礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2017年5月7日
 
「喜びが溢れるために」
ヨハネの手紙からのメッセージ(1)
 
梅田 昇 牧師
 
ヨハネの手紙第1 1章1-4節
 
 
[中心聖句]
 
  4   私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです
(ヨハネの手紙第1 1章4節)


 
聖書テキスト
 
 
1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、 2 ──このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。── 3 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。 4 私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。
 
1.はじめに
 
 
教会員の皆様のお祈りとご協力を頂いて、4月の歩みを守られ、新しい月に踏み入ることが許されて感謝しています。
 
2.ヨハネの手紙からの説教を始める理由
 
 
初代総理蔦田二雄先生の説教、蔦田真実先生の説教、ホームページに掲載されている竿代照夫先生の説教のように、優れた先輩方の説教の記録を念頭に置きながら、今朝からヨハネの手紙の連続講解説教を始めるべく導かれました。、
 
3.ヨハネの手紙の執筆者について
 
 
ヨハネの手紙第一を書いたのは、主キリストの弟子の一人、ヨハネと考えられています。ヨハネはペテロと共にガリラヤ湖で漁を営む漁師でした。岸辺で仕事をしている時に、主キリストにお会いし、「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」との招きの声を聞いて、主キリストの弟子となったのです。ヨハネはその後、12使徒の一人に選ばれ、主キリストと寝食を共にしながら、3年半ほど福音伝道に従事したのです。十字架の上の主キリストが「これは、私の母です」とおっしゃって、母マリアの世話をヨハネに託されました。ヨハネは主キリストに愛され、信頼された弟子の一人で、人生の最後まで、主キリストに従い、主の昇天の後も、ペテロと共に初代教会の指導者として真実に奉仕をしたのです。

ヨハネは、福音書と、三つの手紙と黙示録、計5つの書を書きました。新約聖書27書のうち、5つの書がヨハネの作であると申し上げることができます。ヨハネは、晩年パトモス島に島流しとなり、そこで黙示録を書き、人生を閉じたようです。
 
4.ヨハネの手紙の受取人について
 
 
この手紙には、他のパウロの手紙やペテロの手紙のように差出人や受取人についての表現がありません。ヨハネが、エペソを中心にした諸教会に書き送った手紙であると考えられましょう。

この手紙を受け取り、読んだ人々は、「あの円熟したヨハネ先生が手紙を下さった」と覚えながら、大きな感謝と感激を持って、文字の一字一句に目を走らせたに違いありません。

ヨハネの手紙第一の1-4節は、手紙の前書きの部分です。
 
I.手紙の主題(1-2節):このヨハネの手紙の主題は、永遠の命です。
 
 
使徒ヨハネがこの手紙を通して、書き送りたかったテーマは、何だったのでしょうか。それは、「主キリストについて」です。この手紙が執筆された背景には、グノーシス主義の台頭がありました。グノーシスとは知識という意味ですが、間違った態度や人間の知識で、キリストを理解しようという人たちがいたのです。グノーシス主義の背景には、二元論という考え方があり、肉体は悪であり、霊的なものが善であるという理解です。この理解によりますと神様が人となってこの世に誕生されたという受肉(Incarnation)の事実は、受け入れがたい教えとなるのです。
 
A. キリストは、まことの神様です。
 
 
1節に初めには「初めからあったもの」と記されています。1節「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて」。円熟したヨハネは、若いときから、主キリストに出会い、主とともに生涯を歩んだのです。主キリストのお姿を自分の目で見、主の声を耳で聞いたのです。

初めからあったものとは、主キリストご自身であり、いのちのことばです。ヨハネの福音書1章1〜3節に、有名なロゴスについての記述があります。「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともニおられた。すべてのものは、この方によって作られた。作られたもので、この方によらずにできたものは一つもない」。 このことばとは、単なるコミュニケーションの手段としてのことばではなく、ロゴスという言葉がギリシャ語では使われています。ロゴスという言葉は、日本語に訳すのは大変難しいことばですが、新改訳聖書では「ことば」と訳されています。「永遠の真理」と訳せることばで、まさにロゴスは永遠のキリストを指していると言えましょう。「ことば」の代わりに「永遠のキリスト」ということばを入れて読みますと、よく理解できます。                                                                                                                                       

ヨハネの福音書1章1〜3節「 初めに、永遠のキリストがあった。永遠のキリストは神とともにあった。永遠のキリストは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない」
 
1.永遠のキリスト:人としてのイエス様は、ベツレヘムにおいてマリアから誕生され、33年の生涯をたどられました。十字架上で、7つのことばを発し、「父よ、私の霊をあなたに委ねます」とおっしゃり、息を引き取られました。3日後に死からよみがえり、40日40夜弟子たちに顕現してくださいました。その後、天に帰って行かれ、今は、父なる神様の右の座に着座しておられます。しかし、主キリストは、永遠のお方であり、世界が創造される前から存在しておられたのです。

2.創造者なるキリスト:2節にはすべてのものはこの方によって造られたと記されています。創世記1章1節には「初めに、神が天と地を創造した」と力強く宣言されています。神とは父なる神、子なるキリスト、聖霊なる三位一体の神様が天と地のすべてを創造されたのです。三位一体ということばは聖書の中にあるわけではありませんが、聖書全体の教えから、三位一体の教理は、聖書の教えてあると正統的な教会は、カトリック教会やギリシャ正教を含めて、この三位一体の教理を受け入れているのです。

