礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2017年4月2日
 
「神の恵みによって、今の私に」
着任の辞〜
 
梅田 昇 牧師
 
コリント人への手紙 第一 15章1-11節
 
 
[中心聖句]
 
  10   ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒よりも多く働きました。しかし、私ではなく、私にある神の恵みです。
(コリント人への手紙 第一 15章10節)


 
聖書テキスト
 
 
1 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。3 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、4 また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、5 また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。7 その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。9 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。11 そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。
 
赴任の挨拶
 
 
中目黒教会の前身は丸の内教会、主都中央教会であり、初代総理の蔦田二雄先生、2代目の蔦田真実先生、蔦田直毅先生、井川正一郎先生、また直近では、竿代照夫先生ご夫妻が19年に渡り、心血を注いで精力的な奉仕をされました。また最近の4年間、河村従彦先生ご夫妻が協力牧師として、真実に尽力されたことです。私たちはこれまで真実に奉仕された先生方の愛の労苦、真実なご奉仕を決して忘れることなく、深い感謝を覚えつつ、日々の信仰生活を送るべきです。中目黒教会の重い伝統と長い歴史を覚えつつ、福音の働きが中目黒の地に、目黒区に、いな東京に、更に前進していくために、皆様と心を合わせて奉仕させて頂きたいと切に願っています。
 
教会とは
 
 
はらから」の4月号に書かせていただいたことですが、教会はキリストのからだです。からだにはいろいろな部分があり、助け合い、補いながら、からだ全体として機能します。からだには目に見える部分と、目に見えない内臓のような器官もあります。からだの部分で、不必要な器官は何もありません。

同じように、教会にはいろいろな考えや背景を持つ方々が恵みによって救われ、地域教会を構成しています。キリストのからだの各部分として、頭なるキリストに従いながら、私たち信仰者は、互いに助け合い、互いに励まし合いながら、キリストのからだなる教会の建設を目指しているのです。もちろん、教会は人間の集まりですから、誤解や勘違いなどもありえますが、同じように牧師と教会員の間に、教会員同士の間に十分なコミュ二ケーションが求められましょう。互いに祈りあい、互いに励まし合いながら、主キリストの教会建設の働きにあたらせて頂きたいものです。
 
聖書箇所の背景
 
 
今朝、第一コリントの手紙15章を開かせていただきました。コリントの教会には、分裂や分派、性的不道徳、礼拝の不秩序、異言をはじめとする賜物に関する混乱、やキリストの復活に関する教理的な間違いなど、いろいろな問題がありました。新約聖書の中で、コリント教会は、一番問題を抱えた教会の一つであったと言っても過言ではないでしょう。 
 
聖書箇所執筆の目的
 
 
使徒パウロは、それらの問題に対して、コリント教会のメンバーに霊的、実際的なアドバイスを与えるためにこの手紙を書いたのです。 その誤りの一つが、キリストの復活についてでした。当時、キリストの復活を信じない懐疑的な人々があったのです。コリントの手紙第一15章は、「復活の章」と呼ばれて、キリストの復活について非常に大切な章であります。

使徒パウロは このコリント人への手紙第一の15章で、主キリストの復活の確かさと意味について論じているのです。

今朝読まれた聖書の箇所には、よみがえりのキリストに出会い、その生涯を変えられた使徒パウロの力強い証し、証言が記されています。今朝は、この個所から「神の恵みによって今の私に」という題で神様のみことばをお伝えいたします。
 
第一にパウロの回心前の姿
 
 
9節「私は使徒の中でも最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです」。

1.彼の生い立ちと少年時代:
彼の生い立ちは、タルソと言う小アジアの町にあるユダヤ人の家系に生まれ、パリサイ人として厳格な教育を受けたのです。ユダヤ人でありながら、ギリシャ語を習得し、ギリシャやローマ帝国の多様な文化を身につけていたと考えられます。

彼の幼少時代について詳しいことはわかりませんが、恐らく、敬虔なユダヤ人の家庭に育ち、安息日には会堂に行って神様を礼拝していたことでしょう。青年となり、彼はエルサレムのガマリエルという指導者のもとで教育を受け、ユダヤ教の聖職者になるために学びました。

2.迫害者として活動:
主キリストを信ずる人々が次々と起こされるに及んで、新興宗教を信じる危険なクリスチャンを滅ぼす必要があると考えて、パウロは、彼らを迫害していたのです。神の教会を迫害し、クリスチャンに暴行を加える人でした。

テモテへの手紙第一1章13節を見ますと、「私は以前は、神を汚す者、迫害する者、暴力を振るう者でした。それでも信じていない時に知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです」と記されています。15節には「私は罪人の頭です」とパウロは告白しています。知らないでしたことは言え、彼は神の教会を迫害し、クリスチャンに暴力を振るう迫害者でした。神様に対して熱心だと思いつつ、実は、神様に反逆した生活を送っていたのです。
 
第二にパウロと主キリストの出会い
 
 
8節に 「最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました」と記されています。

1.主の顕現:
主キリストは、十字架にかかり、三日後によみがえられてから、いろいろな場所で弟子たちに現れてくださいました。4節によりますと、「主は聖書の示す通りに、葬られ、三日目に甦られた」と記されています。三日後に主キリストは全能の力によって復活されたのです。

