礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は 新改訳聖書2017(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2018年5月6日
 
「あなたのこどものために」
教会学校の働きを覚えて
 
梅田 昇 牧師
 
哀歌 2章 17-19節
 
 
[中心聖句]
 
  19   あなたの幼子たちのいのちのために、主に向かって両手を上げよ。
(哀歌 2章 19節)


 
聖書テキスト
 
 
17 主は計画したことを行い、昔から命じていた自らのことばを成し遂げられた。滅ぼして、容赦せず、あなたのことで敵を喜ばせ、逆らう者の角を高く上げられた。18 彼らは主に向かって心の底から叫んだ。娘シオンの城壁よ、昼も夜も、川のように涙を流せ。自分に休みを与えるな。あなたの瞳を休ませてはならない。19 夜、見張りの始まりに、立って大声で叫べ。あなたの心を主の前に、水のように注ぎ出せ。あなたの幼子たちのいのちのために、主に向かって両手を上げよ。彼らは街頭のいたるところで、飢えのために衰えきっている。
 
教会学校強調礼拝を迎えて
 
 
昨日はこどもの日でした。こどもの日の起源は奈良時代にさかのぼるようですが、江戸時代に5月5日は、古く男の子の誕生を祝ってのぼりを立てる行事と端午の節句がと結びついたようです。

今日は、教会学校に焦点を置いた礼拝で、教会学校の働きは、1780年頃英国で始まり、印刷業を営むロバート・レイクスが始めたと言われています。当時、労働力として酷使されていた子どもたちに、全人格的な教育を施すため、職業訓練を身につけさせ、人間のあり方を習得させることを目指したのです。学校教育が進むに従い、知識や技能は週日の学校で、人格教育は日曜日の教会学校で行われるようになり、世界中に拡大していきました。日本にも明治時代に来日した宣教師たちによって、教会と教会学校が同時に設立された例が多いようです。教会の将来を担う大切な教会学校の働きです。

今は、少子化の時代であり、教会学校の働きが全国的に見て、困難であると言われている中で、教会学校の先生方が重荷を持って奉仕をしてくださり、主が働きを支えていてくださることを感謝しています。ダイヤモンドのように輝くすばらしい子供たちの一人一人のことを思い、その背後におられるご両親のことを考え、また、大きな犠牲を払って奉仕をしていてくださる教会学校の先生方のことを覚えつつ、讃美歌を聞きますと感謝の思いが私たちの心に溢れます。

今朝の教会学校強調礼拝の意義は何かと言いますと、教会の方々に、青年会、親世代のナザレ会、ベタニヤ会、祖父母世代の婦人会、恒励会の方々に、教会学校の働きの大切さを知り、祈って頂き、可能なサポートをして頂きいということです。
 
哀歌について
 
 
今朝は、哀歌2章をお開きしました。エレミヤは祖国の滅亡を目撃し、苦難と悲しみを経験した人物で、涙の預言者と呼ばれます。エレミヤ書52章に、エルサレム滅亡の記事が記されていますが、哀歌とは英語でLamentationという名称で、悲しみの歌という意味で、エルサレム滅亡の悲哀を歌った哀悼歌です。紀元前2〜3世紀頃、70人訳聖書と呼ばれるギリシャ訳の旧約聖書が作られた時、哀歌に序文が付けられたそうです。「さて、イスラエルの民が捕囚として連れ去られて、エルサレムが荒廃した後、エレミヤは、座して泣き、エルサレムに対してこの哀歌をもって嘆いて言った」。その嘆きがこの哀歌というのです。バックスターという聖書学者は哀歌について「哀歌は、墓地で書かれた悲しみの歌と呼ばれている。紀元前589年のバビロン人によるエルサレムの破壊と屈辱について書かれた追悼の歌である。悲しみの涙、涙の川、すすり泣きの海である」と説明しています。

神様の厳粛な裁きを受けて、栄光に満ちた神の都エルサレムが破壊され、人々の生活は悲惨な状態となっていたのです。生活の中心である神殿でさえも破壊されてしまいました。昔、契約の箱が奪われ、神の栄光が去ってしまった悲惨なイスラエルの状態のようです。

哀歌の内容は、次のように整理できましょう。

 1章:エルサレムの荒廃
 2章:主の怒り
 3章:エレミヤの悲しみ
 4章:民の苦境
 5章:エルサレムのための祈り

哀歌2章において、エルサレムの厳しい現状は、神様の裁きの結果であるとエレミヤは語っています。1〜19節には、預言者エレミヤの嘆きとエルサレムに対する勧告が記されています。そして20〜22節には、エレミヤの祈りが記されています。今朝の聖書箇所には、エルサレムの人々が現状を理解して、どのようにすべきかの勧告がなされています。
 
