礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は 新改訳聖書2017(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2018年7月1日
 
「カインの心」
創世シリーズ(8)
 
梅田 昇 牧師
 
創世記 4章 1-7節
 
 
[中心聖句]
 
  5   カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた。
(創世記 4章 5節)


 
聖書テキスト
 
 
1 人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は、主によって一人の男子を得た」と言った。2 彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは大地を耕す者となった。3 しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを主へのささげ物として持って来た。4 アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。主はアベルとそのささげ物に目を留められた。5 しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた。6 主はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。7 もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」
 
<前回の復習>
 
 
先週、創世記3章の最後の箇所から、「エデンの園からの追放」という題で、説教しました。アダムとエバは、神様の命令を破り、罪を犯し、エデンの園から追放されてしまったのです。エデンの園を追放されたアダムとエバの生活には、困難な環境の中で、厳しい生活が待ち受けていたのです。
 
<創世記について>
 
 
創世記は、「始めの書」「起源の書」と呼ばれます。1章には、世界の始めについて記録されています。2章には、人間の始めについて記されています。3章には、罪の始めについて記録されています。4章には、宗教の始め、あるいは殺人の始めを見ることができます。この章には、アダムとアベルの子どもカインとアベルが出てきます。
 
<2つの道>
 
 
聖書は、二つの道を示しています。

(1)カインの道とアベルの道
(2)偶像礼拝とまことの礼拝
(3)砂の上の人生と岩の上の人生
(4)滅びにいたる広い道といのちに至る狭い道

私たちは、しばしば左に行くか、右に行くかの岐路に立たされます。人生の大きな岐路、小さな岐路もあるでしょう。神様に祈りながら、知恵と判断力を頂いて、神様のみこころにかなった選択ができるように主を仰ぎながら、生活を送らせて頂きたいものです。

今朝は、創世シリーズ8回目で、「カインの心」という題でみことばを語らせて頂きたいと願っています。1節に「人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、『私は、主によって一人の男子を得た』と言った」とあります。エバは、長男カインを出産したのです。2節には「彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは大地を耕す者となった」とあります。カインとアベルがどのような幼少期、少年時代を過ごしたのかその詳細は私たちにはわかりません。兄のカインと弟のアベルは成長し、異なる職業に従事するようになりました。恐らく、兄弟でも性格も好みも違っているのでしょう。アベルは、羊を飼う牧羊者、弟のアベルは作物を栽培する農業者となったのです。同じ親から生まれた子供であっても、性格や能力は全く異なる場合があります。

今朝は、「カインの心」という題で、神様のことばを語ります。
 
T.カインのささげもの
 
 
第一に、カインのささげ物について考えてみましょう。3節に「しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを主へのささげ物として持って来た」とあります。
 
A.カインの捧げもの(3節)
 
 
カインは畑を耕し、汗水を流して働き、工夫して作物を作り、収穫が与えられたのです。そして、大地の実りとありますように、作物の中から、ささげものを主に持ってきたのです。カインの勤労と彼の捧げものを忘れてはならないでしょう。

3節は、聖書にでてくる最初のささげものです。ささげものは神に対する感謝のしるしです。カインは、収穫を与えてくださった神様に感謝の気持が全然なかったわけではないでしょう。どちらかと言えば、形だけの義務感からささげたささげ物だったのでしょう。
 
B.アベルの捧げもの(4節)
 
 
4節に「アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。主はアベルとそのささげ物に目を留められた」とあります。カインの捧げものは。羊の初子で、肥えた羊を捧げものとして、もって来たのです。アベルの捧げものは、神様に喜ばれたのです。

ここで間違っていけないのは、神様は羊の肉を受け入れ、穀物を拒絶されたというわけではありません。神様はささげもの内容を区別されたのでありません。
 
C.カインとアベルの違い(へブル11:4)
 
 
神様は、カインとアベルの心をご覧になったのです。人はうわべを見るかもしれませんが、神様は心をご覧になるのです。カインとアベルのささげもの違いは、彼らの態度だったのです。アベルは心からの感謝をこめて、羊の初子の中から、それも最上のもの、最良のものをささげたのです。カインは、確かにささげ物をささげたのですが、ただ、心の伴わない形だけのささげ物だったのでしょう。

神様は、アベルのささげ物を喜びなさったのですが、カインのささげ物をお喜びなさらなかったのです。その理由は彼らの態度です。へブル人への手紙11章4節「信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神に献げ、そのいけにえによって、彼が正しい人であることが証しされました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だと証ししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています」。

アベルのささげ物は、信仰によってささげられた物であり、カインのささげ物は、形だけの、律法的なささげ物であったとへブル人への手紙の記者は記しています。

私たちが献金をします時、神様の恵みに対する深い感謝を込めてささげるのです。恵みとは、受ける資格のないものに対する愛顧、顧みと表現されます。神様の恵みに対する心からの感謝、感恩の気持をもって、月定献金、感謝献金、集会毎の献金に加わらせて頂くのです。自分に献金箱を回ってきたら、できるだけ早く、一秒でも早く次の方に回す方もあります。私たちは献金袋を恐れる必要はありません。深い感謝をもって堂々とささげればよろしいのです。神様は形だけのささげ物ではなくて、感謝と献身の心をもって真心からささげるささげ物を喜び、受け入れてくださるのです。
 
U.カインの怒り
 
 
第二に、カインの怒りに心を向けましょう。

4章5節を見ますと「しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた」と記されています。
 
A.カインの怒り(5節)
 