日曜日の朝、マグダリアのマリアや他の女性たちが、主が埋葬された所にくると、主の使いが現れて「主はここにおられません。主は甦られました」と語りました。

主イエス・キリストは、復活の後、11回にわたって、多くの場所で、弟子たちに顕現して下さいました。コリント人への手紙第一15章5-8節を読ませていただきましょう。

2.パウロに対する主の顕現:
使徒の働き9章をみると、彼がどのように甦りのキリストに出会ったかを知ることができます。甦りのキリストが、「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」と問いかけられました。彼はパッと心の目が開かれ、これまでの生活が思い起こされ、人生の方向転換を経験したのです。主キリストとの個人的な出会いが彼の人生の方向転換を許したのです。

3.主の復活の意義:
主キリストの復活は、救いのみわざの完成を意味します。主イエス・キリストは 十字架にかかり、私たちの救いのために死んで下さいました。主の復活は、主キリストが本当に私たちの罪のために死んで下さり、救いのわざを完成して下さったことを意味しています。

使徒パウロは「神の恵みによって今の私になりました」と語りました。彼の生涯は、甦りの主にお会いし、神の恵みによって変貌されたのです。彼は「最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました」と証しをしています。神様に救われているということは、実に驚くべきすばらしいことす。パウロは、よみがえられた主キリストに出会い、人生の大転換を与えられたのです。
 
第三に、パウロの回心からこれまでの歩み
 
 
10節「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒よりも多く働きました。しかし、私ではなく、私にある神の恵みです」。

彼は、よみがえりの主に出会った後3年ほど、アラビアに退き、主と交わり、訓練の時を与えられ、三回にわたる宣教旅行を敢行しました。まだ福音をまったく聞いたことのない町や村々に福音を伝えましたので、困難を極め、しばしば同胞のユダヤ人からの迫害を受けたのです。

1.弱さを持ったパウロ:
彼がどんな困難に直面したかを知ることができます。自分の能力でどうしようもない困難に直面し、彼は弱さと限界を痛感したのです。彼は決してスーパーマンでもスパイダーマンでもなく、いろいろな弱さをもった人物でした。肉体的な弱さを持ち、精神的にも気落ちすることもありました。しかし、主の恵みは、彼の内に現され、私たちの弱さのうちに現されるのです。弱さを感じる時、主の恵みによって強くなれるのです。

2.さまざまな困難に直面したパウロ:
コリント人への手紙第二11章23-33節を読みますと、彼がどのような苦難に直面したかを知ることができます。主は試練ともに、試練に耐え、逃れる道をも備えてくださいます。

3.福音のために奉仕を敢行し続けたパウロ:
第三次宣教旅行の途中、エペソの教会に来るまで使徒パウロは、福音のために走るべき道を走ってきたのです。救われる魂が起こされず、失意落胆したこともありました。しかし、神のみことばに励まされつつ、奉仕を続けたのです。

神様は大きなご計画をもって、ユダヤ人でありながら、異邦人の教育や教養を身につけたパウロを、異邦人の使徒とするために選ばれたのです。その彼が「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました」と告白しています。恵みということばは、新約聖書の中で最も中心的なことばです。ギリシャ語ではカリスということばで、よく聞かれますように、受ける資格がないのに、受ける愛顧、顧みという意味です。恵みは、神の愛、アガペーの愛と同意語です。

神様の無限の愛、アガペーの愛を頭で理解することは難しいことですが、母親の愛に一番近いと言われます。地獄に行って当然のような私たちを神様は見捨てることなく、過去の罪を赦し、受け入れ、豊かな愛を注ぎ、生きる喜びと使命を与えてくださったのです。まさに、信仰者は神様の恵みに信仰によって応答したときに、救われ、神様との和解を経験し、永遠の希望を与えられたのです。何という感謝、何という幸いでしょうか。

恵みに対する感謝や感恩の情が弱くなりますと、信仰生活が形式的になり、霊的に落ち込んでしまうのです。使徒パウロのように、神様の恵みによって今の私、私の現在があることをこの朝、しっかりと確認させていただきましょう。

私たちの信仰生活において、さまざまな問題課題は尽きることがないでしょうが、この神様の恵みによって救われ、生かされているという事実、幸いを決して忘れることなく、天に凱旋するまで主の恵みに感激しつつ、歩ませていただきましょう。
 
<結 論>
 
 
10節に「神の恵みによって、私は今の私になりました」と記されています。今朝は「神の恵みによって今の私に」という題で、聖書のことばをお伝えしました。

第一にパウロの回心前の姿に心を向けました。彼は、神様に背を向けて、罪と闇の中を歩んでいたのです。

第二に彼がどのようにキリストに出会ったかを見ました。復活されたキリストにお会いし、人生の大転換を経験したのです。

第三に、パウロの回心からこれまでの歩みについて見ました。神の恵みによって、今の私、私の現在があることを自覚し、深い感謝を覚えていたのです。

使徒パウロのように、私たち一人ひとりも、いろいろなところを通されましたけれども、主の恵みによって、今の私、私の私とされている事実を心に深く刻み込み、迎えました4月、そして、新年度を感謝と希望をもって歩み続けようではありませんか。
 
お祈りを致します。