礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は 新改訳聖書2017(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2018年6月3日
 
「罪の始まり」
創世シリーズ(5)
 
梅田 昇 牧師
 
創世記 3章 1-16節
 
 
[中心聖句]
 
  6   そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
(創世記 3章 6節)


 
聖書テキスト
 
 
1 さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」2 女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。3 しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」4 すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。5 それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」6 そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。7 こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。8 そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
9 神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」10 彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」11 主は言われた。「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」12 人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」13 神である主は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」14 神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。15 わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」16 女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」
 
5月を守られて
 
 
今年も5か月の歩みを守られて、6月第一聖日を迎えました。振り返りますと、5月にはCS強調礼拝、ペンテコステ礼拝、洗礼式がありました。健康的な戦いの中を通過された方があり、また健康を回復された方々もあります。ひと月の歩みを守られたことを感謝し、心から神様を礼拝して、今月の良きスタートさせて頂きたいと願っています。
 
聖書は罪の歴史
 
 
新聞を読んだり、ニュースを見たりしますと悲しい事件、恐るべき犯罪が毎日のように起こっています。私たちの社会には、詐欺や横領、家庭内事件、幼児虐待、暴行、殺人などさまざまな悲劇や不幸が起こっています。事件のない日は恐らくないというほど、事件は日々頻発しています。「なぜ、悪や犯罪が存在するのだろうか。なぜ、不幸や悲惨さが起こり、理想社会が来ないのだろうか」と考えさせられます。実はその根本原因が創世記3章に記されているのです。

聖書は全部で66巻の書から成り立っています。旧約聖書929章、新約聖書260章で、全部で1189章あります。わかりやすいように聖書の歴史を表にしてみました。創世記3章において、罪が初めて人間の生活に入ってきたのです。聖書の最後の黙示録21章を見ますと、凡ての罪は裁かれ、新しいエルサレム、天国の光景が記されています。つまり、聖書の最初の2章、聖書の最後の2章には、罪がないのです。創世記3章から黙示録20章にかけては、人間の罪の歴史が記録されていると言っても過言ではありません。聖書1189章の中で、1185章に人間の罪の様々な働きや影響が記録されているのです。そのような点で、創世記3章は聖書全体を理解するためにとても重要な章であると言えましょう。何度も何度も私たちが読むべき大切な真理が記されています。

創世記3章に、最初の人アダムとエバが罪を犯したことが記されています。
 
T.罪の起源(1−5節)
 
 
まず第一に、なぜ罪が始まったのか、罪の起源について見てみましょう。
 
A.サタンの存在
 
 
1節「さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。『園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」エデンの園で最も狡猾な蛇が最初の人アダムとエバを誘惑してきたというのです。創世記3章1節に登場する蛇の正体は、悪魔だと考えられます。

先ず聖書は、サタンの存在とその働きについて教えています。悪魔とは一体どのような存在なのでしょうか。ペテロへの手紙第一5章8節に「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」とあります。サタン、悪魔は人間の敵であり、神様の反逆者と言われています。サタンは何とかして神様の働きを妨害し、破壊しようと必死に活動しているのです。

聖書はサタンの起源についてはっきりと教えていません。ある聖書学者は、「サタンは、堕落した天使、ルシファーである」と教えます。天使は神様に創造された被造物ですが、神様の地位を奪おうとしたのですが、そんなことは許されません。その結果、高慢な天使は天上から追放され、地上に落とされ、サタンとなり、神様に反逆する霊的存在となったというのです。

聖書学者バークレーが悪魔について語りました。「聖書の中では、悪魔の起源について、論議も憶測もされていません。目が覚めて、家が火事になっているのに気がついたら、火事の原因について論文を書いたりしないで、早く火を消そうとするでしょう。聖書は、悪魔の起源について憶測をしないで、現在働いている悪魔とどう戦うかについて教えているのです。」 サタンの起源ははっきりとわかりませんが、サタンが活動していることは否定できない現実です。
 
