礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は 新改訳聖書2017(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2018年5月13日
 
「結婚の奥義」
創世シリーズ(4)
 
梅田 昇 牧師
 
創世記 2章 18-25節
 
 
[中心聖句]
 
  24   それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。
(創世記 2章 24節)


 
聖書テキスト
 
 
18 また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」19 神である主は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。20 人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。21 神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。22 神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。23 人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」24 それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。25 そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。
 
母の日に関して
 
 
今朝は母の日です。今朝の礼拝に出席しておられる方々は皆、母親から生まれました。母親なしに、存在している人はだれもありません。母の日の起源が週報に記されていますが、私たちを生み、育ててくれた母親に感謝を表わすことは神様に喜ばれることです。私たちの母親は聖母マリアのような理想的な母親ではないかもしれませんが、母親の愛と犠牲を覚えて、感謝する心は大切だと思います。
 
創世記2章に見る神様の贈り物
 
 
この朝は、創世記2章18〜25節に心を向けたいと願っています。パジェット・ウィルクスは、「創世記2章には、神様が人間に与えられたものが6つある」と述べています。

(1)神様は、人間に肉体とともに、霊的いのちを与えてくださいました。7節をみると人間にいのちの息を吹きこまれたのです。つまり、人間だけが神様を知り、神様と交わることのできる霊的存在として造られたのです。

(2)神様は、生活する場所、エデンの園を備えてくださいました(8−14節)。園には美しい草花が咲き乱れ、園を潤すために、4本の川が流れていたのです。チグリス、ユーフラテス川について言及されていますので、エデンの園は、現在のイラクにあったであろうと考える人もありますが、いずれにしても正確な場所はわかりません。

(3)更に、神様は人間になすべき使命、仕事を与えてくださいました。15節を見ると、エデンの園を耕し、そこを管理する勤めです。神様は使命のために人を創造されたのです。

(4)神様は、人間に選択の自由を与えてくださいました。2章16−17節をみると、神様が最初の人アダムとエバに与えられた命令、律法について記されています。神様は「あなたは園のどの木から取って食べても良い。しかし、善悪の知識の木から取って食べてはならない。それをとって食べる時、あなたは必ず、死ぬ」とおっしゃったのです。神様が禁じられた実を食べるか、食べないか、選ぶ選択の自由を与えられたのです。

(5)神様は人間に理解力、判断力を与えてくださいました。19節を見るとアダムは、動物や生き物に名前をつけたのです。動物や自然界を支配する能力を与えてくださったのです。

(6)最後に、神様は完全な配偶者を与えてくださいました(18節)。人のためにふさわしい助け手がなかったので、神様はエバを、アダムのあばら骨から創造されました。エバが、アダムの頭からでもなく、足からでもなく、あばら骨から造られたということは、エバがアダムの伴侶者、パートナーとして造られたということでしょう。

創世記2章18−25節には、人類歴史の中での最初の結婚の出来事について、記されています。不倫や浮気が増加し、最近の傾向として、先進国を中心に離婚が増加傾向にあり、家庭が危機の時代を迎えていると評論家は述べています。家族機能不全の時代だとも言われます。私たちは神のことばである聖書から学び、神様に祝された結婚生活、家庭生活を辿らせていただきましょう。

人生にはいろいろな出会いがありますが、結婚相手との出会いほど大切なものはありません。結婚されて歳月を重ね、銀婚式、金婚式を越えられた方々もありますし、結婚して間もない方もありますし、これから結婚される方もあります。独身の方々も結婚について理解して頂く必要があると思います。

この朝は、「結婚の奥義」という題で、神様のことばをお伝えいたします。「奥義」(mystery)とは、神様の啓示によって明らかにされた真理という意味です。神様は聖書を通して結婚の意義、結婚のあり方について、私たちに明らかにしておられるのです。
 
T.結婚の起源
 
 
第一に、結婚の起源がどこにあるかを考えてみましょう。

18節「また、神である主は言われた。『人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう』」。結婚という制度がどのように始まったかと言えば、神様が結婚という制度を始めてくださったのです。最初のカップルはアダムとエバです。創造の際、男と女に人を創造されたときに、神様は結婚の制度を定めておられたのかはわかりません。

覚えたいことは結婚という制度は神様が始められたものであるということです。これから結婚される方々も次々とあることでしょうが、信仰者として、神様のみこころを祈って結婚に導かれることは素晴らしいことだと言えましょう。
 
