礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2017年9月17日
 
「あなたの力を次の世代に」
愛老聖日を迎えて
 
梅田 昇 牧師
 
詩篇 71篇 9-20節
 
 
[中心聖句]
 
  18   年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。
(詩篇 71篇 18節)


 
聖書テキスト
 
 
9 年老いた時も、私を見放さないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。10 私の敵が私のことを話し合い、私のいのちをつけねらう者どもが共にたくらんでいるからです。11 彼らはこう言っています。『神は彼を見捨てたのだ。追いかけて、彼を捕えよ。救い出す者はいないから。』12 神よ。私から遠く離れないでください。わが神よ。急いで私を助けてください。13 私をなじる者どもが恥を見、消えうせますように。私を痛めつけようとする者どもが、そしりと侮辱で、おおわれますように。14 しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。15 私の口は一日中、あなたの義と、あなたの救いを語り告げましょう。私は、その全部を知ってはおりませんが。16 神なる主よ。私は、あなたの大能のわざを携えて行き、あなたの義を、ただあなただけを心に留めましょう。17 神よ。あなたは、私の若いころから、私を教えてくださいました。私は今もなお、あなたの奇しいわざを告げ知らせています。18 年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。19 神よ。あなたの義は天にまで届きます。あなたは大いなることをなさいました。神よ。だれが、あなたと比べられましょうか。20 あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。
 
愛老聖日を迎えて
 
 
今朝は愛老聖日です。80歳を超えてもお元気で教会出席をしておられる方々もありますし、健康上、普段なかなか教会出席が難しい方々をもお迎えしています。昨年の愛老聖日を越えてから、4人の方々がそれぞれ地上の生涯を終えて、天に凱旋されました。今年、3人の愛兄姉方を愛老会員としてお迎えしまた、主の恵みを共に感謝し、共に神様を礼拝できる幸いを味わわせていただきたいと願っています。
 
詩篇71篇の作者と背景について
 
 
今朝は、詩篇71篇9節から20節を司会者に読んで頂きました。詩篇71篇には、表題がついておらず、詩篇71篇の作者が誰であるか分かりません。しかし、70人訳聖書の表題についているダビデやエレミヤが候補に挙げられています。この詩篇を記した作者は、全生涯を通して信仰に生き抜いた人物であることがわかります。この詩篇71篇を作る時点において、人生の晩年を迎え、様々な困難に直面しながらも、若い頃から信じてきた神様になお信頼を寄せることによって、なお前向きに生きる姿勢が印象的に示されています。信仰者は人生の晩年を迎えても、なお希望をもって前向きに生きていくことができますし、厳しい現実があっても、信仰者には信仰による希望がなくなることはありません。

この朝は、18節を中心に、「あなたの力を次の世代に」という題で、み言葉をお伝えいたします。
 
T.晩年の祈り(9〜13節)
 
 
第一に、詩篇の作者の晩年の祈りがどうであったかを見てみましょう。9節「年老いた時も、私を見放さないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください」。
 
A.肉体的、精神的な衰えの現実
 
 
詩篇の作者は、年齢を重ね、肉体的な弱さと不安を覚えていたようです。加齢とともに、肉体的な弱さが忍び寄り、精神的な衰えを覚え、気力がなくなることは、避けられない現実です。寿命が延びて、お元気な高齢者の方が増えていることは確かだと思いますが、肉体が衰えることはどうしても避けられません。

人生の四季ということばがあります。人生の春、夏、秋、冬に分けるという考えです。人生の春は、誕生から20歳までで、成長の時です。肉体的に、社会的に、知的に、精神的に成長していく時期です。人生の夏は20〜40才位までであり、活動の時期です。一番多忙な時かもしれません。人生の秋は、40〜60才位までで、収穫の時と言えます。人生の冬は60才から〜死亡までの期間です。成熟の時、人生の総括の時です。それまでの人生を総括して、いぶし銀のような人生の実を結び、 多くの人に分け与えることができる時期です。

子ども達も、若者も、壮年世代もだれでも、年を重ねていきます。人生の冬には、退職の時を迎え、若い時には、感じられなかった肉体的な弱さと限界を感じることです。そのような中で、孤独や不安を感じ、鬱的になってしまうこともありますが、信仰者には祈りによる安心と平安があります。詩篇の作者は、9節において祈っています。9節「年老いた時も、私を見放さないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください」。たとえ、肉体的、精神的、知的な力が衰えた時でも、お祈りをすることができ、委ねることのできる神様を信頼できることは幸いです。
 
