礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は 新改訳聖書2017(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2018年7月8日
 
「歌と賛美のある人生」
チャペル・コンサートの日を迎えて
 
梅田 昇 牧師
 
詩篇 40篇 1-6節
 
 
[中心聖句]
 
  3   主はこの口に授けてくださった。新しい歌を私たちの神への賛美を。多くの者は見て恐れ主に信頼するだろう。
(詩篇 40篇 3節)


 
聖書テキスト
 
 
1 私は切に主を待ち望んだ。主は私に耳を傾け助けを求める叫びを聞いてくださった。2 滅びの穴から泥沼から主は私を引き上げてくださった。私の足を巌に立たせ私の歩みを確かにされた。3 主はこの口に授けてくださった。新しい歌を私たちの神への賛美を。多くの者は見て恐れ主に信頼するだろう。4 幸いなことよ主に信頼を置き高ぶる者や偽りに傾く者たちの方を向かない人。5 わが神主よなんと多いことでしょう。あなたがなさった奇しいみわざと私たちへの計らいは。あなたに並ぶ者はありません。語ろうとしても告げようとしてもそれはあまりに多くて数えきれません。6 あなたはいけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物をあなたはお求めになりませんでした。
 
初めに
 
 
すでにご案内のように、本日の午後には、チャペル・コンサートを予定しています。午後のコンサートに大きな期待をもってご参加くださいますように心からご案内申し上げます。
 
詩篇40篇の作者について
 
 
今朝の礼拝のために、詩篇40篇をお開きしました。「指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデの賛歌」という表題がついています。羊飼いであったダビデ少年は、サウル王さまの元で忠実に働き、後にイスラエルの2代目の王様となりました。大きな権力と富を与えられましたが、同時に、多くの苦しみ、苦難も経験しなければなりませんでした。後に、人妻バテシバと姦淫という大きな罪を犯し、その罪を隠蔽するために、夫のウリヤを戦争の最前線に派遣し、戦死させてしまい、ダビデ王は心の苦悩と葛藤を経験しました。晩年には、息子のアブシャロムに反逆され、いのちを狙われ、流浪の生活を強いられたこともあります。この詩篇40篇は、波乱万丈の人生をたどったダビデの作とされています。

今朝は「歌と賛美のある人生」という題で、聖書の真理をお伝え致します。
 
T.神様の御業
 
 
第一に、神様は、私たちのためにすばらしいことをしてくださったお方です。
 
A.神様の御業
 
 
神様は私たちのためにすばらしい御業をなしてくださいました。それは、神様が世界を創造し、神の像に似せて私たち人間を創造してくださったということです。創世記1章に創造の記事が記録されていますが、神様が素晴らしいと言えるのは、人間を創造されただけではなくして、人間の生活の場所と必要なすべてを備えてくださったことです。土地と光、空気と水と食料をちゃんと備えてくださいました。アダムのために、助け手、パートナーである妻エバをも備えてくださったのです。アダムとエバは、エデンの園で、満ち足りた幸福な生活を送っていたのです。
 
B.神様との断絶
 
 
ところが、アダムとエバが神様の命令を無視して、罪を犯したために、彼らは、神様との交わりが断絶してしまったのです。愛の神様は、彼らが罪を犯した直後に、「あなたはどこにいるのか?」と問いかけて、神様の愛の懐に帰ってくるように招いておられるにもかかわらず、アダムとエバは他に責任を転嫁し、自分の過ちを認めようとしません。その結果、彼らはエデンの園から追放されたのです。オズワルド・チェンバースという人が「人は自分の罪をどうすることも出来ない、人は自分の罪に触れることすら出来ない」と述べています。泳げない人が、波の激しい大海原に投げ込まれた状態です。自分の力ではどうすることもできない状態なのです。
 