B.サタンの誘惑
 
 
アダムとエバは、サタンの誘惑を受けて、神の戒めを破り、禁断の実を食べ、罪を犯しました。それ以来、サタンは神様と教会の働きを攻撃し、破壊するために働き続けてきたのです。マタイの福音書4章を見ると、神の子主キリストも悪魔から誘惑を受けられたことが記されています。主キリストは3回、誘惑を受けられたのです。

@肉体的、物質的誘惑:サタンは、40日40夜、断食され、ペコペコにお腹の空いた主キリストに「あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい」と誘惑しました。誘惑は食欲、性欲などの肉体的な欲望を通してやってきます。

A知的、精神的誘惑:次にサタンは、主キリストを神殿の頂きに連れて行き、「あなたが神の子なら、神殿の頂きから飛び降りでみなさい」と言って誘惑をしました。

B霊的誘惑:最後にサタンは、この世の富と栄華を見せて、主キリストに「もし私をひれ伏して拝むなら、これをあなたに全部差し上げましょう」と言いました。 主キリストは、神の言葉を使って3回とも悪魔の誘惑を退けられたのです。今日、悪魔は神様の働きを妨げるために、あらゆる場所で働いているのです。コリント人への手紙第二11章14−15節を見るとサタンは、光のみ使いのように私たちに近づいてくることを指摘しています。サタンは、目には見えませんけれども、非常に巧妙に甘いことばをもって、信仰者を誘惑してくるのです。
 
C.神のことばに対する疑い
 
 
1節において、悪魔である蛇のことばは、「神は本当に言われたのですか」と声をかけました。サタンは、神のことばを疑わせるのです。

2章17−18節をみると、神様が最初の人アダムとエバに与えられた命令、律法について記されています。神様は「あなたは園のどの木から取って食べても良い。しかし、善悪の知識の木から取って食べてはならない。それをとって食べる時、あなたは必ず、死ぬ」とおっしゃったのです。神様のことばを否定して、サタンは4節に「あなたがたは決して死にません」と神のことばに疑いを持たせ、アダムたちを誘惑してきたのです。

サタンは、私たちに疑いや不信感を与えて、誘惑するのです。「神が愛なら、なぜ、この世界に不幸や自然災害があるのだろうか」「神様は、病気のために祈っても、本当にお祈りに答えて下さるのだろうか」「神様を信じなくても、人生は大丈夫ではないか」というように、様々な疑問や疑いを通して、攻撃してくるのです。私たち信仰者は、非常に巧妙で、狡猾な悪魔の存在について自覚しておく必要があります。
 
U.罪のステップ(6節)
 
 
第二に、アダムとエバがどのようなステップで罪を犯したかを考えて見ましょう。
 
A.誘惑に直面
 
 
5節をみると「あなたがたは神のようになる」と確かにサタンは、巧みなことばをもって誘惑しました。人間は神様にはなれませんが、神様のようになりたいという願望はあるのかもしれません。

人生にはさまざまな誘惑があります。ヨハネは「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」について述べています。Iヨハネ2:16節に「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです」とあります。

@肉の欲とは、罪深い心から生じる欲望のことです。食べたり、飲んだり、遊んだりというような肉欲的な欲望から、サタンの誘惑に陥ってしまい、転落の人生を辿る人は多いのです。

A目の欲は、目を通してくる誘惑のことです。目の欲は、物の外観に惑わされ、真の価値を見失うこと。例えば、見た目においしそうな実を食べたエバの罪。バテシェバの入浴の姿に目を奪われたダビデは、姦淫の罪を犯し、夫のウリヤを殺害してしまうのです。

B暮らし向きの自慢は、自分の持ち物や行為を誇ること。富への欲望、見栄っ張り、自分を重要な人物であるかのように思うこと。富や地位、服装といった外面的事がらに関する虚栄心のことです。

肉的な欲望、目の欲、暮らし向きの自慢から誘惑に直面することがあります。
 
B.誘惑に反応
 
 
アダムとエバはどの様なステップで罪を犯したのでしょうか。6節「そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。」体で言えば、三つの部分、耳と目と手が関係したのです。誘惑は、外界のいろいろな刺激によって生ずる視覚,聴覚,味覚,嗅覚,触覚の5感を通してくるのです。

