礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2018年2月4日
 
「真理と愛の中を歩む」
ヨハネの手紙からのメッセージ(17)
 
梅田 昇 牧師
 
ヨハネの手紙第二 1-6節
 
 
[中心聖句]
 
  3   真理と愛のうちに、御父と御父の御子イエス・キリストから来る恵みとあわれみと平安は、私たちとともにあります。
(ヨハネの手紙第二 3節)


 
聖書テキスト
 
 
1 長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ。私はあなたがたをほんとうに愛しています。私だけでなく、真理を知っている人々がみな、そうです。2 このことは、私たちのうちに宿る真理によることです。そして真理はいつまでも私たちとともにあります。3 真理と愛のうちに、御父と御父の御子イエス・キリストから来る恵みとあわれみと平安は、私たちとともにあります。4 あなたの子どもたちの中に、御父から私たちが受けた命令のとおりに真理のうちを歩んでいる人たちがあるのを知って、私は非常に喜んでいます。5 そこで夫人よ。お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです。5 愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。
 
第70次教会総会を越えて
 
 
第70次教会総会を越えて、新しい年度の活動に踏み入ることができ、今日も創造主を礼拝して、新しい週をスタートできることは、大変感謝なことです。年頭礼拝で語らせて頂きましたように、年の初めから年の終わりまで愛のまなざしをもって私たちを見つめ続けてくださる神様をしっかりと見上げつつ、今月の歩みをたどらせて頂きたいと心から願っています。来月に入りますと、教団の第21次総会、第73次年会が行われます。特に3月4日には、市川文化会館での教団合同礼拝となりますので、今から祈りに覚え、出席致しましょう。
 
ヨハネの手紙第二について
 
 
昨年11月12日の礼拝において、ヨハネの手紙の第一の最後の5章から「永遠のいのちの道」という題で、みことばを語りました。ヨハネの手紙第一より16回にわたり、みことばを語りました。今朝は、ヨハネの手紙第二を開きました。ヨハネの手紙第二は、個人的な手紙としての特徴を持っており、新約聖書で一番短い書です。この手紙は、一夫人に宛てて記されており、そのような手紙は新約聖書にこの手紙だけです。ただこの夫人が誰であったのか詳しくわかりません。挨拶から始めて、用件を述べ、12節を見ますと、ヨハネは、この夫人たちを訪問する計画を持っていたようです。

1節「長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ。私はあなたがたをほんとうに愛しています。私だけでなく、真理を知っている人々がみな、そうです」。1節にある「長老」とは、手紙の内容がヨハネの手紙第一とも近いことから、ヨハネの手紙第一を執筆した使徒ヨハネのことであると考えられます。「選ばれた夫人とその子供たち」とは、解釈が難しいことです。これはある教会を象徴的に表しているのだという解釈をする人もいます。しかし、ある特定の人物、神に選ばれた指導者、ある夫人と理解したほうが自然でしょう。いずれの解釈にしても、この手紙には、普遍的なキリスト教会と信仰者に対するメッセージが含まれていることだけは間違いありません。

使徒ヨハネは、「あなたがたを本当に愛しています」と述べています。真理を知る信仰者たちも愛を実践していることを述べています。初代教会においては、信仰者の間における兄弟愛が麗しく実践されていたことがわかります。
 
ヨハネの手紙の中心的なテーマ
 
 
すでにヨハネの手紙を16回に渡って学んできましたが、愛ということばが数多く使われ、互いに愛を実践するということが、繰り返し繰り返し強調されていますが、ヨハネの第二の手紙でも、愛というテーマが引き続いて強調されています。愛こそ、ヨハネのメッセージであり、聖書全巻の真理なのです。信仰者であっても弱さや不完全さをもっています。狭い心で相手を拒絶しあったら、生きていくことは難しいことです。忍耐と寛容を尽くして生活し、愛と思いやりをもち、主の愛に溢れた家庭生活、教会生活を目指して歩ませていただきたいものです。2〜3節をご一緒に読ませて頂きましょう。「このことは、私たちのうちに宿る真理によることです。そして真理はいつまでも私たちとともにあります。真理と愛のうちに、御父と御父の御子イエス・キリストから来る恵みとあわれみと平安は、私たちとともにあります」。