3.永遠のいのちであるキリスト:2節「――このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。――」。
キリストは、永遠のいのちであると記されています。昔、不老長寿の薬を捜し求めた人がありますが、人間の命には限りがあります。長生きをすることは素晴らしいことですが、肉体的、知的弱さが現われてくることはどうしても避けられません。永遠のいのちとは、肉体的ないのちではありません。永遠のいのちとは霊的ないのちであり、神様のいのちなのです。キリストは、永遠のいのちなるお方なのです。
 
B. キリストは真の人です。
 
 
キリストは真の神であられると共に、真の人です。弟子たちが目撃し、お会いした主キリストは、単なる幻、幻想に過ぎないという批判をする人たちがありました。その様な人たちに対して、ヨハネは「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて」とはっきり宣言しています。

1節にありますように、ヨハネはイエス様の声を聞き、目で見、手で触ったお方であると強調しています。ヨハネは、イエス様と一緒に食事をし、一緒に旅をしたのです。

ヨハネは、円熟し、年齢を重ねておりましたが、はっきりと思い出すことができたのです。ヨハネは福音書1章14節において 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である」と述べています。受肉(Incarnation)と言いますが、主キリストは、私たちとおなじような肉体をもって誕生し、生活をされ、死なれたのです。主キリストは、人となられ、罪を他にして、すべてのことを経験してくださったのです。主キリストは、私たちが日常生活の中で、経験するような試練、誘惑、病気、死、孤独、恐れ、疲労、渇き、苦痛、失望落胆を経験されたのです。ですから、主キリストは、私たちの弱さを理解し、同情なさることができるのです。ヨハネは、永遠のいのちであるキリストについて書き送りたいと願って筆を執ったのです。
 
II. 手紙の目的:ヨハネはどのような目的のためにこの手紙を執筆したのでしょうか。
 
A. 神との交わり:
 
 
ヨハネが手紙を書いた目的は、神様との交わり、キリストとの交わりを持つようになるためです。 3節「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです」。交わりは、ギリシャ語で「コイノニア」ということばが使われています。コイノニアとは、主にある親しい相互の関係、分かち合い、協力関係という意味で、新改訳では「交わり」と訳されています。

ヨハネは、父なる神との交わり、キリストとの交わりの素晴らしさを経験し、味わったのです。人間は、本来神様に創造され、神様との親しい交わりと関係があったのですが、アダムとエバの罪によって、神様と断絶が生じたのです。罪の故に、神様と絶交状態になったのです。神様と人間の間に、無限の断絶があり、コミュニーケーションの方法が全くありません。愛の神様は、神様から離れた人間の姿をご覧になり、神様の方から主導権を取ってくださり、歴史を導いてくださいました。時が満ちた時に、神様はおとめを通して、一人の男の子を誕生させて、救いの道を備えてくださったのです。

主キリストは、神と人の中保者、和解者と呼ばれます。和解者とは、仲が悪くなってしまった関係を元通りに回復する人のことです。主キリストは、罪によって断絶した人間と神様の関係を回復してくださるのです。キリストを信ずることにより、神様との平和、和解をもつことができるのです。ヨハネは、神様との交わりを通して、信仰者同志との交わりを切望しているのです。
 
B. 喜びの満たし:
 
 
もう一つの目的は、私たちの喜びが全きものとなるためであるとヨハネは記しています。4節「私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです」。

主キリストを心に迎えて、信仰によって生活します時に、喜びが私たちの内に満ち溢れるのです。過去のすべての罪や過ちが赦され、神様との幸いな関係に回復されるのです。ヨハネは、この手紙を読むすべての人が内面的な喜びに満たされるように願って、手紙を記したのです。
 
終わりに(結論)
 
 
神様との交わりが欠けていることが、喜びのない原因です。イスラエルの王ソロモンは、「ソロモンの栄華」と言われるほど、華やかな生活を送ったのです。立派な神殿や宮殿を建設し、700人の妻と300人のめかけをもっていました。また、学問を究め、詩も多く作りました。ソロモン王は、人生のさまざまなことを経験し、「神様なしの人生は、結局虚しい」ということを体験的に学んだのです。神様を愛し、神様を敬って歩むことこそ、人生の祝福であることを伝道者の書に記しています。

私たちを愛し、私たちのために独りごのキリストさえ惜しまないで、愛を注いでくださったお方を愛することほど、すばらしい人生はありません。4節に「私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです」とありますが、喜びが溢れるために大切なことは、神様との交わりを回復することです。どんなに経済的に恵まれていても、環境が素晴らしくてもそれに感謝する心がなければ、喜びも幸せも感じられません。私たちが主キリストを信じ受け入れ、神様と共に歩みます時に、喜びが心に溢れるのです。愛されていると思えるときに、喜びがあり、生きる使命と生きがいを感ずる時に、生きる喜びを感じるでしょう。

この朝、皆様はどのような心配事、重荷、ストレスを抱えておられるでしょうか。それらを受け止めてくださる主キリストをしっかりと信頼しつつ、心に溢れる喜びをもって迎えます週を歩もうではありませんか。
 
お祈りを致します。