C.神様の救いの手
 
 
1節を見ますと、「私は切に主を待ち望んだ。主は私に耳を傾け助けを求める叫びを聞いてくださった」と記されています。愛の神様は神様の方から、近づいて、私たちの声、叫びを聞いてくださるのです。イスラエルの民がエジプトで圧政と厳しい労働に苦しみ、神様に向かって叫んだのです。神様は、彼らの叫びを聞いてくださり、モーセを派遣してくださったのです。モーセは、様々な困難を乗り越えて、200万人を越える人々をエジプトから連れ出すことができたのです。モーセは、神様の臨在の象徴である杖をもってイスラエルの民をエジプトから救い出すことができたのです。

2節に「滅びの穴から泥沼から主は私を引き上げてくださった。私の足を巌に立たせ私の歩みを確かにされた。」とあります。2節の「滅びの穴」や「泥沼」から引き上げてくださったということが具体的にどんな状況を意味しているかはわかりません。ダビデが、抜け出すことができないような非常な危険の中を通されたことが想像されます。単に肉体的な危険だけでなく、魂の危機を通過したのです。

神様は罪を犯し、苦悩と良心の呵責で苦しんでいるダビデ王のために、預言者ナタンを遣わし、彼の罪を指摘し、悔い改めに導かれました。ダビデ王は神様によって罪を赦された喜びを高らかに宣言しています。詩篇32篇1〜2節において「幸いなことよその背きを赦され罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が咎をお認めにならずその霊に欺きがない人は」と告白しています。罪を赦されたダビデの心に、深い喜びと溢れる感謝が溢れたことでしょう。

ダビデだけではありません。私たち信仰者は、神なく、望みなく、人生をさまよっていました。放蕩息子のように、人生を浪費し、意味のない人生を送っていたのです。罪の泥沼でどうすることもできない状況に置かれていた私たちのために、主キリストは十字架にかかり、救いの道を開いて下さいました。神様は私たちを教会に導き、キリストの福音へと導いてくださいました。罪を示され、悔い改め、主キリストを信じ受け入れ、過去のすべての罪を赦され、神様の子供とされることはすばらしいことです。
 
U.歌と賛美の人生
 
 
第二に、愛の神様は、私たちに新しい歌と賛美を与えてくださるのです。3節「主はこの口に授けてくださった。新しい歌を私たちの神への賛美を。多くの者は見て恐れ、主に信頼するだろう。」ダビデは神様が新しい歌、神への賛美を与えてくださったと告白しています。
 
A.さまざまな歌
 
 
私たちの周りにはさまざまな歌、音楽があります。童謡、演歌、歌謡曲、ジャズ、クラシックなど音楽のジャンルも多様です。失恋の歌、別れの歌、昔を偲ぶ歌、社会に対する抗議の歌もあります。人生の悩み、悲しさ、せつなさなどを歌った曲が一般的に人々の共感を得るようです。人々はさまざまな歌を通して、慰めや勇気や励ましを受けているのです。
 
B.新しい歌
 
 
ダビデが3節で述べている「新しい歌」とは何でしょうか。新しい歌とは救われた者が神様に向かって歌う感謝と喜びの歌です。新しい歌という表現が詩篇33篇3節、40篇4節、96篇1節、98篇1節、144篇9節、149篇1節、イザヤ42章10節、黙示録5章9節、同14章3節の9回出てきます。旧約聖書に7回、新約聖書に2回、聖書に9回出てきます。新しい歌とは、新作、あるいは最近流行している歌ではありません。新しい歌とは、喜びに満ちあふれた賛美であり、信仰の告白だと言えます。神様の愛によって心を新しくされた人によってささげられる讃美なのです。キリスト教会は、この賛美の伝統をその母胎であったユダヤ教、ないしは旧約聖書の詩篇から受け継ぎました。教会歴史の中で、多くの賛美歌が生み出され、今日まで信仰者によって歌いつがれてきたのです。
 
C.神への賛美
 
 
3節に「神への讃美」という表現もあります。神様の栄光、神様の働きを褒めたたえる歌、それが賛美です。キリスト教会は賛美歌とともに成長してきました。賛美なしのクリスチャン信仰はありません。時代とともに、新しい賛美歌が作られて、歌うことができるのです。外国で作られて翻訳された賛美歌も沢山ありますし、日本でオリジナルに作られた賛美歌も毎年増えていることでしょう。