ヨハネは、信仰者のうちに宿る真理のゆえに、愛することが可能だと述べています。人間の罪、自己中心性が愛することを難しくしていいます。愛の対極にあるのが、自己中心です。自己中心な人ほど、周りの人を受け入れ、愛することが難しいのです。真理であるキリストの犠牲の故に、愛を体験し、まわりの人を愛することが可能となるのです。ヨハネの手紙第一3章16節において「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです」というみことばのように、キリストの犠牲の故に、聖霊によって私たちの心に愛が注がれ、周りの人を愛することが可能となるのです。

3節によると、主から来る恵みとあわれみと平安がともにあることをヨハネは確信していました。恵みとあわれみと平安という三重の表現は、新約聖書でも珍しい組み合わせと言えましょう。祝祷を思い起こさせる言い方です。祝祷において、主キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりがあるようにと祈りますが、まさに三位一体の主の恵みがあることをヨハネは確信して疑わなかったのです。この朝は、三つの点を学ばせていただきましょう。
 
I.真理の内を歩む(4節)
 
 
第一に真理に歩むことの祝福について学びましょう。

4節「あなたの子どもたちの中に、御父から私たちが受けた命令のとおりに真理のうちを歩んでいる人たちがあるのを知って、私は非常に喜んでいます」。
 
A.真理とは
 
 
4節において、神のこどもたちが真理のうちを歩んでいることを知り、ヨハネは非常に喜んでいるのです。この短い手紙の中に、真理ということばが何回も出てきます。1節、2節、3節、4節にあります。「真理とは何か?」とポンテオ・ピラトが主キリストに尋ねましたが、真理とは一体何でしょうか。辞書には「いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道」と定義されます。古代ギリシャの哲学者たちを始め、歴史上の哲学者たちが真理を探究し、議論を重ねましたが、これが真理だと断言できる人はなかなかいません。ある大学生が哲学の授業で、「真理とは何か?自分は真理をどう考えるか?」について2500字以上で、レポートを書くようにという宿題がでたそうです。書くのが難しいので、アドバイスを友達に求めたそうです。確かに頭で真理とは何かを考えても、難しいことです。今はポストモダニズムの時代であると言われ、普遍的、絶対的な真理を否定する時代です。ある国や時代には正しくても別の国では当てはまる真理はないと言うのです。

しかし、主キリストは「私は道であり、真理であり、いのちなのです」とおっしゃいました。真理とは、真の真理である主キリストご自身、あるいは、福音の教えということでしょう。また、ヨハネの福音書8章32節に「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」というみことばがあります。真理である主キリストは、私たちを罪の奴隷状態から解放し、自由を与えてくださるのです。
 
B.真理の内を歩む信仰者
 
 
主が愛された使徒ヨハネは、恐らく人生の円熟期を迎えており、若い世代の信仰者にこの手紙を書き送っているのでしょう。ロバート・リーという聖書学者は、ヨハネがこの手紙を書いた時、90歳位ではないかと述べています。神の子供たちが真理の中を歩んでいるということを聞くことほどうれしいことはないとヨハネは証ししています。

親にとって、子どもがどんな人生をたどるかは心配です。親はいくつになっても子どものことが心配のようです。「百越えて、なお道諭す 母も春」という俳句がある新聞の広報誌にだいぶ前に出ていました。恐らく、70代くらいの娘さんの句であると思いますが、句の横に、しわくちゃの手の写真が載っていたのです。何歳になっても、百歳になっても、親は子どものことが心配です。時には、心配しすぎることもあるかもしれません。反対に、子供が幸せな生活を送っていることを見ることほど、親にとってうれしいことはありません。

4〜6節のカギとなることばは、「歩む」ということばです。信仰生活が「走る」ということばで表されることもありますし、「歩く」ということばで表されることもあります。「聖霊によって歩む」とか、「信仰によって歩む」とか「光の中を歩む」という表現も聖書の中にあります。

「走る」ことと「歩く」ことを比べれば、走るほうがスピードがあり、大変です。歩くことはスピードは遅いですし、歩く事はさほど大変ではありません。しかし、歩き続けることは大変であり、時として困難がやってくるでしょう。走るのも歩むのも同じように前に向って進み、ゴールを目指して前進するのです。

人生の円熟期迎えたヨハネは、神の子供たちが真理のうちを歩んでいるのを知り、心から喜んでいるのです。この世には、様々な不正、偽り、矛盾が満ちています。詐欺が横行しています。苦難や誘惑があります。これらの背後に悪魔が働いています。真理である主キリストを信頼して歩む人生ほど確かな生涯はありません。
 
U.愛の内を歩む(5節)
 
