礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2006年6月18日
 
「キリスト・イエスのしもべ」
ローマ書連講(1)
 
竿代 照夫牧師
 
ローマ人への手紙1章1-7節
 
 
[中心聖句]
 
 1  神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ・・・
(ローマ1章1節)

 
はじめに
 
 
1.復活節の直後にマルコ福音書の連講が終わりまして、その後の講壇のために導きを仰いでおりました。以前に第一コリント、ガラテヤを取り上げたことがありましたが、思い切ってパウロの手紙の中で最高峰と言われる「ローマ人への手紙」に挑戦することとしました。私にとって初めてであり、その意味でも新鮮です。

2.また、中目黒に移って3年経過し、かなりメンバーにも変動が見られますので、この辺で、福音の基本をみんなで学び、みんなが足並みを揃えるという必要をも感じました。ローマ書の学びが、一人ひとりにとって豊かな祝福となることを祈ります。
 
A.ローマ人への手紙概観
 
 
宗教改革者マルチン・ルターは、「ローマ書は、新約聖書の中で最も重要な手紙であり、最も純粋な福音が述べられている手紙である。」と言いました。事実、彼はローマ人への手紙の学びを通して、信仰によってのみ救われるという大切な真理を知り、経験いたします。そのルターの注解書が小さな集会で坦々と読み上げられていたときに、「心が不思議に燃える」のを経験してリバイバル運動に進んでいったのがジョン・ウェスレーです。その手紙の概略をお話します。
 
1.著者:パウロ
 
 
1:1にありますように、この手紙の書き手はパウロであります。尤も、彼が筆を執ったというのではなく、テルテオという人物が口述筆記をしたことが16:22に記されています。
 
2.宛先:ローマにいる信徒たち
 
 
当時、帝国の首都であるローマには、「ローマ教会」という統一的な組織体は誕生していなかったようです。というのは、コリント教会などには、「コリントにある神の教会へ」(第一コリント1:2)という宛書がありますのに、「ローマ人への手紙」では、「聖徒たちへ」という表現しかありません。16:5には、「家の教会によろしく」という表現がありますように、クリスチャンは、この大都会に散在していたものと考えられます。それは、ペンテコステの時の回心者とか、世界各地に広まりつつあった福音を聞いた人々がローマへ移住した結果とか、いろいろ考えられます。その人種構成は、ユダヤ人と異邦人が入り混じったものであったと思われます。
 
3.執筆事情:56年ごろ
 
 
パウロは、第一次から第三次まで伝道旅行を行いました。その後約4年間の幽囚生活を経て、しばらく自由の身となって活動をし、最後にもう一度囚われの身となって殉教いたします(その生涯の年代は<パウロの生涯と手紙>をご覧ください。)第三次旅行は、3年をエペソの開拓伝道に費やし(使徒19:8〜10)、その後ギリシャを通ってパレスチナに戻るのですが、最後の奉仕地であるコリントには約三ヶ月滞在しました(使徒20:3)。そのコリントから、本当はローマに直行したい気持ちを抑えて、エルサレム救援基金を届けるためにパレスチナに戻ります(15:23〜29)。そこでパウロは、パレスチナに戻ったら、すぐにローマを訪問したいという予定でしたので、その訪問の準備のために、この手紙を書き、信頼している女弟子であるフィベに託した(16:1)、というわけです(地図を参照)。
 
4.目的:福音の本義を示す
 
 
パウロがこの手紙を書くに当たって、単なる挨拶程度に止めないで、この際に、彼が捉えているキリストの福音というものを、しっかりと提示する必要を感じ、それを実行したのがこの手紙です。手紙という形ではありますが、これまで20年近くに亘って彼が述べ伝えてきた福音を、秩序正しく纏めようと思い立ったのでしょう。主は彼の魂を励まし、感動を与えて、その事業を完成させなさいました。特に、先ほど申し上げましたように、ローマの信徒は、ユダヤ人と異邦人の混成グループでしたので、そのグループが互いを尊敬しながら共存することを願っていました。ユダヤ人に対しては、福音はユダヤ人の専売特許ではなく、全世界の民を包括するものであることを示して、広い心を持つことを勧め、異邦人に対しては、福音の根は(旧約)聖書にあり、それに接がれる形で皆が神の民に受け入れられたことを考えて、決して誇ることのないように戒めています。
 
5.鍵の言葉
 
 
「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(1:16)
 
6.手紙のアウトライン
 
 
手紙のアウトラインについては<ローマ書のアウトライン>を参照ください。これを聖書にはさんでおいて、連続講解の時に自分のいる場所の確認を行ってください。
 
B.パウロの自己紹介(1節)
 
 
1 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ・・・
 
1.キリストの僕
 
 
思い出してください。この手紙の受取人は、何かの理由でローマに移り住んだ人々を除くと、パウロの顔を見たこともない人々です。当然のことながら、パウロが自己紹介からはじめます。ちょうど私達が名刺を交換するようなものです。パウロの名刺には、「アンテオケ教会派遣宣教師・アジア/ヨーロッパ大管区長・神学博士・・・」と書くことも出来たでしょうが、そんな大げさな肩書きは一切使わずに、「イエス・キリストのしもべ」という言葉を冒頭に持ってきました。聖書のことばの順序で言えば「パウロス ドゥーロス クリストゥ イエスー」が書き出しなのです。

ドゥーロスとは、文字通りには奴隷です。私はキリストの奴隷です、と言うのがパウロの肩書きの最初なのです。奴隷と言う言葉を使うとき、パウロの脳裏に横切った思想は何だったのでしょうか。パウロに失礼にならないように、私の想像を許していただきたいのですが、少なくとも以下の4つの内容が含まれていたように思います。パウロが他の場所で語っている内容から、推測したいと思います。

