礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2017年11月12日
 
「永遠のいのちの道」
ヨハネの手紙からのメッセージ(16)
 
梅田 昇 牧師
 
ヨハネの手紙 第一 5章1-21節
 
 
[中心聖句]
 
  20   神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
(ヨハネの手紙 第一 5章20節)


 
聖書テキスト
 
 
16 だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。17 不正はみな罪ですが 、死に至らない罪があります。18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。19 私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。20 しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。21 子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。
 
先週の特別集会を越えて
 
 
先週は、キリスト者学生会総主事の大島重徳先生をお迎えして、ウエルカム礼拝、ジョイフルアワーを持たせて頂きました。大島先生は、初めての方々にもよくわかるように、そして、長年信仰生活を送っている者にも大切な真理を語ってくださったことを感謝しています。
 
ヨハネの手紙について
 
 
今朝は、ヨハネの手紙第一5章16〜21節から「永遠のいのちの道」という説教題をつけました。この手紙が記された理由は、5章13節にありますように、信仰者が永遠のいのちを持っていることを理解してほしいということです。ヨハネの手紙の中で、「永遠のいのち」ということは大切なテーマであり、私たち信仰者には、永遠のいのち、神様のいのちが与えられているのです。
 
T.兄弟のために祈り(16〜17節)
 
 
まず、兄弟のために祈るようにと勧告がなされています。

クリスチャンは、神の子とされ、神の家族の一員とされているわけですから、お互いのために祈ることが期待されています。
 
A.死に至る罪、死に至らない罪
 
 
16節「だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません」。16節に死に至らない罪と死に至る罪について言及されています。これらの句は解釈の難しいみことばであり、長い間聖書学者を悩ませてきました。死に至る罪とは、永遠の滅びに導く深刻な罪と言うことでしょう。マタイの福音書12章31節には、「人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません」と記されています。聖霊に逆らう罪とはどのようなものでしょうか。具体的には言えないでしょうが、例えば、サタンを礼拝したり、神様をのろうことは大きな罪です。死に至る罪は赦されませんが、その他の罪は死に至らない罪であり、心から悔い改める時にどんな罪も赦されるのです。
 
B.兄弟のための祈り
 
 
死に至らない罪を犯した兄弟があるなら、その人のために祈るように促されています。罪を犯しても、恵みに回復されることができるのです。家族は私たちにとって一番親しい、大切な存在です。「家庭こそ、社会の基礎単位であり、国づくりの基礎である」と言われます。その大切な家庭が、幼児虐待、家庭内暴力、親子間殺人などによって、揺らいでいます。私たちには一番身近な家族のために祈り、支えていく使命が与えられています。それと同じように、私たちは神の家族のために祈る必要があります。私たちは家族のために、中目黒教会員のために、そして、祈りのネットワークを使って、全国の教会と先生方、宣教地のために祈っています。
 
C.回復の可能性(17節)
 
 
17節「不正はみな罪ですが 、死に至らない罪があります」。不正は罪ですが、死に至らない罪があるとヨハネは、述べています。死に至らない罪は、告白し、お詫びすれば赦されますし、回復されるのです。お詫びすればどんな罪をも赦してくださる愛の神様が、私たちの信ずる神様なのです。

主キリストの十字架の傍らには、2人の犯罪人が十字架にかけられていたのです。犯罪人たちがどんな犯罪を犯したのか詳しいことはわかりません。恐らく、十字架にかけられるほどの重大な罪を犯したに違いありません。その強盗に対して、主キリストは「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」とおっしゃいました。主キリストは、重大な犯罪を犯した犯罪者をも赦しておられます。

死に至る罪を除いて、どんな罪でも赦されるのです。ですから、私たちの周りの誰かが、罪に陥ったとしても、神様から遠く離れてしまっているように思えても、あきらめないで、忍耐をもって信仰の回復のために祈り続けることができるのです。
 
U.永遠のいのちへの道(18〜20節)
 
 
第二に、信仰者に永遠のいのちが与えられていることを覚えさせていただきましょう。

18〜20節にかけて、「知っている」ということばが3回出てきます。当時グノーシス主義と呼ばれる異端の人々が、神秘的な知識を強調し、信仰者を混乱させていただのです。

この異端は、知識を強調し、結果的にキリストの人間性を否定してしまったのです。間違って物事を知ることは危険であり、物事を正しく知ることはとても大切なことです。メラノーマと呼ばれる顔にできる黒い皮膚がんとほくろを勘違いする場合があるそうです。見た目では、ほくろか皮膚がんが見分けがつかない場合がありますので、気になったら専門医に検査してもらった方が良いでしょう。「皮膚がんをほくろだろう」と軽く考えることは危険で、物事を間違って知ることは大変危険な場合もあるのです。ヨハネは、神様が聖書と聖霊によって永遠のいのちの道を啓示してくださったことを述べています。
 