 
第二に、信仰者が愛のうちを歩むことをヨハネは励ましています。

5節「そこで夫人よ。お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです」。>
 
A.初めからの命令
 
 
ヨハネは、ここで何か新しい命令、教えを与えていません。「初めからもっている」命令であると述べています。互いに愛し合うことは、最初からの教えであり、主キリストの命令でありました。主キリストは、ご在世の頃から、弟子たちに互いに愛するように繰り返し繰り返し教えられました。ヨハネの福音書15章12節を見ると、主キリストは「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです」とおっしゃいました。主は、弟子たちの足を洗うことによって、愛の模範を示し、十字架にかかることによって、愛を現わしてくださったのです。

ある方々は新しい物、流行を追い求めています。PCも、スマートフォンもどんどん新しい機種に変更されます。自動車、AIロボットもどんどん進化しています。洋服の流行も早いことです。古い流行おくれの物は、時代のニーズに適わないかもしれません。しかし、古くても大切なものもあるのです。「互いに愛する」という教えは、当初から主キリストが教えられた命令ですが、とても大切であり、常に繰り返し、繰り返し、反復して教えられる必要があるのです。
 
B.愛の実践
 
 
私たちは、どのようにして身近な場所で、互いに愛することを実践できるのでしょうか。愛は生活であり、愛は具体的です。愛は身近な人になされるのです。配偶者に、子供に、親に、兄弟に愛を実践することを神様は期待しておられますし、愛する力を与えてくださいます。愛するとは、相手に親切であるということです。そのためには、相手を思いやることが必要です。

人の陰口を言い、人を傷つけることばを避けましょう。確かに人の悪口を言えば、すっきりとして、ストレス発散になるかもしれませんが、神様に喜ばれません。相手を傷つけることになります。むしろ、人を励まし、建て上げることばを語りたいものです。周りの人を思いやり、主の恵みによって親切を実践しましょう。

現実には、愛することは難しいのです。その原因は、人間はしばしば身勝手であり、自己中心だからです。古い自我を、自己中心性を十字架につけて、きよめて頂く必要があるのです。神様は、信仰者が愛のうちを歩むことを願っておられます。
 
V.主の命令に従って歩む(6節)
 
 
第三に、主の命令に従って歩むことを神様は期待しておられます。6節「愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです」。
 
A.神の命令
 
 
神様を愛するとは、どのようなことを意味しているのでしょうか。神様は私たちの目に見えない霊的なお方です。ヨハネは、神様を愛するとは、神様の命令を守ることであると述べています。

人に命令されることは余りうれしいことではありません。上司の命令に従うことはいやでも従わなければならないでしょう。たとえば、十戒に「盗んではならない」という神様の命令があります。人の所有物を盗むと、相手から反発され、人間関係が悪くなってしまいます。お金が増えても、家族や近所の人との人間関係が悪くなることは決して幸福ではありません。神様の命令は必ず愛から出ています。私たちの幸いと祝福のために、命令を与えなさるのであって、単に私たちを束縛するためではありません。ですから、神様の命令を守ることは祝福であり、幸いなのです。
 
B.反抗期
 
 
子供の成長期に、反抗期と呼ばれる時期があります。親に命令されても、素直に従うのが難しいです。言われれば言われる程、反発する時期もあります。反抗期の頃の子供には、親の苦労や愛情が深く理解できません。私が中学生の頃、母親に文句を言いますと、「あんたが、親になったら、親の苦労がわかるから」と口癖のように言われたいたことを思い起こします。人は、そのような反抗期を乗り越えて、大人へと自立していくのでしょう。

信仰者も神様に対して霊的反抗期を通されることがありますが、そこを乗り越えて、自立した成熟した霊的な大人となることができるのでしょう。神様を愛するとは、神様の命令、戒めを守ることであると記されています。その命令とは、愛のうちを歩むことであると記されています。つまり、神様を愛することは、互いに愛することに他なりません。
 
終わりに(結論)
 
 
今朝は、ヨハネの手紙第二の1〜6節から「真理と愛の中を歩む」と言う題でみことばを語りました。

第一に真理に歩むことの祝福について語りました。

第二に、愛のうちを歩む幸いについて語りました。

第三に、主の命令に従って歩む確かさについて申し上げました。

私たちは、神様の無限の愛と恵みによって、救われ、生かされています。その幸いと特権を覚え、真理と愛のうちを歩み続けさせていただきましょう。真理と愛のうちを歩み続ける者を神様は必ず導き、支えてくださるに違いありません。
お祈りを致します。