まず、彼らは、サタンの誘惑の声を耳で聞いたのです。そして6節にありますように、美味しそうな木の実を目で見たのです。最後に、自分の手で、実を取って食べたのです。人間には、いろいろな欲求があります。欲求自体は、神様から与えられたもので決して悪いものではありません。

「食べるのに良く」−人間には美味しい物を食べたいという欲求があります。「目に慕わしく」−美しさに対する願望をもっています。

「賢くする」―人間には知的な欲求もあります。欲求は、悪いものではありませんが、それらの欲求を乱用したり、悪用すると罪を犯すことになるのです。悪魔は、私たちの願望や欲求を通して、誘惑を与えるのです。
 
C.不服従の行動による堕罪
 
 
誘惑がやってきて、それに反応し、私たちの意志が動くと、罪を犯すことになるのです。アダムとエバは、禁じられた木の実を手に取り、口に入れて、食べたのです。彼らが、誘惑を退けるならば、罪を犯すことはなかったでしょう。しかし、不従順によって、神の命令を破ってしまったのです。神様に対する不従順こそ、罪の本質です誘惑を受けて拒絶すれば罪にはなりませんが、誘惑に受け入れて行動すると罪となるのです。

最初に罪を犯したのは、エバでした。なぜ、エバが最初に罪を犯したのかわかりません。アダムは、妻エバのことばによって、罪を犯しました。男性はしばしば女性のことばに弱いようです。聖書にもサムソンや、ダビデ、ソロモンなど女性問題で失敗をした陣人物について記録されています。アダムとエバが罪を犯したために、全人類が罪の影響下におかれるようになったのです。
 
V.罪の結果(7−8節)
 
 
第三に、彼らの罪の結果がどうなったかを学ばせていただきましょう。7節によりますと、神様に対して罪を犯したアダムとエバの目は開かれ、裸であることに気がついたのです。
 
A.罪意識
 
 
彼らは、自分たちが裸であることが恥ずかしいと感ずるようになったのです。人間は罪を犯すと、罪の意識が生じます。これは、人間に良心が与えられているからであると言えましょう。

ロンドンで強盗殺人事件が起こりました。犯人はうまく逃げて、アメリカに行きました。アメリカでは普通の市民として生活を送りました。20年後に、イギリスに旅行したのです。彼が買い物をしていると「こら、まて!」と警察官が走ってくるのです。彼はびっくりして、無意識に走り出したのです。とうとう彼は捕まり、20年前に犯した犯罪を自白したそうです。彼は20年の間、罪の意識に悩まされていたのでしょう。
 
B.神からの離別
 
 
アダムとエバは、罪を犯してから、神様の顔を避けて、木の間に隠れたのです(8節)。相手にウソをついていたり、隠し事があると相手の顔をまともに見られません。アダムとエバは、神様の顔を見ることができずに、隠れたのです。罪は人を神様から引き離し、断絶させてしまうのです。
 
C.他への責任転嫁
 
 
12節をみるとアダムはエバに責任を転嫁し、言い訳をしました。自分の過ちを素直に認めることが難しく、周りの人を責めてしまうのでした。エバは、蛇に責任を転嫁しているのです。最初の人アダムとエバが神様に罪を犯した時、人間の生活に不幸と混乱が始まったのです。
 
終わりに(結 論)
 
 
今朝は、「罪の始まり」という題で、
T.罪の起源
U.罪のステップ
V.罪の結果
についてお話しました。

アダムとエバの罪の故に、私たちは罪ある者として、この世に生まれ、成長しました。罪と罪過の中に、死んだ者でした。15節に「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ」とありますように、幸いなことに、神様は救い主イエス様を遣わし、救いの道を開いてくださいました。主イエス・キリストの十字架によって、おこなったすべての罪を赦して頂き、神の子とされ、さまざまな問題の中で、平安と希望を与えられていることを主に感謝しましょう。私たちの生活にはサタンから誘惑がありますが、すでに十字架で勝利された主キリストを見上げて歩ませていただきましょう。
お祈りを致します。