礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2016年9月4日
 
「悲しみが喜びに」
エステル記連講(9)
 
竿代 照夫 牧師
 
エステル記 9章16-32節 及び 10章1-3節
 
 
[中心聖句]
 
  21,22   それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定めるためであった。
(エステル記 9章21,22節)


 
はじめに
 
 
10か章のエステル記でしたが、9回で終えることにいたします。10章が3か節しかないものですから、区切りとしてそうなりました。
 
1.(前回の要約)ユダヤ人の自衛行動(9:16〜19)
 
 
「王の諸州にいるほかのユダヤ人も団結して、自分たちのいのちを守り、彼らの敵を除いて休みを得た。すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺したが、獲物には手をかけなかった。これは、アダルの月の十三日のことであって、その十四日には彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。しかし、シュシャンにいるユダヤ人は、その十三日にも十四日にも集まり、その十五日に休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。それゆえ、城壁のない町々に住むいなかのユダヤ人は、アダルの月の十四日を喜びと祝宴の日、つまり祝日とし、互いにごちそうを贈りかわす日とした。」
 
・ユダヤ人を守る措置:
ユダヤ人抹殺命令という前代未聞の恐ろしい法令が、王の側近であったハマンに作られ、王の権威によって全国に布告されました。ハマンは失脚したのですが、その法令の効果は残りました。王の名によって出された法令は変更不可というペルシャの不文律がありましたから、その効果を打ち消すには、その法令を乗り越える法令を作らねばなりませんでした。それが、ユダヤ人が、その滅びを求める人々を先制的に攻撃してもよいという許可でした。

・実行:
特定の日、つまり、12月13日(太陽暦では2、3月頃)、一日限りという条件で、それが実行に移されました。多くの反ユダヤ主義の人々が滅ぼされましたが、その財産に手を付けることはありませんでした(16節)。この戦いが私怨に基づくものでないことを示すためです。他の町々は一日で終わったのですが、多分潜伏していたユダヤ主義者が多かった首都シュシャンでは、一日延長されました。

・エステル記の強調:
エステル記が協調しているのは、私たちを滅ぼす敵なる悪魔の存在と活動を許さないという厳しい態度の必要性です。
 
2.祭日の布告(9:20〜22)
 
 
「モルデカイは、これらのことを書いて、アハシュエロス王のすべての州の、近い所や、遠い所にいるユダヤ人全部に手紙を送った。それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定めるためであった。」
 

・祭の日と意義:
モルデカイは、ペルシャのすべての州に住むユダヤ人に書簡を送ります。それは、毎年12月14日、15日(太陽暦では2、3月)をユダヤ人の祝日としなさいという布告です。それは、この日に予定されていたユダヤ人抹殺命令が事実上覆され、「自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月」となったことを記念するためです。両日に定められたのは、時間のずれを両方含むためです。首都以外は14日、首都は15日を勝利の日としたのですが、モルデカイはその両日を祝祭日と定めたのです。

・祭日の内容:
その日にユダヤ人がなすべきことは、祝宴を楽しむこと、互いに御馳走を送ること、特に貧しい者に贈り物を送ることです。祝祭の内容として貧しい人々への配慮が挙げられていることが興味深いものです。エステルの時代から40年後、故国のエルサレム城壁再建をはたしたネヘミヤが完成祝いの時にご馳走を用意し、用意できない人々にもそれを贈った(ネヘミヤ8:10)のと共通した思想です。共同体を大切にした精神を伺うことができます。
 
3.「プリム」という名前(9:23〜28)
 
 
「ユダヤ人は、すでに守り始めていたことを、モルデカイが彼らに書き送ったとおりに実行した。なぜなら、アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダヤ人を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうとしたが、そのことが、王の耳にはいると、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたからである。こういうわけで、ユダヤ人はプルの名を取って、これらの日をプリムと呼んだ。こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、ユダヤ人は、彼らと、その子孫、および彼らにつく者たちがその文書のとおり、毎年定まった時期に、この両日を守って、これを廃止してはならないと定め、これを実行することにした。また、この両日は、代々にわたり、すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした。」
 
・ユダヤ人たちの実行:
かれらは、モルデカイの書簡に従って、この祭日を実行しました。この習慣は今日に及んでいます。「シナゴーグ礼拝において、特定の祭りの日に、聖書の中からとくに選んで朗読されるものがある。雅歌(過ぎ越し祭り)、ルツ記(五旬節)、哀歌(アヴの月9日)、伝道の書(仮庵祭)そしてエステル記(プリム祭)である。これらを一括して五巻と呼ぶ。いずれも比較的短く、しかも美しい書である。プリム祭で朗読するときのエステル記は独立した一巻の巻物でなければならない。…羊皮紙にインクで書かれた巻物である。」