T.こどもたちの現状
 
 
まず第一に、こどもたちの現状について認識するようにということです(11〜16節)。預言者エレミヤが、目の前の現状に目を向ける時、深い悲しみと悲嘆に包まれたのです。11〜12節には、子供たちが苦しんでいることが記されています。11節「私の目は涙でつぶれ、私のはらわたは煮え返り、私の肝は、私の民の娘の傷を見て、地に注ぎ出された。幼子や乳飲み子が都の広場で衰え果てている」。幼児たち、乳飲み子たちが食べ物も十分に与えられずに、栄養失調の状態で衰え果てていると記されています。

いつの時代には、子供たちは弱い立場であり、被害者になる場合が多くあります。イラクやシリアの紛争地域の映像を見ると、家を失ったり、親を失ったり悲惨な環境で過ごしている子供たちは少なくありません。日本では、食べ物で困っている子供は少ないでしょう。文部科学省では「ゆとり教育」を見直し、「総合学習」のクラスを始め、授業時間が増えていると聞いています。ころころ教育方針を変わったのでは、子供たちがかわいそうだと思います。少子化と呼ばれても、受験競争はなかなかなくなりません。陰湿で、深刻ないじめは、なかなかなくなりません。子供たちが安心して遊べる公園や場所が少なく、ゲームにはまりすぎていることも残念に思います。子供を囲む今の環境は、大変厳しい時代です。
 
A.エルサレムの現状
 
 
13節「エルサレムの娘よ。私はあなたを何にたとえ、あなたを何になぞらえよう。おとめ、シオンの娘よ。私は何にあなたを比べて、あなたを慰めることができよう。あなたの傷は海のように大きい。だれがあなたをいやすことができよう」。エルサレムの住民は、家を破壊された人、また家族、親戚を殺害された人、バビロンに家族を連れて行かれた人もあったことでしょう。癒えることのできないような深い傷を受け、悲しみの中にいたのです。バビロンの軍隊の来襲とエルサレムの滅亡の出来事が、心のトラウマになっていた人もあったことでしょう。

建物が破壊され、町が廃墟となっているという環境的な逆境であるだけでなく、精神的に、霊的に絶望的な状態に陥っていたのです。13節の最後に「あなたの傷は海のように大きい。だれがあなたをいやすことができよう」とありますが、それは心の傷ということでしょう。癒されることが難しいほどに、人々は傷つき、疲れ、絶望していたのです。
 
B.偽預言者の横行
 
 
それに加えて、当時、偽預言者が横行していたようです。14節 「あなたの預言者たちは、あなたのために、むなしい、ごまかしばかりを預言して、あなたの捕われ人を返すために、あなたの咎をあばこうともせず、あなたのために、むなしい、人を惑わすことばを預言した」。偽預言者が横行し、気休め的な教えを語り、罪を正しく糾弾しない預言者がいたのです。「悔い改めなさい」という代わりに、「運が悪い」「大丈夫、大したことないから」というような気休め的なメッセージを彼らは語っていたのです。

真の預言者は、「神様は、こう語っておられる」と神様の真理をまっすぐ大胆に語るのです。預言者は人々に真理を伝えるだけでなく、その真理の中に生きていく必要があるのです。今の時代にも、偽りの宗教家たちが活動しています。キリストの名を使いながら、不道徳を行なう異端的なグループの存在は、本当に嘆かわしいことです。キリスト教を名乗りながら、福音と異なる教えを伝えている異端グループが活動しています。私たちは、偽預言者、偽教師に警戒する必要があります。
 
C.敵の嘲笑
 
 
人々がエルサレムの人々をあざ笑い、「昔は、あんなに美しかったのに、何だ。今の現状は惨めなことか」と嘲笑しているのです。15節をご覧下さい。「道行く人はみな、あなたに向かって手を打ち鳴らし、エルサレムの娘をあざけって頭を振り、『これが、美のきわみと言われた町、全地の喜びの町であったのか。』と言う」と。敵が勝ち誇り、神の民を嘲り、ののしるような厳しい状況の中に、イスラエルの民、そして子供たちもいたのです。
 
U.神様のご計画
 
 
第二に、すべてのことに、神様のご計画であることということです(17節)。17「主は企てたことを行ない、昔から告げておいたみことばを成し遂げられた。滅ぼして、容赦せず、あなたのことで敵を喜ばせ、あなたの仇の角を高く上げられた」。
 
