礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2017年3月19日
 
「恵みの中にしっかりと立つ」
ペテロの手紙第一 連講(15)最終
 
竿代 照夫 牧師
 
ペテロの手紙 第一 5章12-14節
 
 
[中心聖句]
 
  12   この恵みの中に、しっかりと立っていなさい。
(ペテロの手紙 第一 5章12節)


 
はじめに
 
 
・前回のテーマ:「悪魔に立ち向かえ」(9節)
前回は、「堅く信仰に立ってこの悪魔に立ち向かいなさい。」(9節)を中心に、「悪魔に立ち向かえ」とのテーマでお話ししました。

・今日:締めくくりの言葉
今日は、この手紙の締めくくりの言葉です。
 
A.手紙の纏め(12節)
 
 
「私の認めている忠実な兄弟シルワノによって、私はここに簡潔に書き送り、勧めをし、これが神の真の恵みであることをあかししました。この恵みの中に、しっかりと立っていなさい。」
 
1.兄弟シルワノの役割(12節a)
 
 
・シルワノ:別名シラス。パウロ第二次伝道旅行の片腕。後、ペテロの兄弟に
パウロが第二次伝道旅行の時の相棒として選んだ人物(使徒15:40)で、ピリピ教会(使徒16:19)、テサロニケ教会(使徒17:4)、コリント教会(2コリント1:19 私たち、すなわち、私とシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは・・・)などの開拓のためにパウロの片腕として労しました。因みに、「使徒の働き」ではシラスという名前で、また、パウロの手紙ではシルワノという名前で呼ばれていますが、同一人物です。シルワノが正式名で、シラスは短縮形であったと考えられます。その後、どのような経過であったかは分かりませんが、ペテロと行動を共にするようになり、ペテロが信頼した忠実な兄弟となったのです。

・使者(または書記)シルワノ:第一ペテロ書を携行した使者
「シルワノによって、私はここに簡潔に書き送り・・・」という文章は、ペテロがシルワノを書記として使ったのか、または、書かれた手紙の運び人、つまり、使者として使ったのかはっきり示していません。双方の解釈があるのですが、多くの注釈者は、使者であったと解釈しており、私もそれに従いたいと思います。
 
2.神の真の恵み(12節b)
 
 
・恵みによる(頼る)生活:恵みとは、「値しないものに対して与えられる神の特別な顧み、計らい」のこと。その恵みに寄り縋る生き方がクリスチャン生活
ペテロは、この手紙によって強調したかったことを2つにまとめています。一つは、キリスト者の生活は、徹頭徹尾恵みによる(頼る)生活である、という点です。先週学びましたように、神は「あらゆる恵みに満ちた神、つまり、恵という恵みの全てにおいて満ち満ちたお方です。赦す恵、きよめる恵、癒す恵、満たす恵、私たちが必要とするあらゆる恵みに富んだお方です。クリスチャン生活とは、この恵みに頼る生活のことです。裏返して言えば、自分の力、知恵、才覚、意志の強さ、努力、難行苦行に頼らないで、ひたすら、恵みに満ちた神に寄り縋る生き方です。ペテロは、この手紙の中で、神の恵みについて9回言及しています。恵みとは、「値しないものに対して与えられる神の特別な顧み、計らい」のことですが、ペテロは、その恵みに頼ることこそが、福音が齎す生き方の神髄であると語ります。「神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられる」(5:5)と。夫婦の間でも、また、他のクリスチャン同士でも、真の尊敬が生まれるのは、相手を「いのちの恵みをともに受け継ぐ者として」(3:7)見ているからです。ペテロがこの手紙で勧めた内容は、神によって示された真の恵みによる生き方です。パウロの神学も、始めから終わりまで恵みの神学です。「あなたがたが救われたのは、ただ恵みによる」(エペソ2:5)のです。

・「この恵みの中に、しっかりと立つ」:恵みによって強められた服従の生活
ペテロは、「この恵みの中に、しっかりと立っていなさい。」と最後の勧めを行っています。恵みの中に生きる、という前段と「しっかり立つ」という後段は何となくミスマッチのように響きます。前段が浴衣を着てリラックスした生き方ならば、後段は背広を着てネクタイを締める生き方を示しているかのようです。しかし、実はこの二つの絶妙なバランスに生きることが本当のクリスチャン生活なのです。神の恵みは、私たちをいい加減な生き方に導くのではなく、恵みが私たちの服従を強めてくださいます。その服従の心をもって主に仕えなさい、という勧めです。恵みという思想の上っ面だけを捉えられますと、恵みによって生きるのだから、私たちの側では何の苦労もなく気楽に生きようよ、といういい加減な生き方になってしまいます。もっと言うと、堂々と罪の中に生活しながら恵みを唱えるクリスチャンまで現れてしまいます。こういった人々はジョン・ウェスレーの時代にもたくさんいました。ウェスレーはは、この々をアンティ・ノミアン(道徳無視の生き方)として非常に警戒しました。「恵みの中にしっかりと立つ」という言葉は、リラックスした信仰姿勢と、真面目な(私たちの用語でいえば)メソジカルな生き方の微妙な調和のことです。
 