A.罪からの解放
 
 
18節「神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです」。私たち信仰者は、罪の泥沼にいたものですが、新しく生まれ変わった者です。時として罪を犯してしまうことがあるかもしれませんが、罪を意識的に継続的に行なうことはありません。悪い者、悪魔が私たち信仰者を打ちのめしてしまうことがない様に、神様は私たち信仰者を守ってくださるのです。神様は、悪魔の策略に対抗できるように、信仰の武具をも備えてくださいました。エペソ人への手紙6章に、信仰の武具について述べています。エペソ人への手紙6章11節に「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」。神の武具とは、真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の備え、救いのかぶと、御霊の与える剣。神様を信頼し、祈りをもって生活することが大切です。神様は私たちを守ってくださいますが、私たちも信仰の武具をもって悪魔と闘う必要があります。
 
B.神への帰属
 
 
19節「私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています」。この世は、サタンに支配されていますが、信仰者は神様に属しているのです。主キリストによって生まれ変わり、神様に属する者だという帰属意識が大切でありましょう。「自分が何者であるか」というクリスチャンとしてのアイデンティティをもつことは幸いです。サタンの攻撃は、巧妙で、活発であるかもしれませんが、サタンの運命は敗北と永遠の滅びです。黙示録20章10節には「そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける」と明白にサタンの運命について記されています。サタンは、最後には必ず敗北するのです。先月衆議院総選挙があり、与党の圧勝でしたが、政治がどのようになろうとも、どうぞ、悪魔に勝ち目は絶対にありません。神様に属し、神様とともに歩むことは、勝利に繋がるのです。神様は究極的な勝利者であることを覚えさせていただきましょう。
 
C.神を知る理解力
 
 
20節をみると、真実な神様を理解する力を与えてくださったと記されています。20節「しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです」。人間の知識、理解力は、有限であり、神様について調べても研究してもわかりません。と同時に、罪のために心の目が閉ざされているのです。知性も、良心も、霊性も、罪に汚染されているのです。しかし、神様は御子イエス・キリストを通して、ご自身を啓示してくださいました。キリストを見上げるときに、神様がどんなお方であるかを理解できるのです。

弟子の一人ピリポは、「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します」とキリストにお願いしました。主キリストは答えられました。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。ヨハネは、ヨハネの福音書を通して、このヨハネの手紙を通して、「神が人となり、人の間に住まわれた」と一貫してこのことを述べているのです。主キリストは、まさに父なる神様の完全な啓示者です。

20節後半に、「私たちは、真実な方、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです」とあります。主キリストこそ、真の神であり、永遠のいのちそのものです。主キリストを信頼するときに、神様のいのちが、永遠のいのちが私たちの心に注ぎ込まれるのです。その時に、神様との幸いな交わりの中に、日々を送ることができるのです。
 
V.偶像への警戒(21節)
 
 
最後のメッセージは、偶像を警戒するようにというメッセージです。
 
A.本書の最後の勧告
 
 
21節「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい」。これがこのヨハネの手紙の最後の勧告であることは興味深いことです。私たちは偶像礼拝で満ちている日本社会に住んでおり、偶像礼拝の危険に満ちています。ヨハネの最後の勧告は「偶像を警戒しなさい」ということでした。
 
B.偶像に対する警戒
 
 
真理、永遠のいのちの道に留まり続けるために、偶像礼拝に警戒するように述べています。十戒の中に、偶像についての戒めがあります。「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない」(出エジプト記20章4〜5節)。偶像を造ったり、拝まないようにという教えです。当時の偶像と言えば、石や木で作った異教のカナンの神々のことです。
 
C.目に見えない偶像に対する警戒
 
 
クリスチャンは、目に見える偶像を拝むことはないでしょう。しかし、神様以外の物が、神様以上に大切になったら、それは偶像となるのです。例えば、お金が神様以上に大切であったら、お金が偶像となるのです。名誉が神様以上に重要であれば、名誉が偶像となるのです。家族が神様以上になったら、家族が偶像になるのです。

宗教改革者であったマルチン・ルターは、「人は神か偶像のいずれかを持つ」と述べました。人間には、何か頼りにするものが必要であるということでしょう。神様を第一にしなければ、いろいろなものが偶像となりえるでしょう。偶像礼拝を避けるということは、神様を第一にして生活するということです。主キリストは、「神の国と義をまず第一に求めなさい。そうすれば、これらすべてのものは与えられます」と約束されました。神様を第一にすることで、目に見える偶像、目に見えない偶像礼拝に陥らないように警戒しましょう。
 
終わりに
 
 
今朝は、20節を中心に「永遠のいのちの道」という題でみことばを語りました。

第一に、兄弟のために祈るようにという勧告に心を向けました。
第二に、信仰者に永遠のいのちが与えられていることを語りました。
第三に、偶像を警戒するようにというメッセージに心を向けました。

この朝、私たちは主キリストを通して、永遠のいのち、神様のいのちが与えられていることを覚えさせていただきましょう。主の豊かな永遠のいのちが与えられていることを感謝し、その永遠のいのち道、祝福の道を辿り続けようではありませんか。
お祈りを致します。