礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2017年10月1日
 
「世に勝つ勝利とは」
ヨハネの手紙からのメッセージ(14)
 
梅田 昇 牧師
 
ヨハネの手紙第一 5章1-12節
 
 
[中心聖句]
 
  4   なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
(ヨハネの手紙第一 5章4節)


 
聖書テキスト
 
 
1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。2 私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。4 なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。5 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。6 このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。7 あかしするものが三つあります。8 御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。9 もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。10 神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
 
今年を振り返って
 
 
中目黒教会は、第69次教会総会を越えて、3月から礼拝の新体制となり、年会において、竿代先生ご夫妻が転任となられ、私たちが後任として赴任し、さくら祭りコンサート、召天者記念礼拝、6月4日にペンテコステ礼拝、7月9日はチャペルコンサート、8月は林間聖会、ファミリーキャンプ、とにキャンが行われました。また、9月17日には普段集えない愛老会員の方々をお迎えして、愛老聖日礼拝を守らせて頂き、先週には、転入会式が行われたことです。

忙しい時代に生きている私たちですが、礼拝に参加することによって、過ぎた一週間を静かに振り返り、新しい週のために主を仰ぐのです。私たちが礼拝に出席する時に神様が一番喜んでくださいます。と同時に、周りの信仰の友にも励ましと元気を与えていますことを覚えつつ、一回一回の礼拝に励ませていただきましょう。
 
今朝のテーマについて
 
 
今年8月には、ロンドンで世界陸上が行なわれ、熱戦が繰り広げられました。スポーツは大変厳しい世界で、勝利者とともに敗北者があるのです。同じ競技場の中で、勝利の喜びに浸る人もあれば、悔し涙を流す人もあります。人生においても、勝利の人生をたどる人もあれば、敗北の生涯をたどる人もあります。この朝は、「世に勝つ勝利とは」という題を付けました。4〜5節には、キリストを信頼する者が人生の勝利者となれることが約束されています。4節「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」
 
T.この世の現実
 
 
まず、第一にこの世の現実について考えて見ましょう。

4〜5節に世ということばが3回出てきます。ギリシャ語で「コスモス」ということばで、いろいろな意味をもっています。宇宙という意味や人間という意味もあり。この場合には、私たちが住んでいる世の中、社会ということでしょう。私たちは、ロビンソン・クルーソーのように、離れ島で一人で生活することはできません。カトリック教会には、修道院という制度があり、きよい生活を送るために、出家する人もありますが、私たちの多くは修道院で生活することは許されていません。私たちは、この世の中で生活し、お付き合いをし、仕事をしていく必要があります。
 
A.自己中心の原理:
 
 
この世の特徴は、自己中心の原理で動いているのです。自分の願望を達成するために、人々は生活をしています。それは必ずしも悪いことではありませんが、人を押しのけても構わないという身勝手な態度の人もあります。自己中心の特徴は、何でしょうか? @周りの人の気持ちを考えることができない。Aその結果、自分本位に行動し、周りから嫌われてしまう。B結果、人間関係が難しくなる、というようなことです。主キリストも世の終わりには愛が冷ややかになるとおっしゃいました。人々の愛が冷ややかになり、自己中心になるというのです。最近多いのは、家庭内の事件です。愛すべき家族同士で、いがみ合い、憎しみ、ついに殺人に至る事件が多いことを感じます。長崎で事故を装い息子を殺し、、1億円の保険金を受け取ったとして、75歳の男性が容疑者として逮捕された事件がありました。お金ほしさにわが子を殺すなど、常識では考えられない事件が起こりました。人間の心が罪という原理に動かされている証拠です。
 
B.偽りと不正:
 
 
人間の自己中心の結果、この世には不正と偽りがあります。法律の改正により、政治家や役人に対する贈収賄事件はやや少なくなったように感じますが、様々な所で不正はなくなりません。政治家や芸能心の性的なスキャンダルが次々と報道されていますが、携帯電話の普及とともに、一般の人々の間でも浮気、不倫などが広がっていると言われています。

アダムとエバは、エデンの園で、悪魔の誘惑を受けて、ウソにだまされたのです。

世には「ウソも方便」ということわざがあります。親が子供を注意する時にも、軽いウソをていてしまう場合がありますが、信仰者としてはできるだけ避けた方が良いでしょう。「そんなことをしたら、おまわりさんに連れて行きますよ」という親がありますが、本当に警察に連れて行く親はありません。自分が従わせることができないので、おまわりさんの名を使って、従わせようとウソをついているのです。私たちは、語る前に、ウソがないか点検して語ることが必要でしょう。人の心が罪深いので、この世には、偽りや不正が横行しているのです。
 
C.サタンの支配:
 
 
悪魔は、人間の目に見えない霊的な存在です。この世は何よりも悪魔に支配されているのです。サタンは、人々の心を支配し、真理をわからないようにしています。サタンは、堕落した天使と言われ、強力な力を持ち、人々の心を支配しています。サタンは、創世記3章に現れ、旧約聖書の時代、新約聖書の時代、教会歴史の時代と働き続けているのです。最後には、黙示録20章において、サタンは捕らえられ、永遠の火と硫黄の中に投げ込まれてしまうのです。サタンは、私たちより強力であることを覚えさせていただきましょう。
 
U.この世における戦いの現実
 
 
第二に、人生における戦いの現実に心を留めさせていただきましょう。
 
A.世の戦い:
 
 
この世に生きる私たちの人生は、戦いの連続です。私たちの人生には、人との競争、人との戦いがあります。あるいは、人生には様々な問題、課題がやってくると申し上げなければなりません。