A.神様は真実なお方
 
 
神様は、計画されたことを必ず実現される真実なお方です。旧約聖書に預言されたことが新約聖書の時代に成就しました。「主は企てたことを行ない」とありますが、「主は〜された」という表現が、30回もこの哀歌に出てきており、イスラエルはバビロンに敗北しましたが、その中にも、神様は働いておられた事実をエレミヤは強調しているのです。エルサレムが滅亡することは、人々にとって苦痛であり、悲しみですが、神様はしばしば人に理解できない大きなご計画をもって事を進めておられたのです。
 
B.神の期待
 
 
エレミヤは、目の前に広がる惨状、人々の厳しい生活、子供たちの悲惨な姿を見ながら、単に絶望しているのではありません。ご計画をもって導いておられる神様に心を向けているのです。子供たちの姿を見て、置かれた時代が難しく、単に嘆いただけでは意味がありません。神様が一人一人に目を注いておられ、その将来に大きな期待をもって見つめておられます。神様は、子供たち一人一人に期待し、すばらしいご計画をもっておられます。
 
V.祈りの大切さ
 
 
第三に、祈りの大切さについてです(18〜19節)。
 
A.涙をもって祈る
 
 
18節「彼らは主に向かって心の底から叫んだ。シオンの娘の城壁よ。昼も夜も、川のように涙を流せ。 ぼんやりしてはならない。目を閉じてはならない」。経済的に恵まれ、便利になった今の時代。しかし、愛が冷たくなり、人間関係がギスギスなってしまった殺伐とした時代。犯罪が増加し、疑いと緊張を持って生活せねばならない不安な時代。愛と平安を見いだす方々が更に起こされるように私たちのまわりにおられる方々のために忍耐をもって祈り続けましょう。子供たちの救いと祝福を祈りましょう。
 
B.心注ぎだした祈り
 
 
19節「夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている」。エルサレムが荒廃し、子供たちも弱りはてて、苦しんでいることを覚え、子供たちのために注ぎだして祈るようにエレミヤは、勧告しています。しばしば、子供たちは、時代の恩沢を受けることもありますが、時には被害者でもあります。

ある人が親には二つの責任があると言いました。一つは、良いことをした時にそれを認めて、褒めること。もう一つは、悪いことをした時にきちんとしかること。もう一つ付け加えると、子供のために祈ることも親の大切な責任です。難しい環境の中にいる子供たちのために祈るように、「あなたの幼子たちのために祈りなさい」とエレミヤは励ましているのです。有名な神学者アウガスチヌスの告白という本の中に、「涙の子は滅びない」という言葉があります。息子は、長年神様から離れ、放浪の人生を送っていました。敬虔な母モニカが息子のためにあきらめないで祈り続けたときに、放蕩息子を回心へと導いてくださったのです。そして、後に西方教会の最大の神学者となったのです。
 
C.教会学校運動の展開
 
 
教会学校運動を始めたのは、イギリスの新聞記者であったロバート・レィクスであったことが週報に記されています。産業革命が始まった18世紀後半の英国には、様々な問題が起こっていました。女性たちや子供たちが長時間労働をさせられ、搾取されていたのです。貧富の差が大きくなり、学校にも行けない子供たちが多くあることを知ったロバート・レィクスは、一般的な課目と聖書を教える学校を始めたのです。希望を持てない子どもたちに、希望が与えられ、彼の働きは英国の各地に広がっていったのです。後に、教会学校運動として、世界中のキリスト教会に広がっていったのです。

今の子供たちの置かれた環境は、困難な状態です。子供たちが生活する環境は理想ではありません。親としての使命感と正しい価値基準を持たない親が多いことです。そのために虐待、DVが行なわれたり、反対に甘やかし、過保護な親も多いことです。また、交通事故や犯罪も多いので、子供たちが自由に遊べる場所、公園などが少ないことです。また、年令が上がるに連れて、受験競争の荒波にもまれて成長します。19節「あなたの幼子たちのために祈れ」とエレミヤは涙ながらに訴えました。人々は、苦悩の中から、神様の哀れみを求めて、叫び、祈ったのです。どうぞ、教会学校の先生方のために、また、子供たちのために、またご両親の上に、主の助けが注がれますように祈っていただきたいのです。
 
終わりに(結論)
 
 
今朝は、「あなたのこどものために」という題で、教会学校の大切さについてお話をしました。

1.3章には、暗雲にかかる虹のように神への信頼と希望が述べられています。「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む」(哀歌3:22〜24)。

2.主のあわれみと愛を覚えながら、子供たちのために、神様をご存じない方々のために祈り続けようではないか。

3.教会学校の教師と生徒たちのために祈り、支援する教会員でありたい。

お祈りを致します。