B.いのちを支えておられる神様
 
 
わたしたちのいのちは神様の御手の中にあると言えましょう。しかし、愛の神様は、私たちが弱さを感じても、最後まで私たちを見放すことなく、最後まで支えてくださる方です。神様は私たちを決して見捨て、見放しなさることはありません。アフリカの奥地で宣教活動を続けたリビングストーンが「使命がある限り、私たちは不死身だ」と言いましたように、使命のある限り、神様は私たちを守り、導いてくださいます。使命が終われば、私たちのいのちも終わるのです。年を重ねた人が詩篇の記者と同じように不安や恐れを感じることがあるかもしれません。自分の体が思うように動かないし、かつて自分が神様に用いられたようには奉仕をできない歯がゆさを感じることがあるかもしれません。高齢者の体力や知力の低下を巧みに利用して、オレオレ詐欺のように、自分の個人的な利得を求める輩が自分の周りに現れるかもしれませんが、私たちのいのちは神様の御手の中にあるのです。
 
C.祈ることのできる幸い
 
 
たとえ若くても、晩年には認知症にならないだろうか、寝たきりにならないだろうかと心配になることはあるかもしれません。神様は年を取ったら自分を見捨てられるのでしょうか? いや、そうではありません。若い時から助けてくだる神様は、同じように晩年を迎えても、私たちも助けてくださると信じて、祈ることができるのです。12〜13節「神よ。私から遠く離れないでください。わが神よ。急いで私を助けてください。私をなじる者どもが恥を見、消えうせますように。私を痛めつけようとする者どもが、そしりと侮辱で、おおわれますように」。12節、13節を見ますと、詩篇の作者を痛めつけようとする敵の存在が暗示されています。なじる者、痛めつけようとする存在がいるのです。人生の晩年で、思いがけない課題に直面する場合もありますが、神様は必ず助けて下さいます。私たち信仰者はどのような困難な、危機的な状況になったとしても、なお祈ることができるのです。
 
U.晩年の賛美(14〜16節)
 
 
第二に、詩篇の記者が、晩年になってもなお神様を讃美している姿を覚えましょう。14節、15節をご一緒に読んでみましょう。「しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。私の口は一日中、あなたの義と、あなたの救いを語り告げましょう。私は、その全部を知ってはおりませんが」
 
A.賛美の力
 
 
詩篇の記者は、祈りの中で再び、神様からの答えを与えられたようです。讃美が再び自分の口に戻ってきました。讃美は、聖書とともに、私たちの心と信仰を強め、励ましてくれます。聖書にはメロディがありませんが、讃美歌にはメロディがあり、信仰者の心に深く留まって、神の愛と恵みをしばしば思い起こさせてくれます。必ずしも、すべての信仰者が歌手のように上手に歌えるわけではありませんが、時には、信仰者は聖書よりも、讃美歌を通して慰められることもあります。讃美歌には、神様に対する讃美、感謝があり、祈りがあり、告白があります。讃美は、私たちの信仰を奮い立たせてくれるのです。
 
B.賛美と信仰
 
 
讃美を歌うことによって、私たちの心を神様に向けることができるのです。プロのように歌うことが出来なくても心から大きな声で讃美することができますし、CDの讃美歌を聞きながら、炊事をしたり、あるいは、運転することができます。単にメロディに酔いしれたり、歌詞に恵まれるだけでなく、讃美を通して、神様を見上げることができるのです。はらからの10月号に宗教改革500年に関する原稿を書いて、担当者に送りました。その中で、ルターの作詞作曲した讃美歌、教会福音讃美歌の344「神はわが砦」について言及しています。ルターの宗教改革は、ローマ・カトリック教会の当局者との激しい戦いの連続でした。厳しい迫害と弾圧を受けながらも、神こそ、私の助けであり、砦であると告白しているのです。賛美を通して、神様に対する信頼を新たにすることができるのです。
 
C.救いに対する讃美
 
 
詩篇の記者は、一日中、神の義と救いを讃美すると述べています。でも、彼はその全部を知ってはいないと述べています。神様のすばらしさを一日中語っていても、他にもまだまだたくさん知るべきことがありますし、語り尽くすことはできないということです。

