礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2018年2月11日
 
「惑わす者に対する警戒」
ヨハネの手紙からのメッセージ(18)
 
梅田 昇 牧師
 
ヨハネの手紙第二 7-13節
 
 
[中心聖句]
 
  7   なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。
(ヨハネの手紙第二 7節)


 
聖書テキスト
 
 
7 なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。8 よく気をつけて、私たちの労苦の実をだいなしにすることなく、豊かな報いを受けるようになりなさい。9 だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。10 あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません。11 そういう人にあいさつすれば、その悪い行ないをともにすることになります。12 あなたがたに書くべきことがたくさんありますが、紙と墨でしたくはありません。あなたがたのところに行って、顔を合わせて語りたいと思います。私たちの喜びが全きものとなるためにです。13 選ばれたあなたの姉妹の子どもたちが、あなたによろしくと言っています。
 
建国記念日を迎えて
 
 
今日2月11日は、建国記念日です。国民の祝日に関する法律によりますと、建国の日とは「建国をしのび、国を愛する心を養う」日のことで、2月11日は初代天皇と言われている神武天皇の即位の日とされています。日本の起源がどこにあるかは定かではありませんが、健全な意味で国を愛することは信仰者にとりましても大切です。使徒パウロが勧告しましたように、信仰者は祖国と為政者のために祈ることを忘れてはならないでしょう。
 
ヨハネの手紙第二の執筆理由
 
 
先週、ヨハネの手紙の第二1〜6節から、「真理と愛の中を歩む」という題で、みことばを語りました。円熟したヨハネが、この手紙を書いた理由が、7節以下に記されています。「なぜお願いするかと言えば」とありますように、ヨハネがこの手紙を書いた理由を7節以下に見いだすことができます。惑わす者ということばが、7節に2回出てきます。英語ではだます人、欺く人、うそをつく人というような意味のdeceiverということばが使われています。どんな時代にも人を惑わす人々がいるのです。

渡辺勝弘先生が執筆された「わが足のともし火」という本に、初代教会が戦わなければならなかった3つの敵対勢力が挙げられています。

第一は、ユダヤ主義です。これは律法主義とも呼ばれて、パリサイ人のように律法を遵守することを強調する余り、信仰の本質が失われてしまいます。パウロ書簡では、律法主義の問題がしばしば論じられています。

第二は、迫害です。信仰者に対して外部からの社会的な圧力や政治的な迫害が加えられるようになりました。へブル人への手紙、ヤコブの手紙、ペテロの手紙は、迫害下の教会を励ますために記されたのです。

第三は、異端です。キリスト教的な教えをしながら、実は福音と異なる教えを伝える人々が存在したのです。ペテロの手紙第二、ヨハネの手紙、ユダの手紙は、こうした異端的な教えに警戒し、それらに正しく備えるように勧告がなされています。

今の時代、初代教会のような政治的な迫害は祖国にはありませんが、信仰のゆえに辛い経験をすることは多いことでしょう。律法主義と異端は、キリスト教会がどんな時代にも直面する課題です。私たちもパリサイ人のように律法主義に陥らないように、また、異端的な教えに惑わされてしまうことのないように、よくよく警戒しながら、信仰生活をたどる必要があります。

今朝は、ヨハネの手紙第二7〜13節を読んで頂きました。本書の執筆理由は、キリストの人格、人間性を否定する偽教師が暗躍していたので、それらに警戒するように勧告するためでした。また、多くの人を惑わす異端的な人々を警戒するあまり、兄弟愛が冷えてしまわないようにも注意を与えています。真の兄弟愛を実践することが異端から守られる道であるとも言えましょう。
 
T.偽教師の存在
 
 
第一に、偽教師の存在について警告がされています。

7節「なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです」。
 
A.惑わす人とは
 
 
惑わす人とは誰のことでしょうか? ヨハネは、主キリストが人として来られたことを否定する人々は人を惑わす者であり、反キリストであると記しています。このような人々は、グノーシス主義者と呼ばれますが、すでに何回か申し上げましたように、霊は善であり、肉体を罪深いと理解し、キリストの肉体、人間性を否定する異端的な人々が当時活動していたのです。
 
