礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2017年12月10日
 
「勝利に満ちたザカリアの讃美」
アドベント・メッセージ(2)
 
梅田 昇 牧師
 
ルカの福音書 1章67-80節
 
 
[中心聖句]
 
  68,69   ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。
(ルカの福音書 1章68-69節)


 
聖書テキスト
 
 
67 さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。68 「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、69 救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。70 古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。71 この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。72 主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、73 われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、74 われらを敵の手から救い出し、75 われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。76 幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、77 神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。78 これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、79 暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」80 さて、幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に出現する日まで荒野にいた。
 
今年を振り返って
 
 
今朝は2回目のアドベントの聖日を迎えました。アメリカではトランプ政権が1月に誕生し、さまざまな影響がアメリカの国内国外にみられ、国内では「忖度」という流行語大賞にみられる森友学園、加計学園をめぐる問題がマスコミをにぎわし、さまざまな暗いニュースが多かったことです。米朝間の戦争が起こるかもしれないという危惧の中で、私たち一人一人の歩みを守られて、主キリストの誕生を祝う降誕節を迎えられますことを心から感謝しています。
 
ザカリアとエリサベツについて
 
 
ルカの福音書1章57節を見ると、ザカリアの妻エリサベツは時が満ちて、男の子を産んだと記されています。人々は父にちなんで、「ザカリア」と命名しようとしましたが、エリサベツは「ヨハネとしなければならない」といいました。なぜなら、1章13節にありますように、天の御使いがヨハネと名づけるように命じたからです。天の御使いは、エリサベツに男の子が与えられることを告げ、その子にヨハネと名づけるように命じたのです。

ザカリアは不信仰のために耳が聞こえなくなったのですが、64節を見ると、ザカリアの口が開かれ、舌が解け、彼はしゃべれるようになったのです。不信仰に対する罰は終わったのです。神様を心からほめたたえたのです。しゃべれないと言うことはザカリアにとって、大変辛いことであったに違いありません。しかし、もう一度しゃべれるようになったのです。そのような状況の中で、ザカリアの心の中に、賛美と感謝がこみ上げて来たのでありましょう。67〜69節「さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。『ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた』」。
 
ザカリアの讃美、預言
 
 
68節から79節にかけて、ザカリアは聖霊に満たされて神を賛美、預言をしたのです。ザカリヤの預言は「ベネディクトス」と呼ばれ、ラテン語で「祝福」という意味です。ローマ教皇で、ベネディクトスT世とような名前の教皇が十数人います。

マリアの賛歌がハンナの賛歌に良く似ていますように、ザカリアの賛歌は、旧約聖書の預言者のことばに似ていると言われます。プランマーという聖書学者は「マグニィカートが詩篇にならったものであるように、ベネディクトスは預言書にならっている」と述べています。

67節には「預言」ということばがあります。預言とは、言葉を預かると書きますが、神様からことばを預かり、人々に伝達する人を預言者といいます。ザカリアの預言には三つが含まれます。@未来の出来事を予知すること。A真理を語ること。B神様に対する賛美、賛歌。ザカリアの預言には、これらの三つが含まれています。

先週は、マリアの讃美を通して、「喜びに満ちたマリアの讃美」という題で、みことばを語りましたが、今朝は、「勝利に満ちたザカリアの賛美」という題でみことばを語ります。 
 
T.旧約聖書の成就としての救い(救いの約束)
 
 
第一に、救い主の誕生は、旧約聖書の預言の成就であることを告白しています。70節「古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに」。

救い主の誕生に関する預言が、旧約聖書に多くあります。詩篇、イザヤ書、ミカ書などにあります。ザカリアは、イスラエルの民が待ち望んできた救い主キリストの職務の栄光を見通しています。救い主キリストは、何世紀にも渡って、預言者によって、預言されてきたお方です。そして、何百年もイスラエルの民が待ち望んできたメシア、救い主が誕生しようとしていたのです。このことは、マリアの賛歌の中にも記されていることです。
 
A.愛の神様
 
 
68−69節にあるように、主は私たちを顧み、愛を注いで下さるお方です。自分の小さな子供が交通量の多い道路にちょろちょると歩いていくのを見た親は、必死の形相で、子供のところに駆け寄り、救い出すに違いありません。子供を愛している親ならそうすることでしょう。68節に「贖い」という重要なことばがでてきます。贖いとは身代金を払って奴隷を自由にすることを意味し、犠牲の代償を捧げることで、罪の つぐないをすることを意味しています。レビ記には、罪の赦しのために、羊や牛や犠牲としてささげられたのです。救い主キリストは、動物ではなくして、ご自身のいのちを犠牲にして、罪から贖ってくださるのです。贖いは、救いとも言われます。
 
B.救いの神様
 
 
69節に救いの角とありますが、「角」は聖書では力のシンボルです。詩篇132篇17節に、「角」の到来に関する預言があります。「そこにわたしはダビデのために、一つの角を生えさせよう。わたしは、わたしに油そそがれた者のために、一つのともしびを備えている」。角は、自分を防御し、敵を攻撃する武器です。奈良市の公園には沢山の鹿がいて、観光客が行くそうです。角が生えてきて、観光客を攻撃したら危険なので、定期的に角を切り落とすようです。奈良市の春日大社境内にある角きり場で始まり、逃げ回るシカを追う男性の勇壮な姿に観光客らが大喜びをするそうです。角に刺されたら、ひとたまりもありません。ザカリアは、救いの角である力ある救い主の到来を預言しているのです。
 
