礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2017年12月3日
 
「喜びに満ちたマリアの讃美」
アドベント・メッセージ(1)
 
梅田 昇 牧師
 
ルカの福音書 1章46-55節
 
 
[中心聖句]
 
  46,47   わがたましいは主をあがめ、わが霊はわが救い主なる神を喜びたたえます。
(ルカの福音書 1章46-47節)


 
聖書テキスト
 
 
46 マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、47わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。48主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。49力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、50そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。51主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、52権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、53飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。54主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。55私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」
 
 
アドベントを迎えて
 
 
この年も守られて、アドベントの季節を迎えました。毎年毎年、クリスマスが巡ってきて、クリスマスについての数えきれないほどの多くの説教がなされてきましたし、この年もクリスマスに関する多くの説教、思い巡らしががなされることでしょう。クリスマスについて様々な角度から思い巡らすことができるでしょうが、この年は神様に対する賛美、賛歌という角度からみことばを語らせて頂きたいと願っています。

今朝は、マリアの賛美について、
来週12月10日は、ザカリヤの賛美について、
さ来週12月17日は、天使の賛美について、
12月24日のクリスマス礼拝では、シメオンの賛美について、
語らせていただく予定です。
 
マリアについて
 
1.マリアのエリサベツ訪問
 
 
今朝の聖書箇所は、マリアがエリサベツを訪問した時に、神様を賛美した出来事です。賛美とは、神様をほめたたえる歌で、信仰と賛美を切り離すことはできません。多くの讃美歌が作られ、歌われてきました。特にマリアの賛美には、感謝と喜びが溢れていたと言えましょう。

マリアは御使いから「あなたは男の子を産みます」というメッセージを聞き、大変驚き、葛藤を覚えましたが、信仰を持って受け止めました。さすがに、救い主の母として選ばれた婦人であることを教えられます。

39節を見ると、天使のお告げを受けたマリアは、エリサベツの家を訪問したのです。エリサベツがマリアの挨拶を聞いた時、お腹の子つまりヨハネが胎内で踊ったというのです。

42節から45節にかけて、エリサベツは聖霊に満たされ、マリアに応答をしています。神様の祝福がマリアの上に、胎児に注がれたことをエリサベツは心から主に感謝することができたのです。43節を見るとエリサベツはマリアを「私の主の母」と呼んでいます。

「嫁舅」に代表される女性同士の人間関係は、時として難しい場合もありますが、信仰による交わりは幸いです。旧約聖書のナオミとルツのように、エリサベツとマリアは麗しい関係を保つことができたと言えましょう。

メシアの誕生に関しては、旧約聖書に何度も預言され、約束されていました。その約束の通りに、時が満ちた時に、主キリストはベツレヘムにおいてマリアから誕生されたのです。マリアはおとめでしたが、聖霊によってみごもることを約束されていたのです。常識的には信じられないことでしたが、神様にはそれができると信じたのです。38節「マリヤは言った。『ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。』こうして御使いは彼女から去って行った」。主のはしためとして、心の葛藤を覚えながらも、神のみこころを受け止めるマリアの信仰の真摯な姿勢に教えられます。私たちも、理解することが難しいような人生の試練に直面することがありますが、マリアのように、神様のことばを信じる幸いな生活を辿らせていただきたいものです。
 
2.マリアの賛歌
 
 
ルカの福音書1章46−56節は、「マグニフィカート」と呼ばれ、キリスト教会における最もすばらしい賛美歌の一つと言われます。ラテン語の聖書では、この部分がマグニフィカートということばから始まります。英語では「magnify」ということばで、大きくする、拡大するという意味で、神様を崇めるということになります。

このマリアによる賛美は、サムエル記第一2章1−10節にあるハンナの賛歌を思い起こさせます。ハンナは、「私の心は主を誇り、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私はあなたの救いを喜ぶからです。主のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません」と神様を賛美しました。賛美の内容が良く似ています。ハンナは不妊の女性でありましたが、祈りに答えて、神様は幼子サムエルを与えてくださいました。ハンナの心には、神様に対する喜びに満ちた賛美が溢れてきたのです。

このマグニフィカートには、神様のすばらしさが描かれています。ある人は「マリアがこのように賛美したということは、彼女が普段に聖書を愛読し、イスラエルの救いをいかに待ち望んでいたかを物語っている」と説明を加えています。マリアの賛美は、神学的にも素晴らしい内容で、46節を見ると、「わがたましいは主をあがめ、わが霊はわが救い主なる神を喜びたたえます」という賛美で始まっています。今朝は喜びに満ちたマリアの賛美について語ります。
 
I.救い主なる神(47〜49節)
 
 
第一にマリアは、救い主なる神を心から賛美したのです。
 
A.救い主なる神(47節)
 
 
救い主とは、私たちを罪から救ってくださるお方です。47節を見ますと、マリアは「わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます」と主を賛美しました。