U. 結婚とは何か
 
 
つまり、私たちは配偶者をどのように捉えたらよいのでしょうか。
 
A.神様からの賜物
 
 
配偶者は神様からの賜物です。18節に「わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう」と神様はおっしゃいました。愛の神様はアダムをご覧になって、助け手が必要であると思われたのです。

恐らく、完全な、欠点のない配偶者はいません。いっしょに生活しますと、いろいろと配偶者の欠点が見えてくるかもしれません。「結婚する前は、両眼を大きく開いて見よ。結婚してからは、片目を閉じなさい」と格言があります。「結婚は鳥かごのようなものである。外にいる鳥たちはやたらに中に入ろうとし、中の鳥たちはいたずらにでようともがく」とモンテニュ-は述べました。結婚についていろいろな皮肉めいたことも言われますが、結婚生活には確かに甘いことばかりではなく、さまざまな問題が起こったりする厳しい現実もあります。

結婚生活が長くなりますと、感謝の心が薄れ、不平、不満が募ってくることがあるかもしれません。性格の違い、考え方の違いに気づくこともしばしばです。しかし、すばらしい配偶者であっても、欠点の多い配偶者でも神様からの賜物であることを覚え、神様から与えられた大切な存在であるという自覚と尊敬をもって生活を送りたいものです。
 
B.人格的交わり
 
 
神様は人格的な交わりの対象として、配偶者を備えてくださったのです。18節には「人がひとりでいるのは良くない」とあります。アダムは当初孤独でした。孤独は望ましくありませんし、孤独に耐えることはとても辛いことです。人は人格的な交わりを求めるのです。

いろいろなタイプの夫婦があります。よくしゃべる夫に無口な妻。反対によくしゃべる妻と無口な夫。両方ともよくしゃべる夫婦。両方とも無口の夫婦。いろいろなタイプがあるでしょうが、人格的な交わりが大切でしょう。わたし父は大変無口でおとなしい人で、母はおしゃべりが上手で、社交的な人でした。夜、布団に入ってから両親がいろいろと話をしていたように記憶しています。

以前86歳の妻が90歳の夫を殺害するという痛ましい事件がありました。調べに対して、妻は「お互い耳が遠く、大声で話すうちにたびたびけんかになり、よくたたかれた。いなくなればよかった」と供述したそうです。耳が不自由になれば、確かに会話が大変になりますが、耳は充分に聞こえるのに、充分な会話、コミュニケーションが取れていないのは残念なことです。

自分の言いたいことだけしゃべって、相手の言うことを全然聞かないというのでは、人格的な交わりとは言えません。コミュニケーションは相互の意見の交換です。特に難しいのが相手の話を聞くことです。相手の話を聞くには、忍耐が必要であることを覚えます。神様は人格的交わりの対象として、配偶者を与えてくださったのです。
 
C.助け手・パートナー
 
 
18節によると、神様はアダムの助け手として、エバを作ってくださいました。日本語では「助け手」となっていますが、ヘブル語のことばは、エゼルということばで訳すのが難しいことばです。NKJVでは、helper, Today's English Versionでは、a suitable companionという訳語が用いられています。パートナーということばはいいですね。パートナーとは協力者, 相棒, 仲間、つれあい, 配偶者ということです。

妻は、夫の助け手、パートナー。夫は妻の助け手、パートナーです。夫と妻は、家庭建設の協力者であり、苦楽を共にする仲間なのです。夫と妻が互いの欠けを補い合い、助け合ってこそ、良い家庭が築かれていくことでしょう。夫が順調で有頂天になっている時に、妻が足を地に付けて落ち着いて進むようにアドバイスすることがあるでしょう。妻ががっかりし、気落ちしている時、夫が励ますことができるのです。子育ての実務は母親があたることでしょうが、父親ができる協力があるのです。子育て、家庭建設は夫と妻の共同作業なのです。互いに足を引っ張り合うのではなく、主の助けと恵みにより、夫と妻が互いに支え合い、互いに助け合って家庭を築いていくことができたら幸いです。
 
V.結婚の奥義
 
 
第三に、結婚はどうあるべきかということについて、みことばを学ばせていただきましょう。

24節「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである」。まさに、結婚の奥義について記されていると言えましょう。このみことばは、新約聖書にもしばしば引用されています(マタイ19:5、マルコ10:7−8、エペソ5:31〜33節)。エペソ人への手紙5章31〜33節「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。それはそれとして、 あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。 妻もまた、自分の夫を敬いなさい」。興味深いことに、パウロは夫と妻の関係をキリストと教会の関係と捉えているのです。夫は妻を愛し、妻は夫に従うという麗しい関係のように、主キリストと教会の関係があるのです。

聖書は結婚の奥義について何を教えているのでしょうか?
 
