礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2017年9月10日
 
「恐れからの解放」
ヨハネの手紙からのメッセージ(13)
 
梅田 昇 牧師
 
ヨハネの手紙第一 4章11-21節
 
 
[中心聖句]
 
  18   愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
(ヨハネの手紙第一 4章18節)


 
聖書テキスト
 
 
11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。20 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
 
先週を振り返って
 
 
職場で、家庭で、学校で、どのような一週間を過ごされたのでしょうか。一週間を静かに振り返り、主に感謝をささげましょう。
 
先週の復習
 
 
先週、『ここに愛がある』という題でお話を致しました。「ここ」というのは、主キリストの死と生涯ということですが、実は主キリストを信じた人の心に主の愛があるのです。使徒パウロは、ローマ人への手紙5章5節において、「聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」と述べています。
 
今朝のみことばについて
 
 
11節以降も、愛についての教えが続いています。11節「愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです」。「これほどまでに」とありますが、神様の愛は、人知をはるかに越えた無限の愛です。計り知れない、無限の愛、アガペーの愛です。神様の無限のご愛に感謝しつつ、与えられた場所で小さな親切と愛を実践し続けさせて頂きたいものです。

今朝は、「恐れからの解放」という説教題をつけました。恐れということばが、18節に2回記され、恐れる者ということばも出てきます。
 
I.恐れの現実
 
 
まず、第一に、恐れの現実について心を向けましょう。

18節「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです」。私たちの生活には、さまざまな恐れ、恐怖があります。
 
A.自然界に対する恐れ
 
 
昔の人は、「地震、雷、火事、親父」を恐れました。親父は余り恐れないかもしれませんが、今も地震、雷、火事を依然として恐いものです。教会福音讃美歌436「遠き国」という讃美歌は、1923年9月1日に関東大震災が起こったその晩に作られ、英語の題は、「十字架の上に光がある」と意味です。作者のJ.V.マーティンは語りました。「東京大震災の9月1日の夜、多くの被災者が明治学院の運動場で夜を迎え、九死に一生を得た人々に蚊やとろうそくが支給されました。その夜、たまたま東京にいた私は明治学院に見舞いに来たところ、蚊やの中で点火されたろうそくの火が丁度、暗の中の十字架に見えたのです。私はさっそくペンをとりこの詩を書きあげ、その後大阪に帰ってこの曲をつけました」と。東日本大震災が起こって明日で、丁度6年半になります。大きな地震の後、大津波が各地に押し寄せたリアルな映像が忘れられません。家を失い、大切な家族を失った方々が多くおられます。復興事業が進み、次第に平穏な生活に戻りつつあるのでしょうが、いつ大きな災害がどこで起こるのか私たちにはわかりません。私たちは自然現象、自然災害に対して恐怖を覚えます。 
 
B.人に対する恐れ
 
 
人を恐れる対人恐怖症という課題もあります。対人関係における恐怖には、対人恐怖、赤面恐怖、正視恐怖、醜形恐怖、女性恐怖、異性恐怖などがあります。人間は、いろんな物や人に恐れを感じるのです。人の目、評価が気になって仕方がなく、人目を避け、引きこもりになってしまう人もあります。ホラー映画があります。怖いものは見たくないのですが、見たいという心理が働くので、ホラー映画は根強い人気があるようです。ホラー映画のポイントは、結局人間の憎しみ、恨み、憎悪心が一番怖いということですね。ある意味で人間ほど怖いものはないのでしょう。
 
C.恐れの影響
 
 
ある医師が動物に恐怖を与えたらどうなるかという実験をしたそうです。猫にバリウムを含んだ食べ物を食べさせて、猫の胃の状態を観察できるようにして、恐怖を与えたそうです。大きな犬を近づけて恐怖を与えるとどうなるか観察した所、消化機能が止まり、消化不全を起こしたそうです。こんなことを繰り返すと、猫は胃潰瘍になったそうです。恐れは、人間の健康にも悪い影響を与えるのです。聖書にも「恐れ」「恐れる」ということが数多くでて来ます。人は、いろいろなものに恐怖を覚えながら、生きていることを教えられます。
 
U.恐れの原因
 
 
第二に、恐れの原因について、考えて見ましょう。恐れの原因はさまざまです。
 
A.未知の故
 
 
恐れの原因の一つは、人間には未知の世界、予見不能の出来事があるということです。エマーソンという人は「恐怖は常に無知から生まれる」と語りました。知識、理解が十分にないために、恐れを感じる場合があります。私の田舎の家は、気持の悪いうす暗い墓場の近くにありました。子供の頃、その墓場の前を夕方歩いて帰っているときに、叔父がわざと怖いお化けの話をするのです。そして突然、「出たー!」と叫んで、逃げ出すのです。私は、泣き出しそうになり、走って家に帰ったことがあります。それ以来、墓の前を通るのが怖くて、走って通り去るようになったのです。
 
B.将来に対する恐れ
 
 
将来に対する不安、恐怖もあります。恐れとは“過去の経験から生まれた未来への防衛”と定義する人があります。私たちは、過去の経験からいろんなことを学びます。過去の嫌な経験、失敗した経験、傷ついた経験から、身を守るために、もう嫌な目にあわないように、もう失敗しないように、もう傷つかないように、自己を防衛する心理がでてきます。これが恐れとなることがあります。未来は、未知の世界であり、将来何が起こるのか私たちにはわかりません。どのような病気、認知症になるのかわかりません。