父なる神様は、創世記の時代から、救い主、メシアを送ることを約束してくださいました。折々に、預言者を遣わして、メシアについての約束を与えなさいました。何百年も待ち続けたメシアが来ようとしておられたのです。神様は時が満ちた時にメシアを送られたのです。ローマ帝国によって、地中海世界は統一され、平和な時代が到来、道路も整備され、自由な往来ができるような時代が到来したのです。ルカの福音書2章を見ますと、主イエス様が誕生される前に、ヨセフとマリアは、住民登録のためにナザレからベツレヘムへ旅行したと記されています。戦争状態ですと、旅行することすら、難しかったことでしょう。

48節を見ますと、その偉大な神様が「卑しいはしために目を留めて下さった」とマリアは感謝と喜びを表しています。愛の神様は弱い者、小さな者にも心を留めてくださいます。
 
B. 全能の神(49節)
 
 
49節にはマリアは「力ある方が私に大きなことをしてくださいました」と述べています。処女が身ごもるということは、常識的にはありえません。今は医学が発達して、体外受精などの様々な不妊の治療もありましょうが、処女降誕は奇跡です。奇跡とは、人にはできない、神様だけにできる不思議なことです。マリアは神様の全能の力によって、みごもり、みどりごイエス様を出産したのです。
 
U. 愛と恵みの神(50〜53節)
 
 
第二に、マリアは愛と恵みに富んでおられる神を賛美したのです。50節「そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます」。
 
A.愛の神(50節)
 
 
あわれみは、愛と同義語であり、神様の愛とあわれみは、「世々にわたって及びます」と記されています。神様の愛と憐みは、とこしえに変わることがありません。人の愛情は変わりやすく、消えてしまうことがあります。多くの人々に祝福されて、盛大な結婚式をしたのに、しばらくするとうまくいかなくなり、醜い争いをするケースもあります。人の愛情は憎しみに変わってしまう場合もあります。使徒パウロは、有名な愛の章と呼ばれるコリント人への手紙第一13章において「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているものは愛です」と記しています。救い主キリストが誕生されたのは、父なる神様の愛の故にです。
 
B.供給者(53節)
 
 
神様は、供給者です。53節「飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました」。神様は、カラスを用いてエリヤを養ってくださり、一人のやもめを用いて、エリヤを養い続けてくださったのです。パウロの表現を使えば、神様はキリストにある栄光の富をもって、私たちの必要を満たしてくださるお方です。

主キリストは「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6章33節)とおっしゃいました。神様の前に謙って、神様のみこころを求めて行くならば、すべての必要を与えてくださいます。神様は、供給者です

マリアは、「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と天使に答えました。マリアには、主に選ばれた特別な女性であるというような高慢な態度は、微塵もありませんでした。主の前に、謙遜な女性でありました。51節に「心の思いの高ぶっている者を追い散らし」とありますように、大切なことは、マリアのように神様の前に謙遜であるということです。
 
V.誠実な神(54〜55節)
 
 
第三に、マリアは誠実な神様をほめたたえています。
 
A.人の不誠実
 
 
不誠実な人があり、信頼できない人がいることは事実です。確かに私たちは約束を忘れてしまうことがあるかもしれません。約束を守れない状況になる場合があります。電車が遅れるとかして、約束を守れないようなことがあるかもしれません。都合が悪くなり、約束を破る人もあるでしょう。
 
B.神の誠実
 
 
誠実な神様は、約束を必ず守りなさいます。54〜55節に「主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです」。

神様はアブラハムに祝福の基となると約束されました。神様はアブラハムに約束されたことを成就されたのです。なぜなら、神様は誠実な、真実なお方です。熟年離婚が増加していると言われますが、人の真実は時とともに変わってしまうことがあります。親しいと思っていた友人に裏切られることがあるかもしれません。しかし、神様の真実さは決して変わることがないのです。

愛の神様は、マリアの妊娠中も守ってくださり、ナザレからベツレヘムへの旅の途中も守ってくださいました。時満ちて、マリアは救い主イエス様を出産したのです。56節をみると、マリアは、三ヶ月ほどエリサベツと暮らして、家に戻ったのです。恐らく、信仰による幸な交わりが許されたことでしょう。マリアが喜びをもって神様を賛美したように、私たちも誠実な神様を信頼して、祝された生涯を辿らせていただきましょう。
 
終わりに
 
 
アドベントの節季に入ったこの朝は、マリアの賛美、マグニフィカートを通して、神様がどんな偉大なお方であるかを学ばせていただきました。

T.救い主なる神(47〜49節)
U. 愛と恵みの神(50〜53節)
V.誠実な神(54〜55節)

マリアは、救い主キリストの母となった女性ですが、喜びに溢れて神様を賛美したのです。マリアが賛美した神様は、私たちの信じる神様です。

私たちの生涯に救いと祝福が注がれていることを感謝し、喜びをもって主を賛美し、更に多くの方々に、主の祝福が届けられるように、祈りながら歩ませていただきましょう。
お祈りを致します。