば、自衛という枠を超えてしまうことを知っていたからです。
 
5.壊滅作戦の延長(9:11〜15)
 
 
「その日、シュシャンの城で殺された者の数が王に報告されると、王は王妃エステルに尋ねた。『ユダヤ人はシュシャンの城で、五百人とハマンの子十人を殺して滅ぼした。王のほかの諸州では、彼らはどうしたであろう。あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。あなたはなおも何を望んでいるのか。それをかなえてやろう。』エステルは答えた。『もしも王さま、よろしければ、あすも、シュシャンにいるユダヤ人に、きょうの法令どおりにすることを許してください。また、ハマンの十人の子を柱にかけてください。』そこで王が、そのようにせよ、と命令したので、法令がシュシャンで布告され、ハマンの十人の子は柱にかけられた。シュシャンにいるユダヤ人は、アダルの月の十四日にも集まって、シュシャンで三百人を殺したが、獲物には手をかけなかった。」
 
・壊滅作戦の報告:
首都シュシャンで行われたことが王に報告されると、王は王妃に尋ねます。「これで十分か。それともあなたはもっとしてほしいことがあるのか。」と。

・一日の延長願い:
エステルは自衛措置の一日延長とハマンの子どもたちの処罰を求めます。実は、ハマンの子どもたちは、すでに殺されていた(10節)のですが、それ(つまり死体)を柱にかけてほしいと願います。一種の見せしめですが、これを行うことによって、ハマンの勢力の完全な終焉を宣言したかったのです。こうした願いは、可憐で美しいエステルというイメージを損なうものとして、聖書の愛読者からも非難を受けることがよくあります。しかし、当時の状況に身を置いて考えれば、必要やむを得ない措置であったと頷けます。エステルとモルデカイの心にあったものは、反ユダヤ的勢力が完全に粛清されることでした。もし、一部でも逃れたら、それが芽を吹いて問題を起こすことを恐れていたからです。工藤弘雄先生はそのエステル記講解で、反ユダヤ勢力との戦いを私たちの罪との戦いになぞらえています。先生は、罪に対する完全勝利が十字架で勝ち取られたのですが、その勝利を信仰によって自分のものにしようと勧めておられます。
 
6.祝宴の日(9:16〜19)
 
 
「王の諸州にいるほかのユダヤ人も団結して、自分たちのいのちを守り、彼らの敵を除いて休みを得た。すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺したが、獲物には手をかけなかった。これは、アダルの月の十三日のことであって、その十四日には彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。しかし、シュシャンにいるユダヤ人は、その十三日にも十四日にも集まり、その十五日に休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。それゆえ、城壁のない町々に住むいなかのユダヤ人は、アダルの月の十四日を喜びと祝宴の日、つまり祝日とし、互いにごちそうを贈りかわす日とした。」
 
・祝宴の日の制定と実行:
自衛措置は一日延長され、ユダヤ人を憎む勢力は完全に滅ぼされました。その後彼らは祝宴の日を設けます。この祝宴が代々にわたる「プリム祭り」となるのですが、その詳細は次回に譲ります。
 
おわりに
 
 
主は、自分たちの命を守る道を備え、それを行使する自由を与えておられます。今日話題になっている集団的自衛権とか、憲法改正という生臭い話とすぐに結び付けないほうがいいとは思いますが・・・。

エステル記が強調しているのは、私たちを滅ぼす敵なる悪魔の存在と活動を許さないという厳しい態度の必要性です。遠藤嘉信先生は、「このときのために」というエステル記講解を書いておられますが、その一部を引用します。「私たちのあらゆる戦いの中で、表面的な戦いとその突出した敵に翻弄されながら、その背後の恐るべき敵とその力を見据えないで、ただ問題の収束を目標として、空を打つような検討を続けるだけでは、消耗し、疲れ果ててしまいます。本当の敵を知って、聖霊の助けをいただいて、神の国のために立とうとしない限り、私たちの真の勝利はありません。」

終わりに、ヤコブの言葉を引用します。「神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(ヤコブ4:7)
 
お祈りを致します。