1)キリストの血潮によって買い取られたもの:第一コリント6:20で、パウロは「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」と勧めています。当然自分自身が代価をもって買い取られた奴隷である、という自覚を持っていたことでしょう。勿論、キリストは暴君ではありませんから、私達を奴隷扱いにはなさいません。けれども、私達の側から言えば、キリストの尊い血潮をもって買い取られたもの、私達が勝手に人生を決めたり、好きな事に時間やお金を費やしたりする、という姿勢ではなくて、私達の存在は、「自分のからだをもって、神の栄光を現わす」ためにある、というはっきりした人生目的を持つ必要があります。

2)自分が主人公ではなく、キリストのために生きる人生:パウロは、第二コリント5:14、15でこう告白しています、「私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」パウロは、十字架の上で死んでくださったイエス様の愛に触れたとき、自分自身もそこに死んだものと考えました。それまでは、自分の人生は自分のもの、自分が決め、自分を喜ばせるため、自分のやりたい方針で生きてきました。しかし、キリストの愛に触れたとき、自己中心的な生き方をやめ、「もはや自分のためにではなく」と180°の大転換を行ったのです。この大転換こそが聖化の転機的経験の中心です。アボット博士は、その著書である「聖化」の中で、「満たしの時とは、人生の支配権が全く神に明け渡されるその時です。御霊の満たしの必要条件は、全き明け渡しです。」と語っておられます。さらに、アボット博士は、義認の転機の成長過程と全的聖化の関係についてこう語っておられます、「人は、彼の人間性の奥深くに存在している、神の御心への根深い敵意にますます気づかせられます。そして、聖霊は彼を全面的な明け渡しの地点へと引き寄せるために、懸命に働かれます。しかしながら、自我というものがあまりにも長く統治していましたために、他の方に自らの玉座を明け渡すなどということが簡単に出来るはずがありません。ですけれども、神の目的が実現されるためには、降伏は絶対条件です。・・・そこでは心の玉座からの全的自己放棄がなされ、キリストが玉座に着きなさるのです。」と。

3)それも、いやいやではなく、愛の奴隷として自分をささげたもの:パウロは、ローマ12:1において、「私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」と献身を勧めていますが、その根拠は神の憐れみの故です。神の愛に感動して自分を自発的な奴隷としてささげる、これがクリスチャンの献身です。旧約時代に、「愛の奴隷」という制度がありました。何かの理由で奴隷となったとしても、6年間が最長期間で、奴隷の主人は満期後に釈放すべき義務を負っていました。しかし、その奴隷が主人を愛し、その家に留まりたいという意思表示をすると、主人はその男を戸口に連れて行き、耳たぶに錐を突き刺して戸口に打ち付けるのです。それによって、その男は自発的な奴隷として、主人に仕えるようになります。これを耳に割礼を受けたものとも呼びました。自発的に主人に従うものなのです。私達もキリストを愛し、自発的に従うしもべでありたいと思います。

4)罪の器でなくて、義の器としての奴隷:パウロは6:19において、「あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。」と、聖潔の道を勧めています。私達も救いを知る以前は、罪の奴隷でありました。自分ではいけないと思いながらも、悪の道に走り、こうしなければならないという正しい道に歩むことの出来ない不自由な人間でした。それはいわば罪の奴隷であったのです。しかし、今や、その不自由さから解き放たれて、「義の奴隷」として自分の意識を持ち、さらに積極的に聖潔の道に進むものとされました。何と感謝なことでしょう。罪に穢れた罪の奴隷が、神の清き僕としての新しい人生を歩むことが出来るようになったのです。

パウロが、自分自身を「キリスト・イエスのしもべ(奴隷)」と認識し、人々にも公表したとき、正にこうした豊かな恵みの世界を経験したものとしての言葉であったことを覚えたいと思います。
 
2.使徒
 
 
使徒とは、「遣わされた者」(アポストロス:遣わすという動詞・アポステローから来た言葉)という意味です。キリストによって派遣されたものというところから来ていますが、初代教会内での使い方としては、もう少し限定されていました。キリストの復活を目撃し、初代の弟子グループの指導者であり、福音の教えの基礎を築くものという限定使用でありました。使徒1:22〜26に、ペテロが、脱落してしまったユダの後を継いで「使徒職」を継承するものを選ぶときの基準として、こうした要件を述べていることからも明らかです。

ところで、パウロは使徒だったでしょうか。そうではない、といって彼を馬鹿にするものもいました。彼は、イエスが地上生涯を送られたときには信者ではなく、しかも十字架の2、3年後には教会迫害者だったからです。しかし、彼に対しては、復活のキリストがじかに会ってくださいました。そして、使徒と呼ばれるには相応しくないものを使徒としてくださった、それは一切神の恵みであると言っています(第一コリント15:7〜10)。その上、他の使徒よりも多く働き、多く迫害を受け、その点では誰にも負けないという自負もありました(第二コリント11:5、23)。その働きも、実は恵みの故でした。パウロが自分を「使徒として召された・・」というとき、神の限りない恵みへの感謝が溢れていました。
 
3.福音のために選び別たれた
 
 
もう一つの形容詞は「福音のために選び分けられ・・」というものです。この福音とは2〜6節までに要約されていますが、この解説は来週に委ねます。
 
終わりに
 
 
パウロの告白「キリスト・イエスのしもべ」とは私達すべてに当てはまるタイトルです。僕としての自らの立場をしっかりと確認しましょう。いつの間にか王様になっていないでしょうか。私達はキリストの血潮で贖われ、神の栄光を現すすばらしい人生に入れられました。喜んで、自発的に、はっきりと僕の立場を告白し、そのように歩みたいと思います。
 
お祈りを致します。