C.全知の神様
 
 
70節によると、メシア、救い主が来られることは預言者たちを通して預言されていました。神様は、その預言を成就しようと歴史を導いてこられたのです。預言は、神様の全知に関連しています。神様は過去も現在も未来もご存知です。特に私たち人間に、未来のことはわかりません。北朝鮮とアメリカの間に戦争が起こるかもしれないといううわさがありますが、私たちにはわかりません。日本経済が来年、どうなるのか予想はできても正しくはわかりません。未来をもご存知の神様は、預言者を通して、救い主の誕生について約束されたのです。
 
U.敵の手からの救い(救いの到来)
 
 
第二に、敵からの救いが預言されています(74節)。

72〜75節「主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される」。
 
A.人間関係の難しさ
 
 
私たちを攻撃する敵がさまざまといるかもしれません。「渡る世間は、鬼ばかり」というテレビ番組が1990年から2011年まで放映されました。競争社会が厳しくなり、受験競争だけでなく、職場でもライバル関係ということがあるかもしれません。家族でも、親戚でも関係が難しい場合があります。私たちを攻撃する意図はないにしても、人間関係で悩み、苦しむ場合があります。
 
B.敵である悪魔
 
 
私たちの本当の敵は、悪魔です。悪魔は、人の目には見えませんが、創世の初めから、存在し、神様の働きを妨害し続けてきたのです。創世記3章以来、サタンは働き続けています。サタンは、千年王国の時代に解放されますが、その後、捉えられ、最後の審判を受けて、永遠の苦しみ、硫黄の火の中に投げ込まれます。

しかし、サタンは、すべての文明の機器、価値観の違い、宗教の違いなどを用いて、混乱と不一致を与え、社会に混乱と不自由さをもたらしています。人の心に働きかけ、お金、異性、お酒、ギャンブル、覚せい剤などを用いて誘惑してくるのです。

サタンは、光の御使いの姿を持って、私たちに近づいてくるのです。ステキそうな、立派そうな姿で近づいてくるのです。サタンが鬼のような恐ろしい姿で近づいてきたら、みんな逃げだすでしょう。私たちは、私たちよりもずっと賢くて、力のある存在であることを覚えなければなりません。
 
C.敵からの救い
 
 
71節「この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである」とありますが、主キリストは悪魔の手から私たちを解放してくださるのです。ヨハネは、その手紙において、「神の子が現われたのは、悪魔の業を打ち壊すためです」(Iヨハネ3:8)と述べています。創世記3章15節の預言にありますように、主キリストは、最後には十字架にかかり、悪魔のわざを打ち破ってくださったのです。
 
V.敵から救われる意義(救いの結果)
 
 
第三に、救いのもたらす祝福について教えられます(74-79節)。

主キリストによる救いは、すばらしい祝福を私たちにもたらすのです。
 
A.罪の赦し(77節)
 
 
まず第一に、罪の赦しです。77節「神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである」。良心の呵責、罪責感から解放されることはすばらしいことです。人はしばしば失敗や過ちを犯します。その結果、良心の呵責を感じることがあります。ある人が犯罪を犯し、車に寝泊まりしながら、一年間逃げ回ったそうです。最後には警察に捕まったのですが、監獄に入ってから「オレ、今晩からやっと眠れる」と言ったそうです。彼は絶えず、不安と恐れに包まれながら生活を送っていたのです。

主キリストは、「わたしはあなたを罪に下さない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません」とおっしゃって、姦淫の現行犯で捕らえられた婦人を赦してくださいました。主イエス様は、過去に犯したすべての罪を許し、良心の呵責から解放し、平安を与えてくださいます。
 
B.導き(79節)
 
 
第二に、人生の導きです。主イエス様は、罪を許して下さるだけでなく、導きを与えてくださるお方です。79節「暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」人生には、喜びと感謝の日々もありますし、暗黒と死の陰の谷を通される日もあります。現状を見ると失望し、将来を見ても不安だらけの日もあります。ある人は、人生に3つの坂があると言いました。上り坂、下り坂、そして真坂(まさか)です。「まさか」と思えるような課題の中を通されることがあります。恵みと憐れみに満ちた主は、そんな私たちの心に、聖霊の光を持って照らし、平和の道に導いてくださいます。
 
C.主に仕える生涯(75節)
 
 
第三に、主に仕える生涯です。75節「われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される」。主は、罪を赦し、人生を導いてくださるだけでなく、主に仕えることを可能にしてくださいます。「きよく、正しく、恐れなく」主の前に仕えることを可能にする恵みを与えてくださいます。
 
終わりに
 
 
ザカリアは、神様の啓示を受けて、敵からの救いをもたらす救い主のゆえに、勝利に満ちた賛美を捧げています。

第一に、救い主の誕生は、旧約聖書の預言の成就であると述べました。

第二に、敵からの救いが預言されています。

第三に、敵からの救いのもたらす祝福について述べています。

私たちも主キリストのもたらす救いのゆえに、高らかに勝利に満ちた賛美し続けようではありませんか。

お祈りを致します。