礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は 新改訳聖書2017(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2018年6月10日
 
「救い主の最初の預言」
創世シリーズ(6)
 
梅田 昇 牧師
 
創世記 3章 13-19節
 
 
[中心聖句]
 
  15   わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。
(創世記 3章 15節)


 
聖書テキスト
 
 
13 神である主は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」14 神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。15 わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」16 女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」17 また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。18 大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」
 
初めに
 
 
創世シリーズということで、創世記1〜11章から神様のみことばをお伝えしています。先週、創世記3章から罪の始まりについて学ばせていただきました。創世記3章にみるアダムとエバの罪、堕罪により、全人類は罪の影響下に置かれたのです。創世記3章は、聖書全体を理解するために大切な章であり、繰り返し読むべき箇所です。

今日、21世紀を迎えて、IT革命が進み、通信情報の手段も昔には考えられないくらい便利になりました。しかし、依然として、私たちの生活している社会において、犯罪や争いやトラブルが後を絶ちません。家庭の危機の時代を迎えています。家庭内暴力、親殺し、子どもへの虐待、子殺し、配偶者殺人など、ショッキングな家庭内の事件が多発しています。また国際関係も予断を許しません。世界平和が安定していく事を心から願っていますが、ウクライナ問題、シリアの内戦状態、イラン問題、パレスチナ問題を初めとして、世界には難しい課題が横たわっています。人間の不幸とトラブルの根本的な原因が、罪にあります。人間の根本原因である最初の罪が創世記3章に記されています。
 
堕罪後の神様の対応
 
 
アダムとエバが罪を犯した時、神様はどうなさったのでしょか。聖なる神様は、罪に対して適切な処置をなさるお方です。

今朝は、「救い主の最初の約束」という題で神様のことばをお伝えします。
 
T.神様の問いかけ
 
 
第一に、神様は罪を犯したアダムとエバに、問いかけなさったのです。
 
A.神様の問い
 
 
9節を見ますと神様は「あなたはどこにいるのか」と尋ねられました。罪を犯したアダムとエバは、神様の顔を恐れて、木の陰に隠れていたのです。神様のもとを離れている状態を罪と言います。

有名な放蕩息子の物語がルカの福音書15章に記されています。放蕩息子はわがままを言って、父のもとから去ってしまいました。父のもとにいれば、何の問題もなかったのですが、父から遠くはなれた生活に満足も平安もありません。

神様から離れて生活を送っている人に対して、神様は「あなたはどこにいるのか」と問いかけ続けておられるのです。
 
B.神様の更なる問いかけ
 
 
11節には神様が「あなたが裸であることを誰が教えたのか」と問いかけておられます。神様は聞かずとも理由をご存知でしたが、アダムとエバに罪を自覚させようとして、あえて尋ねられたのでしょう。ちょうどそれと同じように神様は、アダムとエバに問いかけておられるのです。罪を認め、告白することこそ、赦される道です。

ヨハネは「もし私たちが、自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての罪から私たちをきよめてくださいます」(Iヨハネ1:9)と記しています。罪を告白し、罪を赦されることは幸いです。
 
C.アダムとエバの応答
 
 
アダムは神様に何と答えたのでしょうか。12節を見ると、彼は「この女が木の実を取ってくれたので食べたのです」と答えたのです。自分の罪を素直に認めることができないで、エバに責任を転嫁しているのです。13節を見ると、エバは「蛇が私を惑わしたのです」と言って、蛇に責任を転嫁しているのです。もちろん、誘惑者である蛇は悪いのですが、その惑わしに負けた自分も悪いことをすなおに認めることができなかったのです。
 
U.神様の刑罰
 
 
第二に、神様は罪を罰しなさるお方です。これは神様がきよい、義なるお方であるということを意味しています。アダムとエバが罪を犯した時に、聖なる神様は彼らに裁きを宣告なさったのです。
 
A.蛇に対して
 
 
14節をご覧ください。神様は蛇に対して、「のろわれた者となり、ちりを食べなければならない」と刑罰を宣告されました。蛇は神様にのろわれてしまい、チリを食べる生き物になったのです。
 
