礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2017年5月14日
 
「真の交わりの回復」
ヨハネの手紙からのメッセージ(2)
 
梅田 昇 牧師
 
ヨハネの手紙第1 1章5-10節
 
 
[中心聖句]
 
  7   もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
(ヨハネの手紙第1 1章7節)


 
聖書テキスト
 
 
5 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。10 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
 
母の日を迎えて
 
 
五月第二日曜日は母の日です。どんな人でも、母親から生まれました。最近は、母の日のギフトを販売する商戦が過熱していますが、高いプレゼントでなくてもいいと思います。母の日が私たちを産み、育ててくれたお母さんに「ありがとう!」と感謝を表しましょう。母親に感謝を表し、母親の立場にある方々は大切な使命を果たし続けることができるように神様の恵みを仰ぎましょう。
 
先週のみことばを振り返り
 
 
私たちは、先週からヨハネの手紙から学ばせていただいています。先週は、ヨハネの手紙の主題が、永遠のいのちである主キリストであり、ヨハネの手紙の目的は、主キリストとの交わりを通して信仰者に喜びが満ち溢れることであることを語りました。ヨハネが述べている喜びは、環境の変化によって変わらない内面的な喜びのことです。
 
ヨハネの手紙の特徴
 
 
ある先生は、ヨハネの手紙の特徴についていくつかのことを述べておられます。(1)愛の手紙、神の愛、(2)キリストに対する正しい知識に関する手紙、(3)受肉の手紙、(4)贖罪の手紙、主キリストによる罪の赦しと神との和解、(5)個人的宗教経験の手紙(6)交わりの手紙、(7)純潔の手紙、ホーリネスの生活についての教え、(8)勝利の手紙、信仰による勝利の生活の約束

ヨハネの手紙には、いろいろな特徴がありますが、最大のテーマは、神の愛。アガペーの愛です。神様の愛は、報いを求めない犠牲的な愛です。ヨハネの手紙に親しみながら、神様の愛の真髄を捕らえさせていただきたいと心から願っています。使徒パウロはエペソ人への手紙3章17-19節にかけて祈っています。「愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように」。

神様の愛は、人知をはるかに越えた素晴らしい愛です。人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますようにというユニークな表現が用いられています。人知を越えた神様の無限の愛の広さ、長さ、高さ、深さを知り続けさせていただきたいと切願することです。
 
今朝のテーマについて
 
 
この朝は、「真の交わりの回復」というテーマで、1章後半に心を向けさせていただきましょう。ご存知のように、「人間」とは、人の間と漢字で書きます。つまり、人間は、人間関係の中で生きていくものです。広辞苑には「社会的な存在として、人格を中心に考えた一人」と定義がされています。つまり、人間とは、社会的な存在であるということです。人間は人との関わりなしに生きていくことは実際的にできません。

私たちは、職場、家庭、親戚、近隣関係というようないろいろな人間関係の中で生きているのです。最近は、人間関係が希薄になり、難しくなっていると言われます。

#子どもたち同志の関係は、難しく、いじめが陰湿になっていると言われます。
#近隣の人との関係も難しいです。
#嫁姑の関係は、どんな時代にも、どのような文化でも難しいようです。
#最近は、親子の関係も難しく、悲しい事件も時に起こっています。
#夫婦の関係も難しく、離婚が年々増加しています。

今朝の中心聖句は、7節で、「真の交わりの回復」という題で、神様のことばをお伝えいたします。7節に「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」とあります。この朝は、三つのポイントから、考えてみたいと思います。
 
T.真の交わりが欠如している現実
 
 
交わりがあるということは、互いの会話、話し合いがあり、理解しあうという人格的な信頼関係、交流があることが意味されています。コミュニケーションがあるだけでなく、信頼と愛情があるときに、交わりがあるのです。親子でも、夫婦でも、交わりと信頼関係が欠如しているケースがあります。

A.偽り:
6節に「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません」とありますが、人間関係の中に、「ウソ」「偽り」が入り込んできますと、信頼関係が崩れ、真の交わりを失ってしまうでしょう。

夫婦の間に、隠し事がなされ、ウソが入ってきますと、信頼関係が失われてしまう危険性があります。相手に一度不信感をもたれますと、やること、なすことのすべてが疑いの目で見られ、偽りのように見えてくることがあります。

子どもが非行に走り始めた時期の特徴について、新聞に書いてありました。@服装が乱れる、A言葉遣いが乱暴になる、B生活が不規則になる、Cウソが多くなる。子どもにウソが多くなってきたら、親御さんは注意をしたほうがいいですよというようなことが記されていました。

親子関係でも、夫婦関係でも、職場の関係でも、偽りやうそは人間関係を壊してしまうのです。約束を平気で破ることも、相手からの信頼を失ってしまいます。約束したことは守ること、守れないような約束はしないほうが良いでしょう。

B.不真実:
6節には「真理を行っていない」と記されています。不真実は、人が真理に従っていないところから生じるのです。確かな道徳基準や価値基準が失われつつある時代ですが、与えられた責任を真実に忠実に果たす事が求められています。

子供を思う親心に付け込んだオレオレ詐欺は、許すことができない犯罪です。私たちの生活している社会に、不真実が満ちていることを覚えたいものです。不真実も、人間関係、交わりを破壊してしまうのです。
 
U.交わりが欠如している原因
 
 
私たち人間の生活に、なぜ、ウソや不真実が入り込んできたのでしょうか。

A.神様との交わりの欠如:
その根本的な原因は、神様との交わりが欠如しているからです。6節に「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら」と記されています。交わりには、二種類の交わりがあります。神様との交わり、人と人との交わりです。神様との交わりが欠けると、人と人との交わりが欠けてくるのです。