B.キリストに対する様々な評価
 
 
主キリストが地上におられた時から、いろいろな評価がありました。モーセという人もあれば、エリアの再来と言う人もありました。主キリストは弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と尋ねられると、ペテロが答えて言いました。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

キリストは神性を持つと同時に人性も持つという考え方は、451年のカルケドン会議で正式に採択されたと言われています。数百年にわたる祈りと論議の結果、得られたキリスト論は、「キリストは真の神であり、真の人である」ということです。つまり、キリストは人間性と神性の両方を矛盾なく混在することなくお持ちのお方です。

その点で、主キリストについて大きな誤りが二つあるのです。一つは、キリストの神性を否定する教えとキリストの人間性を否定する教えです。初代教会においては、まだキリスト論が確立しておらず、異端的な教えをする人々がいたのです。
 
C.グノーシス主義者たちの暗躍
 
 
ヨハネの時代に暗躍していたのは、グノーシス主義と呼ばれるキリストの人間性を否定する教えでした。ヨハネは、そのような人々を惑わす偽の教えに惑わされないように警戒のことばを書き送ったのです。どんな時代にも、今の時代にも、偽教師と間違った教えが横行していることを忘れてはなりません。
 
 U.偽教師に対する警戒
 
 
第二に、偽教師に警戒するようにということです。

8節「よく気をつけて、私たちの労苦の実をだいなしにすることなく、豊かな報いを受けるようになりなさい」。
 
A.労苦がだいなしになる危険性
 
 
警戒し、気をつけなければ、惑わされてしまうような巧みな教えが横行しているのです。農家の人は、田んぼを耕し、水を張り、5〜6月頃田植えをします。毎日のように水の量を点検し、稲の世話をします。しかし、いもち病にやられますと、葉が枯れ、収穫量が激減することがあるように、長い間積み重ねた労苦が、偽教師によってだいなしにされてしまうことがあります。

オレオレ詐欺はなかなかなくなりません。オレオレ詐欺とは被害者の家族を装い「今すぐお金が必要になった」などと言い、金銭をだまし取る行為を言います。家族だけではなく警察官を装ったり、複数の犯人が登場したりするなど手口が複雑化しており、騙されてしまう人が増えています。警視庁では、オレオレ詐欺や架空請求、還付金詐欺などを総称し「振り込め詐欺」と呼ぶようになりましたが、老後のために蓄えてきた大切なお金が、詐欺で奪われてしまうことはとても残念であり、憤りを覚える犯罪です。偽教師も私たちの人生をだいなしにしてしまう危険性をもっているのです。
 
B.どんな時代にも活動する偽教師
 
 
偽教師はどんな時代にも存在しました。旧約の時代には、偽預言者と呼ばれる人々が活動しました。神様に召されていないのに、自称預言者である偽預言者たちが活動していたのです。人々はしばしば偽預言者に惑わされたのです。

主イエス様の時代にも、偽預言者がおりました。マタイの福音書7章15節によると、主キリストは「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です」とおっしゃいました。偽預言者は立派そうに、親切そうに見えても、貪欲なオオカミのように、獲物を襲い、食べてしまうのです。彼らは良い実を結ばないのです。

マタイの福音書24章にあるオリーブ山の説教を見ますと、世の終わりには偽預言者が人々を惑わすと預言されています。確かに、今も様々な異端のグループが活動しています。キリスト教を名乗りながら、聖書と異なることを教えています。「異端」とは、漢字で「異なる端」と書くように、共通点が多いものの、端っこが異なっているのです。ある一部分を強調するのです。現代の異端の共通点は、主キリストの神性を否定することです。
 
C.偽教師に対する警戒を
 
 
私たちは異端の教えに惑わされないように気をつけるべきです。10〜11節「あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません。そういう人にあいさつすれば、その悪い行ないをともにすることになります」。10節のことばがどのようなことを意味していたのかわかりません。また、今日も文字通り実践したらよいのか定かではありません。やはり、私たちは今日の社会の中で、知恵深く、常識をもって振舞うことが大切でしょう。