B.エバに対して
 
 
エバに対する刑罰は、二重でした。一つは、産みの苦しみで、男性には経験できません。人間の出産は一大事です。出産に伴う危険もあります。
もう一つの刑罰は、夫への隷属です。夫を恋い慕い、夫に支配されるということです。今は男女平等、同権が言われますように、社会の中では確かに男女同権が法的に認められるべきでしょうし、新約の光から見ても、夫と妻の役割分担の違いがあっても、神様の前に夫も妻も平等、同権と言えましょう。「妻よ。夫に従いなさい」という教えが聖書の基本でしょうが、具体的には、いろいろなタイプの夫婦がありましょう。
 
C.アダムに対して
 
 
アダムに対しては、17節には労働の苦しみが宣告されています。「また、アダムに仰せられた。『あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない』」。汗を流して、働くことが男性に課せられた責務であるというのです。労働は苦しみという面もあります。しかし、新約聖書の光では、労働は神の栄光を表す手段と教えられています。仕事をすることは確かにキツイ大変な面もありますが、信仰者は神の栄光のためにと使命感を持って、日々の生活を送ることができます。
 
D.エデンの園からの追放
 
 
23節を見ますと、アダムとエバは、エデンの園から追放されてしまいました。アダムとエバは神様の臨在から離れてしまった時、暗黒と混乱が始まったのです。神様は聖なるお方で、罪をそのまま放置なさることはできません。アダムとエバが罪を犯した時、神様は裁きを宣告されたのです。
 
V.神様の約束:救い主の派遣
 
 
第三に、愛の神様はアダムとエバが罪を犯した直後から、救い主を約束してくださいました。
 
A.原福音
 
 
15節は、福音の初めとか原福音と呼ばれます。「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」。創世記3章15節は、旧約聖書におけるメシア、救い主に関する最初の預言と考えられています。「彼」という男性第三人称単数の指示代名詞を一人のメシアと捉えるこの解釈は、紀元前3,2世紀に遡り、教会教父の中ではエイレナイウスが最初にこの解釈をしています。救い主に関する最初の約束と言えましょう。愛の神様が、人間が罪を犯した直後に、救い主を遣わす約束を与えておられるのです。
 
B.救い主の約束
 
 
15節は、神様が誘惑者である蛇に対して語られたことばです。誘惑者である蛇とエバの子孫が敵対関係になるというのです。エバの子孫であるメシアが、誘惑者である悪魔の頭を踏み砕くというのです。主イエス・キリスは、十字架にかかり、悪魔のわざを打ち壊してくださったのです。主キリストは、十字架で「すべてが終わった」と語られたのは、悪魔のわざを打ち破ってくださったことを意味しています。
 
C.犠牲の約束
 
 
もう一つの約束は、21節です。「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった」。この中に、動物が殺され、犠牲になっていることが意味されています。皮の衣は、身代わりとして、十字架にかかられたキリストの贖いを意味していると言われます。罪の裁きを受けるべき私たちに代わりに、主キリストが十字架にかけられ、死なれたと聖書は宣言しています。
 
終わりに(結 論)
 
 
今朝は、創世記3章から、「救い主の最初の預言」という題で、みことばばを語りました。

1.愛の神様は、アダムとエバが罪を犯して直後に、救い主を送るという約束を与えてくださいました。そして、その約束は、主キリストの生涯と死を通して実現したのです。

2.キリストを信じて、救いの恵みに心から感謝しながら、日々の生活を辿る一人ひとりであらせていただきたい。感謝は、信仰生活の動力です。主の恵みに感謝しながら、迎えます日々を辿らせて頂きましょう。

3.私たちの周りにおられる方々は幸せそうで、成功しているように見えるかもしれませんが、神様から離れた人生に勝利と永遠の祝福はありません。罪に苦しみ、傷ついている方々の救いのために祈り続ける者であらせていただこうではありませんか。

お祈りを致します。