創世記1章を見ると、人間は、神様の像に創造されたと記されています。神様を礼拝し、神様と祈りによって交われる存在として創造されたのです。人間だけが、神様と交われるのです。ところが、人間は神のみ心に逆らい、正しい道から外れてしまったのです。アダムとエバは、エデンの園から追放され、厳しい生活となり、次の世代には、カインが妬みと怒りの故に弟のアベルを石を投げつけて殺害してしまいました。結果、神様との交わりが断絶してしまったのです。

B.自己中心:
交わりを破壊する原因は、自己中心です。人間は神様から離れてしまった時に、自己中心となってしまったのです。「自分さえ良ければいい」「まわりがどうなってもかまわない」というような自己中心が蔓延しています。人が並んでいるに割り込んで電車に乗る人。禁煙になっているのに平気でタバコを吸う人。人の自転車を盗んで乗り捨てる人。

自己中心の特徴は、周りの人の気持ちを考えることができないということです。その結果、自分本位に行動し、周りから嫌われてしまうのです。その結果、人間関係が難しくなってしまいます。使徒パウロは、ピリピ人への手紙3章19節において「彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです」と述べています。神様を信じませんと、結局、欲望の奴隷となり、自分を中心に人生を送ってしまうのです。

C.愛の欠如:
自己中心であるということは、裏を返せば、愛が欠如しているということです。親がわが子を虐待する事件が起こっていますし、反対に親を殺すという痛ましい事件も起こっています。愛が失われつつある時代であることを憂います。

主キリストは、世の終わりの兆候の一つは、人々の愛が冷ややかになることだとおっしゃいました。まさに世の終わりが近いということを感じさせられる出来事が多く起こっています。神様との交わりが欠落しているために、人間は自己中心であり、愛が欠如し、結果として人との交わりが難しいのです。愛や思いやりが欠如しているために、家族関係が、人間関係がうまくゆかないのです。
 
V.神様との交わりの回復の道
 
 
よく問題を抱えた方が「うちの主人はだらしなくてしょうがないです」「うちの嫁は、冷たいんです」「うちの子供は、どうしようもないんです」とおっしゃる方があります。

人間には、まわりの欠点は良く見え、自分の欠点はなかなか見えないという弱点があります。人が変わる前に、まず私たちが変えられ続けることが大切でしょう。

A.神様との交わりを回復するためには、まず自分の罪を認めることです。
8節「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。神様を信頼せず、自分の力だけで、生きていこうとする態度を聖書は罪と教えています。日本の多くの人、罪といえば、強盗殺人、死体遺棄、強姦、収賄罪などいろいろな法律に違反することと理解しておられるでしょう。確かに、罪は、法律違反ということですが、聖書の教える罪は、神様の教え、律法に違反することです。

聖書には「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない」(ローマ3:23)と書いてあります。聖書の教える罪は、社会的な犯罪でなく、私たちを創造し、いのちを与えておられる神様を無視していきることを意味しているのです。

罪が本当にわかるのは、聖霊の働きです。どんなに自分が罪深い人間であるかを聖霊の助けによって自覚することは大切です。10節「もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません

昔、教会学校のクラスで子供たちに「ウソを一回もついたことのない人?」と尋ねましたら、子供たちが「ハイー」と元気良く手を挙げたのです。確かに小さな子供たちは、うそを覚えていないかもしれません。しかし、自分に都合が悪いとぺロッとウソをつく性質を持っています。 「罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです」とありますが、私たちは神様の前に人の前に罪を犯した罪人です。

B.神様との交わりを回復するためには罪を告白する必要があります。
9節「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら」 赦されるための条件は、告白することです。「あるいことをしたなあ」という気持があっても、「ごめんなさい」ということばがなければ、壊れた人間関係の回復はないでしょう。

神様に「ごめんなさい」と告白できる人は幸いです。ダビデ王さまは、姦淫の罪を犯し、バテシバの夫を間接的に殺害してしましました。ダビデの欲望は満たされたことでしょう。しかし、彼は精神的苦痛と苦悩を味わったのです。詩篇32篇3節に「一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました」とダビデは告白しています。良心の呵責を感じ、罪責感を覚えたのです。しかし、罪を告白した時に、ダビデは自分の犯した罪を赦された幸いを証ししています。

C.罪の赦しと交わりの回復:
9節「神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」。神様との交わりを回復するために大切なことは、罪を認め、罪を神様に告白することです。その時に、どのような幸いがあるのでしょうか。神様は、真実で正しい方で、どんな罪でも赦してくださり、罪をきよめてくださいます。7節に「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」とあります。旧約の時代には、動物が殺され、血が注がれる必要がありました。神の子羊キリストは、私たちの罪の身代わりとして、十字架にかかり、血を流されたのです。
 
終わりに(結論) 
 
 
今朝は、「真の交わりの回復」という題で、聖書の真理をお伝えしました。第一に、真の交わりが欠如している現実について申し上げました。うそや不真実、あるいは憎しみで交わりが欠如していることがあります。第二に、交わりが欠如している原因は、何であるかを申し上げました。それは、人間が創造者である真の神様を信じないで、自己中心になっているからです。自己中心の結果、愛情や思いやりがかけて、人間関係が難しくなっています。第三に、どうすれば、神様との交わりを回復できるのでしょうか。それは罪を認めて、告白することです。愛の神様は、どんな過ちも失敗も、罪も赦してくださり、受け入れてくださるのです。

現在は、人間不信の時代です。その根本原因は、人間が創造主を信じていないからです。

まず神様との交わりを回復することが最も大切です。主キリストによって備えられた神様との交わりを回復して、家庭の中で、友人関係の中で、教会の交わりの中で、温かい心の交流と交わりのある幸いな生活を神様の助けによってたどらせていただこうではありませんか。
 
お祈りを致します。