礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2017年4月16日
 
「その信仰によって、今も語る」
召天者記念・イースターメッセージ
 
梅田 昇 牧師
 
へブル人への手紙 11章1-7節
 
 
[中心聖句]
 
  4   彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
(へブル人への手紙 11章4節)


 
聖書テキスト
 
 
1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。5 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。7 信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。
 
イースターを迎えて
 
 
受難週を越えて、今朝はイエス・キリストの復活を記念するイースター礼拝です。世界中のキリスト教会において、様ざまな形で、イースターの礼拝、行事が行われることでしょう。

新約聖書において、十字架と復活は、中心的な真理です。十字架による贖いの業が確かであることを示すために、主キリストは、3日後に死からよみがえり、多くの場所で弟子たちに顕現してくださいました。ペテロやヨハネのような弟子たちは、よみがえりの主キリストにお会いして、信仰が回復し、確信ある信仰者へと変えられたのです。
 
召天者記念礼拝の朝を迎えて
 
 
今朝は、イースター礼拝であるとともに、ご案内のように召天者記念礼拝として、神様を礼拝する朝となっています。キリスト教は、死者や先祖を大切にしない宗教だと誤解している方がありますが、それは正しい批判ではありません。確かに死者や先祖を礼拝、崇拝するわけではありませんが、召された方々を忍び、神様を崇めることには大変意義があります。
 
へブル人への手紙11章について
 
 
へブル人への手紙11章は、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセのように信仰によって生きた人々の名前が列挙されており、「信仰の列伝」、「信仰のヒ―ロ−の章」と呼ばれます。神様を信頼して、生涯を生きた信仰の人物のことが列挙されています。

今朝は、5節を中心に「信仰によって、今も語っています」という題で、聖書の真理をお伝え致します。
 
T. 信仰の定義(1節)
 
 
第一に、信仰とは何かということが定義されています。1節「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」。

1.信仰とは:
1節に「信仰は望んでいる事がらを保証し」とありますが、信仰とは一体なんでしょうか。信仰とは人間を越えた絶対的な存在に対する依存であり、委ねる態度です。私たちには人間を越えた存在に対する信仰が必要です。私たち人間は、信仰なくして生きていくことができません。信仰とは、希望を保証するものであり、目に見えないものを確信することです。私たちがすべてを疑ったら、生活することが困難です。私たちの普段の生活の中に、信じるという行為が無意識になされているのです。

2.創造者に対する信仰:
世界は神様によって創造されたと聖書は宣言しています。3節「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです」。私たちは確かに地球上の日本に生活していて、地球がいつどのようにしてできたかを目撃した人はありません。創世記1章1節に「初めに、神が天と地を創造した」とありますが、私たちは神様を見たわけでも、天地創造の場面を目撃したわけではありません。この世界は神様によって創造されたと聖書は教えており、それを信じているのです。

3.救いを成就されたキリストに対する信仰:
創造者である神様は旧約の歴史を導き、教会の歴史を導いておられ、世の終わりに向かって世界を導いておられるのです。創造者なる神様は、私たちのために救い主キリストを遣わし、救いを完成してくださいました。私たちは、聖書を通して、主キリストが救いを成就されたことを信じているのです。神様に対する信仰はとても大切なのです。
 
U.信仰によって義とされる(4節)
 
 
第二に、信仰によって、義人であることが証明されたと記されています。4節「信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました」。アベルは、信仰によっていけにえをささげ、神様の前に義と認められたのです。

1.信仰義認について:
4節は、信仰による義認を意味していると言われます。良い行いをすることや律法を守ることではなく、神様に対する信仰によって、神様はすべての罪を赦し、私たちを受け入れてくださるという意味です。4節に出てきますアベルとカインの物語は創世記4章に記録されています。アベルとカインは、最初の人間アダムとエバの子どもたちで、兄のカインは農耕者。弟のアベルは牧羊者で、動物が好きだったのかどうかわかりません。カインは土地を耕し、穀物を栽培しました。彼は土地からの収穫物を主のもとに献げ物として持って来たのです。弟のアベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来ました。主はアベルとその献げ物に目を留められましたが、カインとその献げ物には目を留められなかったのです。これは、神様が肉が好物で、野菜や穀物は好きではなかったということではありません。神様は、カインとアベルの心(信仰のある無し)をご覧になったのです。

アベルは信仰によって子羊をささげたのですが、カインには、信仰がなかったのです。カインは、信仰ではなく、義務感からささげたのかもしれません。彼らの間に信仰の違いがあったのです。ですから、神様はアベルのささげものを受けいれなさり、カインのささげものを受け入れなさらなかったのです。

アベルは、残念なことにカインに妬まれ、憎まれ、兄カインに野原で石を投げつけられ、殺されてしまいました。アベルは何歳であったのかわかりませんが、兄よりもずっと若くして、人生を終わりました。兄に殺されて死ぬなんて、何と悲しい人生の結末であったでしょうか。しかし、アベルの信仰は、神様の前に覚えられているのです。ですから、人生の価値は、寿命、人生の長さで決まるのではありません。もちろん、私たちは長く生きたいと願いますが、どのように生きるかが大切なのです。