使徒の働き16章において、パウロ先生は捉えられて、ピリピの牢獄に投獄されてしまいました。彼らは牢獄の中で、真夜中に神様を賛美し、お祈りをしていたのです。静かな牢獄に、賛美歌が急に鳴り響いて、囚人たちの中には、「うるさいな。睡眠妨害だ」と怒り出す人がいたかもしれません。地震が起こり、牢屋の鎖が外れ、囚人たちは逃げ出せる状態となりました。看守は囚人たちが逃げ出したと思って責任を感じ、自害をしようとしました。パウロは、「自害してはいけない。私たちはここにいる」と言いました。そして、この看守とその家族がキリストを信じ、ピリピ教会の土台となったのです。賛美は奇跡を生み出したのです。神様は、主キリストの十字架を通して、すばらしい救いのわざをなして下さり、私たちの心に新しい歌と賛美を与えてくだるのです。
 
V.主の証し
 
 
第三に、新しい歌と賛美を通して、多くの人々が神様を信頼するようになるのです。3節後半「多くの者は見て恐れ、主に信頼するだろう。
 
A.不平・不満の時代
 
 
今の時代は通信技術が発達し、流通も盛んで、生活者には大変便利な時代です。SNSで、情報を簡単に発信できる時代です。また、簡単に交流できる通信手段が普及しています。ネットショッピングで沖縄の物産品、北海道の名産品、海外の商品でも簡単に購入できる便利な時代です。生活が便利になり、満足度と幸福感が増してきているかと言えば、そうではない面があります。不平、不満と文句の多い時代です。学校や役所やお店でクレイムをつける人が多く、クレイム社会、イチャモン社会と言われています。家庭の中でも、不満、不平が多く、家族の関係や人間関係が難しくなっていて、家庭内事件が多いことを痛感いたします。
 
B.信仰者の賛美
 
 
信仰者は、不平、不満の時代に生きていますが、教会の礼拝において、また自宅において、神様を心から賛美することができます。すべての信仰者が音楽の専門家になれるわけではありませんが、試練の中で、賛美歌を歌うことは大きな力です。また、賛美歌に耳を傾けることで慰められることもしばしばです。

エペソ人への手紙5章19〜20節「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい」。

マーリン・キャロザースという牧師の書いた『賛美の力』という本があります。彼は第二次世界大戦の時代に捕らえられ、捕虜となり、戦後、陸軍の従軍牧師となった方です。讃美することがどんなに人生の大きな力であるかを聖書の言葉のあらゆる角度から解き明かしています。また、苦しみの中で、困難な問題のただ中で、あるいは逆境の中で、主に感謝し、主を讃美した時、何が起こったか、この奇跡的な神の力を体験した人たちのことが紹介されています。賛美はまさに人生の力です。
 
C.神様の証し
 
 
3節には「主はこの口に授けてくださった。新しい歌を私たちの神への賛美を。多くの者は見て恐れ、主に信頼するだろう」とあります。混沌とした時代の中で、また、悩み多き時代の生活の中で、新しい歌、感謝の歌を歌う信仰者の姿を見て、神様を知らない方々が神様に関心を持ち、教会に導かれて、神様の愛を発見できたら、どんなに幸いではないでしょうか。
 
終わりに(結 論)
 
 
今朝は「歌と賛美のある人生」という説教題を付けました。

第一に、神様は、私たちのためにすばらしいことをしてくださいました。イエス・キリストの十字架により、私たちの罪を赦し、救いの御業を完成してくださったのです。

第二に、主は神様を信頼する人の心を作り変えて、新しい歌と賛美を与えてくださいました。

第三に、新しい歌と賛美を通して、多くの人々が神様を信じるようになるという約束です。

皆さんの日々の生活に、新しい歌、賛美があるでしょうか? 主キリストが私たちの生涯になしてくださった大いなる御業の故に、深い感謝を覚え、一日一日、歌と賛美のある生涯をたどろうではありませんか。
お祈りを致します。