受験競争の弊害が昔から叫ばれながら、少子化の時代になってもなお厳しい受験競争があります。受験競争の厳しい現状の中で、いじめや不登校や引きこもりなどの問題が起こっているのはご承知の通りです。社会にでても、企業間の競争だけでなく、今は、企業内に成果主義が採用され、会社同志の間でも競争意識がある場合があるようです。そのような中で、精神的に行き詰まり、自殺をされる方もあります。企業間の競争も激しく、社員に長時間労働を強いるような法律違反の職場やブラック企業もあります。9月10日から16日が「自殺予防週間」として、厚労省でで定められています。政府が対策を取らなければならないほど、競争社会の軋轢の中において、自殺が深刻な社会的な問題となっています。
 
B.自己との戦い:
 
 
また、自己との戦いもあります。自分に負けて、人生の大きな失敗をする人もあります。ダビデ王は、神の大いなる祝福を受けて、イスラエルの王とされたのです。ある日、王宮の屋上を歩いていると美しい女性が入浴をしていて、彼女を召し抱え、自分の妻をしてしまいました。そして、バテシバの夫ウリヤを戦いの最前線に送って、死なせてしまいました。完全犯罪と思える罪ですが、神様の目をごまかすことはできません。

たった一杯のお酒の誘惑に負けて、転落の人生をたどる人もあります。福岡市の職員が酒を飲んで運転し、前を走っていた車に追突し、追突された車が川の中に、転落し、子供三人が死亡するという事故がありました。大学で学び、公務員試験に合格し、将来を期待された青年でしたが、本当に残念です。
 
C.サタンとの戦い:
 
 
悪魔との戦いもあります。悪魔は神様の敵対者です。神様の働きを妨害するためにあらゆることを行っています。悪魔はどんな姿、顔をしているのでしょうか。悪魔のイメージは鬼のような形相をした恐ろしいイメージの方が多いことでしょう。聖書を見ると、光の御使いのように優しく、親切そうに近づいてくると記されています。とても、魅力的で、楽しそうで、親切そうな姿で、信仰者を誘惑し、攻撃してくるのです。ペテロは、悪魔について警戒のことばを残しています。「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい」(Iペテロ5:8〜9)。サタンがどんなに巧妙で、強力であっても神様に勝つことはできません。
 
V.勝利の約束
 
 
第三に、ヨハネは、信仰者に勝利を約束しています。
 
A.信仰者とは:
 
 
信仰者は、イエスをキリストであると信じる人であると記されています。主キリストを信じる時、霊的に生まれ変わり、成長を始めます。5章1節「イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します」。神によって、生まれ変わった者は、神様を愛するようになり、同じように神様によって生まれ変わった人をも愛する者であるとヨハネは、述べています。

3節を見ると、神様を愛する人は、喜んで神様の命令を守ろうとするのです。「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません」。いやな人から命令されると反発したくなるでしょうが、愛する人からのお願い、依頼であれば、喜んで従うでしょう。神様を愛する人は喜んで神の命令、戒めを守ろうとするのです。
 
B.勝利の約束:
 
 
信仰者に対して勝利が約束されています。4節「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」。4節が今朝の中心聖句です。私たちの生活には、誘惑、思い煩い、心配事、世的な欲望、悪魔の攻撃もあります。神様によって生まれ変わった人は、信仰による勝利が約束されているのです。5節「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか」。イエスを神の子と信じる者には、世に勝つ勝利者となれることが約束されています。クリスチャンのパーセントはまだ少ないかもしれません。異教的な勢力が濁流のように強大であるかもしれません。しかし、勝利の人生を辿ることができます。

私が信仰を持ったのは、鹿児島県の田舎にある小さな教会でした。その教会で奉仕をしておられた婦人の先生がしばしばお話されたことが印象に深く残っています。それはめだかの話です。小さなめだかであっても、いのちがあるので、濁流の中でも流れに逆らって泳ぐことができるのです。しかし、大きな木には命がないので、濁流にどんどんと流されていくだけです。私たちに神のいのちが与えられているときに、どんなにこの世の中が汚れていても、勝利の人生をたどることができるのです。確信のない人は、キョロキョロと周りを見ます。近所の人はどうかな。会社の人はどうかなと周りを見て、周りと同じですと安心するのです。私たちは、世の中の動きを知る必要がありますが、周りをキョロキョロと見る必要はありません。神様を信頼し、従っていけば、大丈夫です。神様は必ず、信じ、従う者に勝利を与えてくださいます。

主キリストは弟子たちに宣言されました。ヨハネの福音書16章33節「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」。主キリストはすでに世に勝利されたお方です。そのお方を見上げることが大切です。
 
C.信仰の証し:
 
 
5章6〜8節「このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。あかしするものが三つあります。御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです」。6〜8節については様々な解釈がありますが、主キリストが救い主であることを証しするのは、聖霊です。水とは、主キリストがバプテスマのヨハネから水の洗礼を受けられ、十字架にかかって血を流されることで、救い主としての働きを成し遂げられたのです。聖霊は、私たちが罪を赦され、神様の子供とされている幸いについて証しをするのです。
 
終わりに(結論)
 
 
今朝は、「世に勝つ勝利とは」という題で、みことばを語りました。

第一に、この世とは、自己中心の原理で動いており、偽りと不正に満ちており、サタンの支配下にあることを申し上げました。

第二に、この世で生きていく上で、世との戦い、自分との戦い、サタンとの戦いがあることを申し上げました。

第三に、神様は信仰者に勝利を約束しておられます。主キリストは、すでに十字架で、勝利の道を備えてくださったのです。この世にあって、私たちには悩みや戦いがありますが、神様は勝利を約束しておられます。勝利は自動的に与えられるものではありません。勝利を与えてくださるお方、信仰の創始者であり、完成者である主キリストをしっかりと見上げながら、今週の歩みをさせていただこうではありませんか。

お祈りを致します。