2.マルチン・ルターによる信仰義認:
神学教授であったマルテイン・ルター(1483-1546)は、ヴィッテンベルグ城教会の門の扉に有名「95か条の提題」を1517年10月31日に、張り出し、魂の救済を約束する免罪符を売買するローマ教皇庁に公然と抗議し、宗教改革の烽火をあげました。この改革運動は全ヨーロッパに広まりカトリック教会に対してプロテスタント教会として現在に至っています。ルターの「聖書の至上主義、信仰のみによる救い、万人祭司制」の主張は、宗教改革の3大原理としてすべてのプロテスタント諸教会の共有財産となっています。私たちのインマヌエル綜合伝道団は、プロテスタントの霊的な遺産を受けついています。そのことを覚えつつ、私たちに与えられている霊的な遺産を深く確認しつつ、感謝をもって今朝の礼拝を守らせて頂きたいと願っています。因みに今年は宗教改革500周年の記念の年で、世界の各地で記念行事が行われることでしょう。、

3.信仰によって義とされた人々:
特に人生の締めくくりがどのようになるのか私たちにはわかりません。長い闘病生活を経て召されることもあり、認知症を患う方もあります。病気もあまりせず、ぽっくり召される方もあります。交通事故や災害で突然人生の終わりを迎える方もあります。

丸の内教会において、主都中央教会において、中目黒教会において、自分の罪を認め、主キリストの十字架を信じ受け入れて、神様との和解を経験された方々が沢山あられ、天に凱旋されたのです。へブル人への手紙12章1節に「このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから」とありますように、天国に関係者、知り合いが沢山おられることでしょう。

すでに天に帰られた方々のお一人お一人の生涯に課題や重荷があったでしょうが、最後まで真実に歩まれ、主の祝福が注がれ、栄光が表されたのです。今生かされている私たちは、その一人ひとりの信仰の生涯を振り返り、その信仰の模範にならわせて頂きたいと願うことです。

アベルは兄に殺されるという悲劇的な最後を遂げたたわけですが、神様に対する信仰によって生けにえを捧げたことのゆえに神様に受け入れられ、喜ばれたのです。
 
V.信仰によって今も語られる
 
 
第三に、アベルは、死にましたが、その信仰によって今も語っていると述べられています。4節b「神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています」。アベルは、兄に殺害されるという悲劇的な死に方をしました。アベルが死んだ時、どのような葬式が行われたのかわかりません。へブル人への手紙の記者は語っています。4節「彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています」。

その信仰によって私たちに何を語っているのでしょうか。

1.神の愛と真実:
神様は愛のお方であり、真実に満ちたお方です。神様は愛であり、神様を愛する者のためにすべてのことを働かせて、益、人生のプラスとしてくださる方です。多くの信仰の先輩方が地上の生涯を終えて、天に帰って行かれました。その生涯と生きざまを通して、神様の愛と真実について語り続けています。

2.キリストの救いの確かさ:
天に帰られた多くの方々は、主キリストによる救いの確かさと素晴らしさを証しされました。今の時代、信仰者として歩むことは簡単ではありません。戦いやご苦労もそれぞれにあられたと思います。最後まで信仰を捨てないで、その救いの生活を全うされたのです。

3.神様にある幸い:
地上の生涯を終えて、天に凱旋された方々は、神様とともにある幸いを証しされました。健康的に、家庭的に、職業的に、祝福を豊かに注いでくださいました。ということは、試練や課題が全然なかったとは言えません。涙の谷を通過される日々があったことですが、主は、そこを泉の湧くところと変えてくださったのです。

地上の生涯を終えて、天に帰られた方々は、私たちの目の前に現れて、お話なさることはできません。何よりも、地上の旅路を終えて天に凱旋された方々は、イエス様の御翼のもとで、憩い安らいでおられることでしょう。

私たちは、誰にも優って、人として地上に誕生された主イエス様のお姿と模範を見上げて、日々の歩みをとどらせて頂きたく願ってやみません。
 
終わりに(信仰の大切さ)
 
 
今朝は、「その信仰によって、今も語る」という題で聖書の真理をお伝えしました。

第一に信仰とは何かということについて申し上げました。
第二に、アベルは、信仰によって、義人であることが証明されたことを語りました。
第三に、アベルは、死にましたが、その信仰によって今も語っていると述べられています。

へブル人の手紙の記者は、6節で信仰の大切さについて教えています。6節「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」。

すでにキリストを信じて天に凱旋された方々が雲のようにたくさんおられます。天に凱旋された方々と同じように、今朝礼拝に出席しておられるお一人お一人が、天に凱旋された方々が最後まで信じて歩まれた神様を信じて、歩まれますようにお祈りしてやみません。神様の祝福がお一人お一人に豊かでありますように。
 
お祈りを致します。