私の経験では、異端の人と話しても、良い結果が得られず、時間と労の無駄になる場合が多いということです。昔のことですが、土曜日の忙しい日にやってきて、私をある異端グループに改宗させようと、何時間も何時間も話しかけてくるのです。ある程度で話を終わって、明日の説教の準備をしたいと思うのですが、なかなか解放してくれないのです。私も彼らを健全な信仰に導きたいと思いましたが、徒労に終わりました。10節にありますように、私たちは、さまざまな異端の教えに惑わされないように、注意と警戒が必要です。
 
V.キリストの教えに留まる生活
 
 
第三に、キリストの教えに留まるように勧告しています。

9節「だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は御父をも御子をも持っています」。
 
A.行き過ぎの警戒
 
 
行き過ぎとは、決められた枠を超えていると言う意味です。自信を持つことは大切ですが、自信過剰は危険です。「ちょっと位お酒飲んでも大丈夫だ」と過信して運転することはととても危険です。しつけは大切ですが、行き過ぎた体罰は、児童虐待防止法に抵触する恐れがあります。あるパリサイ人のように、安息日を清くすることは大切ですが、日曜日に500メートル以上歩いではならないなどと教えるのは行き過ぎです。主キリストに従うことは大切ですが、そのために財産を投げ出し、家族を捨てるように教えることは行き過ぎの教えです。
 
B.キリストの教えに留まる大切さ
 
 
人を惑わす教えがはびこっているかもしれませんが、大切なことはいのちの源である主キリストに留まり続けるということです。アンドリュー・マーレーが書いた『キリストに留まりなさい』という本がありますが、キリストに留まり続けることが間違った教えから守られる道です。キリストに留まる人は、キリストの教えに留まるのです。キリストの愛の教えに留まるのです。

1)主キリストが神の独り子であり、救い主であることを認めること。
2)主キリストが救いのためにすべてのわざを完成してくださった事を信じること。
3)私たちを導き支えて下さるキリストなるお方を信頼して歩むこと。
 
C.祈りとみことばによって
 
 
主キリストの教えに留まり続けるために大切なことは何でしょうか。お祈りとみことばです。キリストの教えに留まるために、私たちが日々、神様のみことばに養われ、神様のことばに生かされていることが求められます。

最近は、自己流の食事制限ダイエットなどが原因で、新型栄養失調となっているケースがあると専門家が指摘しています。食事がファストフードに偏っていたり、同じものばかりを食べているケースも新型栄養失調をもたらす心配があります。若い女性だけでなく、子どもや中年世代の一部の人にも見られる傾向だそうです。こういった場合、カロリーは足りているのに、タンパク質やビタミン、ミネラルといった特定の栄養素が不足していて、「新型栄養失調」と言われています。栄養失調にならないためにはバランスよく、食事を取ることです。神様のことばも同じです。聖書のことばをバランスよく読み、みことばから霊的な栄養を受け続けることが大切です。

12節「あなたがたに書くべきことがたくさんありますが、紙と墨でしたくはありません。あなたがたのところに行って、顔を合わせて語りたいと思います。私たちの喜びが全きものとなるためにです」。ヨハネは、直接訪問して、語りたいと願っていました。そして、顔と顔をあわせて語るとき、ヨハネは喜びが溢れることを確信していたのです。自分のこどもが真実な生涯を送っていることを見ることほど、うれしいことはありません。ヨハネは、彼らの信仰によって喜びが溢れることを信じていたのです。教会の方々にどんな困難があっても、主の祝福の中に歩んでおられることを知ることほど牧師にとって、うれしいことはありません。

13節「選ばれたあなたの姉妹の子どもたちが、あなたによろしくと言っています」。

最後にこの手紙を読む方々に姉妹の子供たちからの挨拶のことばを書いて、このヨハネの手紙第三は締めくくられています。
 
終わりに(結論)
 
 
今朝は「惑わす者に対する警戒」と言う題で、みことばを語りました。

1.偽教師が活動し、福音と反する異端的な教えが今の時代もはびこっています。

2.私たちは、教えの風に窓わされず、いのちの源である主イエス様に留まり続けようではありませんか。

3.主キリストに留まり続ける者に対して、主は豊かないのちと実り豊かな人生を与えてくださいます。

お祈りを致します。