モーセの死後、イスラエルの民をカナンの地に導く使命を与えられたヨシュアは、恐れを覚えました。一度偵察に行ったことがあるとは言え、イスラエルの指導者として、カナンに進んでいくのは、大きな不安と恐れを覚えたことでしょう。神様は「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである」とおっしゃって、ヨシュアを励ましてくださいました。

主キリストが十字架にかかることを予告された時、弟子たちは、不安に感じ、恐れを覚えたことでしょう。主キリストが死んだら、弟子たちの将来はどうなっていくのだろうかという不安と恐怖があったのです。弟子たちの心をご存知の主キリストは「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」(ヨハネ14章1節)とおっしゃいました。
 
C.死と裁きに対する恐れ
 
 
死に対する恐怖もあります。死は生ける者にとって、未経験の出来事です。ですから、多くの人は、死に対する不安と恐怖を持っています。へブル人への手紙2章15節に「一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした」とありますように、死の恐怖におびえながら、人生を送っている人もあります。

もう一つには、人間には、良心の呵責を感じ、申し訳ないという気持ちがあります。ですから、人は裁きを恐れます(17節)。聖書に人間に死ぬことと裁きが定まっていると記されています。17節にありますように、裁きの日に大胆に神様の前に立つことができないという不安があるために、多くの人の心に不安と恐怖があるのです。

アダムは、神様の命令を破り、罪を犯してしまいました。そして、アダムは「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました」。アダムは、罪を犯した後、恐れて、樹の陰に隠れてしまったのです。
 
V.恐れからの解放
 
 
第三に、どのようにして恐れから解放されるかということです。

確かに人間の知識は有限であり、未知の世界がありますが、恐れから解放される道があるのです。
 
A.正しい理解、知識
 
 
恐れから解放される第一の道は、愛に満たされることです。12節「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです」。確かに私たちには神様のことが見えません。「神があるなら、見せてみろ」とおっしゃる方もありますが、残念ながら、私たちの目で神様を見ることはできないのです。

しかし、信仰の目をもって、神様を見上げるときに、神様の愛と最善を知ることができます。16節「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます」。神様は愛であるだけでなく、私たちと共にいてくださり、すべてのことを働かせて益、プラスとしてくださるお方です。確かに厳しい試練や課題があり、不安や恐れを覚えるようなことがあるかもしれませんが、神の愛を固く信じる者は、課題も未来も神様に委ねることができるので、恐れ、不安はありません。確かに先が見えないことは不安でが、私たちの手をとって導いてくださる方がどんな方であるかを知れば、安心であり、恐れや不安から解放されるのです。
 
B.神の臨在
 
 
恐れから解放される第二の道は神様の臨在を覚えることです。13節「神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります」。また、神様がともにいてくださることを覚えることによって、恐れから解放されます。ダビデ王は、詩篇23篇4節において「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」と告白しています。死の陰の谷であっても、共におられる主の臨在のゆえに恐れることはないとダビデは告白しています。

15節をご覧ください。「だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます」。主を信じる者とともに、神様はともにおられ、助けを与えてくださいます。海水浴場で親からはぐれて迷子になった子供は大きな声で泣きじゃくります。係員が慰めようとしてもなかなか泣き止みません。おもちゃを見せようが、キャンディをあげようが、不安はなくならないのです。しかし、両親をみつけたとき、子供は不安は消え去り、安心するでしょう。全能で愛の神様とともにある時に、平安と希望が与えられ、恐れから解放されます。
 
C.完き愛
 
 
恐れから解放される第三の道は全き愛に満たされることです。完き愛は、恐れを追放するのです。18節「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです」。18節には『全き愛は恐れを締め出します』と記されています。全き愛は、恐れを締め出しますと記されています。愛があるために、刑罰をおそれる必要がないのです。「完き愛」とは、神様に対する 単一の愛です。配偶者がいるのに、他の異性に性的な興味を持つことは、配偶者に対する愛情が純粋とは言えません。浮気は、配偶者に対する不純を意味します。二心は、完き愛と言えないのです。一人の対象に愛が注がれていることを全き愛というのです。

20節「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません」。神を愛すると言いながら、兄弟を憎むことは矛盾します。神様を愛するものは、目に見える兄弟をも愛するのです。目に見える兄弟を愛しないものは、目に見えない神様を愛することはできないのです。ですから、ヨハネは21節において、「神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています」と述べています。神の愛を経験させていただいた信仰者が兄弟を愛すべきであることは、キリストからの命令であるとヨハネは述べています。主キリストは、ご在世の当時から、ご自身が愛を実践されるとともに、愛を実践するように弟子たちを教えられたのです。
 
終わりに(結論)
 
 
今朝は、ヨハネの手紙から「恐れからの解放」についてみことばを学ばせていただきました。

I.恐れの現実:第一に、私たちの生活には恐れ、不安、心配があるのです。

U.恐れの原因:第二に、恐れの原因について申し上げました。自然災害、将来に対する不安や恐れ、死やさばきから来る恐れなど恐れの原因はさまざまと言えましょう。

V.恐れからの解放:第三に、どのようにして恐れから解放されるかということです。

共におられる主の臨在を覚え、愛の神様を心から愛し、歩ませて頂く時、恐れから解放され、平安と安らかさをもって、人生を辿ることができるのです。神様の平安がありますように。
 
お祈りを致します。