B.挨拶(13〜14節)
 
 
「バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしくと言っています。また私の子マルコもよろしくと言っています。愛の口づけをもって互いにあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。」
 
1.バビロンにいる婦人からの挨拶(12節a)
 
 
・バビロン:ローマの象徴的な呼び方
古代の大帝国の首都であったバビロンは、この手紙の書かれた紀元1世紀では、真に小さな田舎町になっていましたから、そのバビロンからペテロが手紙を書いたはずはありません。バビロンとは、イザヤ書などでは、神に逆らう世俗勢力の象徴として描かれていましたので、ペテロも、象徴的な意味で使ったと思われます。当時の世俗勢力の頂点はローマでありましたから、ローマのことを指すというのが定説です。でも、名指しでローマと言わなかった所に、ペテロが置かれていた危険な状況が伺えます。

・婦人:教会の比喩的な言い方
ペテロは、小アジヤのクリスチャンたちが知っている特定の女性について語っているのでしょうか。どうも、そうではありません。これも比喩的な言い方で、教会を指していると考えるのが自然です。/td>
 
2.ペテロの「子」マルコ(12節b)
 
 
・マルコ:最後の晩餐の会場提供者マリヤの息子。十字架前夜、裸で逃げた男。パウロ第一次伝道旅行の時の助手、直ぐに脱落、その後回復し、パウロの信頼を得る(ピレモン24、2テモテ4:11)
ここで、マルコが登場するのも不思議です。マルコは、教会誕生の頃ペテロたちの仲間であり、最後の晩餐とペンテコステ祈祷会の会場提供者であったマリヤの息子です。十字架の前夜、捕まりそうになって裸で逃げた男と考えられています。その後、パウロが第一次伝道旅行の時にお手伝いとして同行し、途中で逃げ出してしまったのがマルコです。しかし、その10年後、パウロがローマの獄につながれていたとき、」一緒だったことが記されています。しかもそこではパウロの「同労者」と呼ばれています(ピレモン24)。パウロの最後の手紙である第二テモテ書では、テモテに向かって、「マルコを伴って、いっしょに来てください。」とお願いしています。その理由は、「彼(マルコ)は私の務めのために役に立つから」と説明されています(2テモテ4:11)。マルコは見事に回復したのです。

・ペテロの「子」:ペテロと行動を共にし、イエスの生涯を聞き書きして「マルコ福音書」を記す
そのマルコが、ペテロからも「私の子」と呼ばれているのです。恐らく、マルコの福音書の執筆のために、ペテロとともにいて、イエス様のことを聞き書きしていたのでしょう。心温まるエピソードです。
 
3.愛の口づけ(14節a)
 
 
・当時の習慣として普通に行われていた:
ペテロは、これを受け取ったアジヤのクリスチャンたちが「愛の口づけ」をもって互いに挨拶をするように勧めています。これは、特別に変わった挨拶の仕方ではなく、当時の人々では当たり前の習慣でした。しかし、ペテロは、その当たり前の挨拶をしっかりと教会内でも行いなさい、と勧めています。

・今の時代には、今にふさわしい方法で互いの挨拶を:
私たちはいろいろな文化背景をもっていますから、一つの方法だけが聖書的ということはできませんが、互いにシャイとはならず、親近感を心から表す方法で挨拶を心から交わせるものでありたいと思います。
 
4.平安の祈り(14節b):主イエス復活時の挨拶「シャローム!」
 
 
当時の、特にユダヤ的な背景を持った人々は互いに「シャローム」と挨拶を交わすのを習わしにしていました。主イエスがよみがえられたとき、「平安があなた方にあるように」と挨拶されたのがその例です。ペテロはその思いをもって、読者に平安を祈ります。
 
おわりに:恵みの中にしっかりと立とう!
 
 
こんな短い、しかもすっと読んでしまえば一つも大切な要素が少ないように見える「挨拶」にも、たくさんの恵みが込められています。恵みによって生きる、そしてその神髄を捉えてしっかり立つことを心にとめて、第一ペテロ書連続講解を終わります。
 
お祈りを致します。