A.離別
 
 
結婚とは、父母から精神的に経済的に独立して配偶者と心身ともに結ばれて一つとされることです。結婚の条件は、「父母から離れる」ことです。これは場所や経済的な独立だけでなく、精神的な自立を意味しており、精神的自立は、結婚の前提です。つまり、結婚したら、両親よりも、配偶者を優先するということです。同居していても、精神的な自立は可能です。別居していても、精神的に親に依存していることもありえます。
 
B.愛
 
 
夫婦の間で、互いの愛が求められます。24節に「妻と結び合い」とありますが、妻と結ばれるために、配偶者を許し、受け入れあうことが不可欠です。互いの愛が本当にあれば、夫婦の関係はうまく行くはずですが、人は自己中心であり、思いやりと愛情が乏しいことが問題です。神様から離れた罪人にとって、人を愛することは、難しいことですが、キリストの十字架によって、本当の愛を教えて頂きました。聖霊によって注がれる神様の愛を増していただき、家族を愛し、家族のために祈り続ける者であらせて頂きましょう。私たちは、家庭生活の中で、愛することのすばらしさ、難しさを教えられるのです。結婚式は1日だけですが、結婚生活は数十年にわたる長期戦です。「家庭は愛の学校である」と言われますが、聖霊によって注がれる主の愛を私たちの心に注いで頂きたいものです。
 
C.一致
 
 
祝された夫婦生活に必要なものは、一致です。創世記2章24節を見ると「ふたりは一体となる」と記されています。夫婦とて、性格や考え方は違います。男性と女性では、根本的な違いがあります。神様は人を男と女に創造されましたが、男性と女性には様々な違いがあります。

まず肉体的に違います。男性の肉体は筋肉質で、女性の方が一般的には、柔らかい体を持っています。心理的にも男性と女性では全く違うのです。「男性は考えていることをしゃべり、女性は感じていることを話す」と述べた人がありますが、物の見方、感じ方、視点が男性・女性の間で全く違うのです。

精神的な必要も男女の間で異なります。ジョナサン・ベネディクト氏は、『ふたりのために』と言う本の中で、「女性は、実に話すことが得意で、会話したいという願いがあるだけでなく、その必要があるのです」と述べています。夫は緊張した仕事から帰宅して、ゆっくりしたいと思いますが、妻は一日の出来事を沢山、夫にしゃべりたいという願いがあり、夫婦の違いの中で、しばしば不満、緊張が生じることがあるのです。不満、ストレスが生じて、激しい夫婦けんかになる場合もあります。

配偶者との違いを認め合い、受け入れ合って初めて、楽しく共に生活することができるのです。夫婦の違いをよく理解した上で、十分なコミュニケーション、会話を保つことが幸せな円満な家庭生活の秘訣なのです。

しかし、よく話し合い、相談しあって、心の一致をもって生活することは、円満な幸せな家庭の姿です。信仰を持っておられない配偶者のために忍耐と信仰を持って、祈り続けることは神様の御心です。クリスチャン・ホームだからと言って、問題がないわけではありません。信仰者同士でも考えが異なり、ぶつかってしまうこともあります。しかし、意見が異なっても、祈りあうことができ、共有できる原点があることは大きな祝福であります。
 
D.信頼
 
 
25節を見ますと、「そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった」とあります。エデンの園で、アダムとエバは裸でした。何も隠す必要がなく、完全な信頼があったということでしょう。彼らは何にも隠す必要がなかったのです。夫婦にとって信頼関係はとても大切です。特に、お金の使い方、異性関係などにおけるウソや隠し事は夫婦生活を破壊します。夫婦の間で、ウソをついたり、何にも隠し事をしないこと、何でも相談しあうことができる信頼関係に満ちた生活こそ、祝された結婚生活の秘訣です。
 
終わりに(結 論)
 
 
今朝は人類最初の結婚の記事から、「結婚の奥義」という題でみことばを語りました。

1.結婚という制度は神様によって定められました。

2.配偶者は神様からの賜物であり、パートナーです。互いに尊敬と感謝を持って接したいものです。 

3.離別、愛、一致、信頼という聖書の教える結婚の原則を正しく理解しつつ、神様に祝された結婚生活、家庭生活を送れるように、主を見上げてこの週をスタートさせていただこうではありませんか。

お祈りを致します。