 
カインは、誰に対して怒ったのでしょうか。アベルに対して怒ったのでしょうか。神様に対して、怒ったのでしょうか。恐らく、アベルに対しての妬みから来る怒り、また神様に対しても怒りの気持があったかもしれません。妬み、嫉妬心は、他の人との比較から生まれます。特に自分と似た境遇の人に対して、妬みを持つ場合があります。同じ親から生まれた兄弟のように、立場が近い人の間で妬み、嫉妬心が起こるのです。

神様はカインの心と動機をすべてご存知の上で、ささげ物を喜びなさらなかったわけですから、カインに怒る資格がなかったのです。弟アベルンに対する妬みが怒りへと燃え上がったのです。
 
B.怒りの特質(5節)
 
 
カインは激しく怒ったのです。ヤコブへの手紙1章20節に「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである」と記されています。主キリストが、神殿の中で、両替をして商売人たちの机をひっくり返されたのは、聖なる怒り、義憤によるものであると言われます。しかし、私たち人間の怒りは、しばしば、自分を正当化し、相手を拒絶しようとする感情的な発散を意味します。最近は、すぐ「キレル」人が多いと言われています。

古代ギリシャの哲学者ピタゴラスは、「怒りは無謀をもって始まり、後悔を持って終わる」と述べています。フランクリンは「怒りで始まるものは、恥で終わる」と述べています。怒りは、しばしば人を傷つけ、人間関係を難しくします。怒りを爆発させた人は、「あんなことしなければよかった」と大抵後悔をするものです。あるアメリカの医者の話では「もし人が怒らなくなったら、心臓病や、脳の血管の病気はかなり減るだろう」ということです。つまり人は、怒ることによって血圧が急に上がり、血管がつまったり切れたりすることが多いということです。怒りは人間関係を破壊し、健康にも悪い影響を与えるのです。
 
C.怒るカインへの問いかけ(6節)
 
 
6節には「主はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか」とあります。神様はカインに「あなたには、憤る資格があるのですか」と語り掛けなさったのです。パウロはエペソ人への手紙4章26-27節において「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい」と勧告しています。悪魔にチャンスを与えないように、聖霊によって怒りの感情をコントロ−ルすることはとても大切なことです。
 
V.カインの怒りの結果
 
 
第三に、カインの怒りの結果について考えてみましょう。
 
A.怒りの恐ろしさ(8節)
 
 
怒りという感情は、激しい感情で、人を危険に導く場合があります。カインの殺人は人類史上の最初の殺人となります。しかも弟殺しです。アダムとエバによって行なわれた罪が、カインの殺人という驚くべき結果となり、人間の生活に影響を与えていったのです。8節「カインは弟アベルを誘い出した。二人が野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかって殺した」。カインは、アベルを野に誘い出していますから、カインの殺人は、衝動的というより、計画的であったと言えましょう。弟のアベルとは、小さい頃から一緒に遊んだり、出かけたり、いろいろな共通体験を持っているに違いありません。しかし、カインは心にある怒りの感情をどうしてもコントロールできなかったのです。カインは周りを見回し、自分の手を持って、弟のアベルを殺害したのです。これは人類最初の殺人の記録です。
 
B.カインの道
 
 
ユダへの手紙11節に「忌まわしいことです。彼らは、カインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのようにそむいて滅びました」と記されています。カインの道とは、神様を畏れず、ねたみと怒りと自己中心の行き方です。カインが自己中心であったために弟をねたみ、激しく怒り、殺害したのです。

7節「もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない」。愛の神様は、カインが神様に祈り、お詫びするならば、豊かに許し、カインの生涯を導いてくださったことでしょう。9節を見ると、神様はカインに「あなたの弟はどこにいるのか」とお尋ねになりました。カインは、「知りません。私は、弟の番人でしょうか」とウソをついて神様を偽ろうとしたのです。神様は「おまえは、弟に何をしたのですか。弟の血の声が、地下から叫んでいます」とおっしゃいました。カインは、すべてをご存知の神様の前に、大きな恐れを覚えたことでしょう。カインはのろわれ、さすらい人とされたのです。
 
C.カインに対する憐れみ(17節)
 
 
しかし、神様はカインにも哀れみを注いで下さったのです。17節を見ますと、カインはエデンの園の東のノドの地に住んで、妻を娶り、エノクを生んだのです。「カインはその妻を知った。彼女は身ごもってエノクを産んだ。カインは町を建てていたので、息子の名にちなんで、その町をエノクと名づけた。」神様の憐れみは絶えることはありません。
 
終わりに(結 論)
 
 
今朝は「カインの心」という題でみことばを語りました。

1.カインの心は私たちの心です。有島武郎の「カインの末裔」という本がありますが、私たち人間は、カインの末裔として生まれ、ねたみと憎しみと怒りの性質をもって、この世に生まれたのです。カインの道に人生の祝福と勝利がないことを覚えましょう。

2.パウロは、ローマのクリスチャンに「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5章8節)と手紙を書きました。カインのような心を持った私たちのために、主キリストは生まれてくださり、33年の僕としての生涯をたどってくださり、最後には十字架の死にまで従ってくださったのです。罪を赦し、神の子としての特権をお与えくださいました。

3.信仰によって、主キリストをしっかりと見上げ、神様に祝される生涯を辿らせていただこうではありませんか。

お祈りを致します。