16節において「神の義を心に留めましょう」と詩篇の記者は述べています。ローマ人への手紙は、信仰による義についての教えが書かれていますが、それは神の義です。ダビデは旧約時代に生きていた人ですが、信仰による義をよく分かっている人でした。神のみが義であり、私たちは罪深い罪びとに過ぎません。ダビデは人妻であったバテシバと姦淫を行ない、その罪を隠ぺいするためにバテシバの夫を殺害するような陰険な、不道徳な人でした。ですから、神様に信頼することによってのみ、神様の前に義とされるということを経験したのです。

私たちは主キリストを信じることで許されて、受け入れられて、愛されているという感謝をもって、神様を心から讃美するのです。
 
V.晩年の使命:告げ知らせること(17〜20節)
 
 
第三に、晩年の使命について考えましょう。17節「神よ。あなたは、私の若いころから、私を教えてくださいました。私は今もなお、あなたの奇しいわざを告げ知らせています」。
 
A.過去の回顧
 
 
詩篇の記者は自分が若かった頃の事を思い出し、神様がさまざまなことを教え、導き続けてくださったことを回顧しています。長い信仰の年数を経ると、信仰のマンネリ化を引き起こす危険があります。初めは必死になって主に信頼して、その結果、神さまによっていろいろな御業を見せていただいていたのに、そのことを忘れて、このように適当にやっておけばクリスチャン生活は安泰だという過信に陥ってしまう危険性があります。ですから、初めの愛、若いときの主への信頼を思い出す必要があるのです。信仰生活において、卒業も、定年もありません。いつまでも幼子のような心、新鮮な信仰をもって歩ませて頂きたいことです。
 
B.使命の確認
 
 
今朝の中心聖句をご一緒に読ませて頂きましょう。18節「年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます」。18節はすばらしい祈りと告白ですね。これは年齢を重ねた信仰者だからこそできる働きです。次の世代に、神のすばらしさを教える働きです。次の世代の方々を励ます使命です。

モーセは申命記を書き記し、次の世代に神様の偉大さを伝え、彼の働きは、ヨシュアに引き継がれ、神様の働きは続きました。ダビデは息子のソロモンに神の戒めを教えて、ソロモンは神の知恵によってイスラエルの国を治めました。パウロは若い伝道者テモテを教えました。
 
C.次代に対する祈りと重荷
 
 
年齢を重ねた者の使命は、大切な真理を次の世代に伝えることです。今年は、戦後72年でなり、戦争を知らない世代が増加しています。戦後生まれの私も、歴史を学んだだけで、戦争を直接知りません。いかに戦争が悲劇的で悲惨な事かを体験し、若い世代に伝える「語り部」が少なくなっていると聞きます。「戦争を決して二度と繰り返してはならない、原爆を戦争の手段にしてはならない」ことを次世代に伝えていくことは大切でしょう。

同じように、信仰者には、神様の恵みと愛を次の世代に伝えていく使命があります。8月17日、丁度一か月前に国光幾代子先生が98歳の生涯を終えて、天に凱旋されました。丸の内教会、主都中央教会で長く奉仕をされ、聖宣神学院の女子寮監としても長く奉仕をされました。召される5日前に妻が病室を尋ねますと、ベットに横たわりながら、キリストの誕生、十字架、復活のスリーポイントで説教されたそうです。国光先生は、最後の最後まで聖書の福音を伝え続けられれたのです。

国光先生の真似はできないかもしれませんが、信仰者には、年を重ねても、神様の大能のわざや救いを伝えていく使命があります。若い次世代の方をお祈りに覚えたり、若い方々を励ますことができるでしょう。天に凱旋するその瞬間まで、信仰者には神の力を次の世代に伝えていく使命があるのです。
 
終わりに(結論)
 
 
この朝は、今朝は、愛老聖日で、18節を中心に、「あなたの力を次の世代に」という題で、み言葉をお伝えしました。

第一に、詩篇の作者は、晩年になってもなお祈っていたのです。

第二に、詩篇の記者は、晩年になってもなお神様を讃美しているのです。

第三に、詩篇の記者は、晩年になっても次の世代に神の力を伝えて行く使命があると痛感していたのです。

1.これまで良き信仰の歩みをしてこられた愛老会員の方々がなお、次の世代の方々のために祈って頂き、励まして頂きたいのです。

2.愛老会員に属さない次の世代の皆さん、これまで良き信仰の歩みをしてこられた愛老会員の方々の良き模範を覚えながら、しっかりと信仰のバトンを受け継いで、なお今の世代と次の世代に福音を伝えて行こうではありませんか。
 
お祈りを致します。