・「プリム」の意味:
この祭日の名前は、誰いうとなく「プリム」の祭りという風に呼ばれるようになりました。それは、ユダヤ人抹殺命令を計画したハマンがくじ引き(プル)によって「吉日」を定めたことを覚えるためです。因みにプルというのはペルシャ語なのですが、これをヘブル語的な複数形にした造語がプリムです。この日がエステルの祭りでもなく、モルデカイの祭りでもなく「くじ引き」祭りと命名されたところに、人々のユーモアを感じます。人の引くくじの背後にある神の摂理を示すからです。

・世々に亘って実行:
このプリム祭は、このペルシャ時代のユダヤ人だけでなく、次の世代のユダヤ人も、そして「彼らにつくもの」(改宗者と思われる)も祝われるものと定められました。この習慣は今日に及んでいます。「シナゴーグ礼拝において、特定の祭りの日に、聖書の中からとくに選んで朗読されるものがある。雅歌(過ぎ越し祭り)、ルツ記(五旬節)、哀歌(アヴの月9日)、伝道の書(仮庵祭)そしてエステル記(プリム祭)である。これらを一括して五巻と呼ぶ。いずれも比較的短く、しかも美しい書である。プリム祭で朗読するときのエステル記は独立した一巻の巻物でなければならない。…羊皮紙にインクで書かれた巻物である。」
 
4.祭り規定の再確認(9:29〜32)
 
 
「アビハイルの娘である王妃エステルと、ユダヤ人モルデカイは、プリムについてのこの第二の書簡を確かなものとするために、いっさいの権威をもって書いた。この手紙は、平和と誠実のことばをもって、アハシュエロスの王国の百二十七州にいるすべてのユダヤ人に送られ、ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。エステルの命令は、このプリムのことを規定し、それは書物にしるされた。」
 
エステル記のこの部分は、随分繰り返しが多く、しつこいような印象を与えますが、プリム祭の説明が微妙に変わっていることも見逃せません。この手紙が「平和と誠実の言葉をもって」送られたこと、祭日の目的が「断食と哀悼」のためでもあることが書き加えられています。祭りの目的は、平和のためであり、その内容が「断食と哀悼」(嘆き)というものであることは、新しい意味付けです。断食は、自らの救いのために断食して祈った必死の祈りを思い出させますし、哀悼(嘆き)は、断食の祈りの根底にあった危機感を思い出さるものでした。
 
5.モルデカイの功績(10:1〜3)
 
 
「後に、アハシュエロス王は、本土と海の島々に苦役を課した。彼の権威と勇気によるすべての功績と、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細とは、メディヤとペルシヤの王の年代記の書にしるされているではないか。それはユダヤ人モルデカイが、アハシュエロス王の次に位し、ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語ったからである。」
 
・アハシュエロス王の功罪:
この文章も、エステル記の中にどうして入ってきたかと一見不可解ですが、歴史の中の出来事として、言及せざるを得なかったのでしょう。彼は権威をもち、勇気ある行動ゆえに功績を持った男です。しかし、同時に、その偉大さを保つために、帝国の人民に苦役を課したことも確かです。特に、失敗に終わった対ギリシャ戦争が国民経済に暗い影を落としていたことは否めません。功罪両方があったのです。

・モルデカイの功績:
アハシュエロス王が功罪交えて言及されているのに比べて、モルデカイは良い点だけが挙げられています。「多くの同胞たちに敬愛され、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語った。」依怙贔屓したような印象を与えますが、これは、他民族からもよい評価を受けたものと思われます。
 
おわりに
 
 
プリム祭が、過去において悲しみが喜びに変えられた勝利を記念する日であったように、いやそれ以上に、現在的なキリストの勝利を物語るものです。キリストの救いは、私たちの生涯を喜びに帰るものです。先ほど歌いました讃美歌は「恐れは変わりて祈りとなり、嘆きは変わりて歌となりぬ」と歌っています。締めくくりの賛美は、「血潮見上げ歩めば、悲しみは歌となり、日々主に導かれる」です。ダビデは、「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。」(詩篇30:11)と歌いました。危機を好機に、嘆きを賛美に、悲しみを喜びに替え給う主のみ力を讃えましょう。
 
お祈りを致します。